駅前の魔法使い 3
分割第一話シリーズです。
「聞いてみたかったんだけどなあ……」
「あ、それ大した理由はなかったみたい」
今何と言った。
「あの大殺戮、そもそも殺したかったの味方のほうらしいし」
戦闘職じゃないのに日ごろから盗賊退治だの魔物の捕獲だので相当頭に来てたらしくてね、その日もそんなかんじだったらしいよーと死者に鞭打ち唾を吐きかけるようなことを言いながら大量の本を手に歩いてくる。
どすっとかなりの重量が木目の描かれたプラスチックの天板に載せられた。さすが安物。テーブルがちょっと揺れる。
「え」
「なんかね、後方支援って聞いてたのに一人敵軍の目の前に置き去られちゃって、だから取って返して、上司ぶっ殺して、止めようとした部下だの同僚だの半殺しにして、そうこうしてたら後ろから銃で狙われたからついでに連合国軍も皆殺しにしたって言ってた。幹部とかは……何となく死ねばいいのにって。だから相手はただの巻き添えだよ」
不意に天井の人の顔が目に飛び込んできた。気付かず天を仰いでいたらしい。
「それはね、私が魔力コントロールの修行の時にやり過ぎて裏移りしたししょーの似顔絵なんだよ。似てるでしょー」
「へえ……こんな顔なんだ」
血も涙もなければ反省とも無縁の極悪人ではないか。
「ううん、ただ不毛な人なんだよ」なお悪い、と眉をひそめるユングをよそに少女が声を張る。
「さあ!勉強だよ、ユングさん!お賃金は日当制で、お手元の名刺の裏に書かれた口座に毎回振り込みよろしく。日付の変わった時点で振り込みがなければ滞納とみなすよ」
「日当いくらですか?あと、僕は日に何時間勉強させられるんですか?」
「今日の状況を見て考えるよ。私は高いからね、覚悟したまえ」
地獄の沙汰も金次第、とばかりに右手で『金』のハンドサインをする。世界共通だそうですねそうですか。頼れるタイプだという演出をしたつもりだがユングはますます顔を曇らせる。
「そっちは大丈夫ですけど……その」
「え、何ぃ?勉強したいって?どうぞどうぞ!」
聞こえないふりをして教材を広げて、さっさと勉強を始めさせる。
「えっと、これは?」
「古今東西全魔法だよ。まずは十種類以上覚えなきゃ。合いそうなのがあったらイメージトレーニング、質問があったら私に聞く。それだけ」
なんてざっくばらんな。
「ししょーお墨付きの勉強法だよ?」
「う……うう、そういうことなら」
大量の学術系雑誌、辞書みたいな本、鈍器にもなる厚く巨大な本を必死に読む青年を眺めながら、イルマは考えていた――ここからどうしたらいいのだろう。
彼女自身、試験を受けた時はもう自信しかなかった。実力は現役の国家魔導師にも勝るとも劣らず、よって落ちようはずもなかったのだ。そこに至るまでの道程を繰り返せばいいのはわかっている。
わかっているが、その時間が問題なのだ。
イルマがここへ来て、魔導師になるまでが4年弱。魔導師になろうと思ったのは実は昔からだから引けるものもない。
さらにししょーの仕事上、魔物の討伐や盗賊の検挙など現場に行くことも少なくなかった。しかもその先でも無免許だというのに平気で魔法を使わせる法律無視の大先生がいらしたのだ。
魔物の巣に一人置き去られたこともあった。つまりは経験なのである。
その過程で、「対吸血鬼のリーサルウェポンは丸太」「杖は意外に殺傷能力が高いから魔力が尽きたら使え」といった知識が増え、結果的に筆記試験の助けになった。
しかし今、そんな時間はない。
――ししょーなら、どうしたかな?
「だから言っただろう」そう言って軽く頭をはたかれたのは4年前のことだ。「日ごろから魔力の流れを意識し、時折変える……それが何にも勝る、と」
だって、と口をとがらせて気付く。今の手は軽かった。彼はいつもどおりに揺り椅子に座っているが病はどこまで進行したのだろう。そんな幼い思考は顔に出ていたようで、師は顔をしかめた。
「俺のことはどうでもいい、どのみち長くないのだから考えるだけ不毛だ。そんなことより俺が生きている間に試験を受けて資格をとるんじゃなかったのか」
そう言って立ち上がる。しかし眩暈に襲われたらしく壁に手をついて大きく息をついた。長くないのは本当なのだ。実際余命一年宣告からのかれこれ三年、心身ともに限界なのが当たり前だったろう。
はやく独り立ちして、彼を安心させてやるのが最善なのだと、頭では分かっている。
「わかっているなら……、やれ」
だが、こうも思うのだ。
ここで雛鳥のように育てられてきたイルマが巣立ってしまったら、いなくなってしまったら、その瞬間に巣の主である親鳥が翼を永遠に休めてしまうのではないかと。
「なるほど、そう考えるのも一つだ。果てしなく不毛だが、そのほうが俺は長く生きるかもしれん」
大の男には珍しくホットミルクにはちみつを入れるのが好きだった。その時も眩暈がおさまると牛乳を温めてはちみつを垂らしてくるくると混ぜていた。
そのくらいなら言ってくれればしたのに、と思った。
「気力による延命というのは昔から世界各地で伝わっている。お前の着眼点は悪くない……」
そこで彼は言葉をやめてホットミルクに口をつけた。苦痛を押し込めて厳しい横顔がほんの少し和らぐ。男性にしては柔らかな彼本来の美しさが束の間帰ってくる。そして入れ替わりに微笑が狂気とともに満ちる。
「しかし、やはりそれは不毛以外に何の意味も持たない」
俺が生き延びてどうなる――凄絶に微笑んでいるその表情は少しの衰えも感じさせないが、実際顔色は悪い。
「自分が殺したという罪悪感を持ちたくないのか?くだらん。いっそ俺を殺してみろ。実際……俺は、できることなら今から一分一秒たりとも、生きていたいとは思わない」
「……苦しい、の……?」
当たり前だろう、そう言って疲れ果てたように揺り椅子に戻りぐったりと座り込む。確かに当たり前だ。
「もし俺のことを思うなら、さっさと。この忌々しい気力を絶って――殺せ」