裏切りの名前は知らないけれど その3
続きです。
ロケット鉛筆とは、シャーペンに似て非なる筆記用具である。尖った芯のついたソケットがプラスチックの筒に入っており、先端にある一つのソケットが露出し筆記が可能になっている。
この一つ目の芯を使い落書きなど嗜み、先端が丸くなったら引き抜いて後方に刺しこむ。すると二つ目のソケットが前に押し出され、再び筆記が可能な状態となるのだ。
ちなみにありんこにはこれをたまたま学校へ持っていったら目を離したすきにバラバラに分解されプラスチックの筒状の胴体部分がへし折られていたという小学生並みに甘い思い出がある。
「まあ食べてみてよ」
イルマがそういうか言わないかのタイミングで手巻き寿司が持って行かれた。飢えていたようだ。かぶりつく顔を眺めながら毒づく。
「食べればわかるけどさ。小さくて被ってて早いのか……どうしようもないやつだな君は」
「あの、上のお口と下のお口を混ぜないで欲しいんですけども」
じゃあ遅いの?ユングは食べながら無言で首を振った。コップの中の水道水を一口ばかり飲み込んで眉を寄せる。
「むしろ早いですね」
「……」
「黙り込むのやめましょ?ねえ。そこは畳みかけるように罵倒の嵐でしょうが」
いきなりそんなカミングアウトをいただくとは思わなかった。口に物が入っているだけで他意はないということにしておく。藪を突いて蛇を出した感じだ。しかもだいぶ申し訳ない状態の蛇を。
「僕は悲しいです……」
「きっとワサビの入れすぎだよ……」
いいタイミングで電話が鳴った。巻きかけの寿司を置いて出る。リリアである。勝訴したと。
「そっかー。何かうるさいんだけど、誰かいるの?」
向こうさんは色々と説明したそうだったがそう言った。そのくらいうるさかった。聞き洩らしがえらいことになりそうである。
「ああ、ちょっと知り合いとね。今から飲みに行くの」
「へえ。楽しんでね!」
ノイズから察するに繁華街だな。人が話しているというより、声を掛け合っているような。うむ、客寄せ。ノイズの強弱はひとところに留まるより歩き回っているような。
リリアよ、歩きスマホや歩きPHSは事故の元だから止めましょうねって工場で習わなかったのか。そうすると後ろの知り合いは一人か。夜、繁華街、二人。となると関係性は……。詮索はよしておこう。お節介は主婦向け推理風ドラマだけで十分だ。
「おお、さっそく完食か」戻るとユングは手巻き寿司をとっくに食べ終えていた。「次を巻きたまえ。私のはあげないからね」
少しだけ残念そうな顔をして海苔を広げ酢飯を配置していく。やはりすべてを巻かせる気だったな、この大福め。人任せもいい加減にしろ。でも素直に作業に入ったからまあいっか。私も食べようっと。
「時に感想は?」
「おいしかったです」
巻き簾をごりごりしながらユングは答えた。「普通」とか「別に」といった返答が格好いいと思い込む勘違い野郎が多い中、彼のこういう素直なところは美点だと思う。やる気が出る。
「だろうねー。それは知ってる。酢飯と刺身と海苔のコンボで旨くないわけがないさ。約束された勝利の三連撃だよ。むしろ不味かったら何かおかしいよ。他には?」
答える前に手巻き寿司にかぶりついた。考えるときのもぐもぐタイムだ。しばし待つ。この鈍いところはどうもよくない。大体、レイピア中心の高速戦闘を得意とするんだよな?それだけ鈍くてどうやって動いてるの?
ああ、反射か。
思考は融合していないのか……超兵への道は遠い!
「……途中で味が変わりましたね」
「気づいたようだね。それこそがロケット鉛筆式の真価なのさ」頭の上で合掌し掛け声とともに上へ伸ばす。「ばびゅーん!」
事務所を沈黙が包んだ。どうやら滑ったらしい。
さて、自然な流れで流してしまいそうになったが、せっかく名前が出たので紹介していこうと思う。シュイフーとチーウェンだ。
――魔物である。
双方ともに比較的新しく現れた魔物で、なんと魔界で初めて目撃されたのがたった100年前のことだ。新種として認定されたのは20年前らしい。伝説上の猛獣に見た目が似ているのでそれにちなんだ学名が付けられてある。
学名。つまり和名がまだ決まっていないのだ。まあほぼ魔界とか人外魔境とか言われているコルヌタでも住み着き始めたのが40年前からなので、学名のほうが先に広まってしまったともいえる。
もしも和名を与えるのなら、シュイフーは『水虎』、チーウェンは『しゃちほこ』とでも呼ばれることだろう。
まずはシュイフーから説明していこう。青緑の剣のように硬い鱗で包まれた水辺の魔物だ。岸に近いところに住むことは住むのだが、岸さえあれば淡水でも海水でもさほど問題ないようで海にも川にもいる。
見た目は腐りかけた人間の子供に似ていて少しぞっとするが、縮尺が違うので見分けがつく。体長約3メートルと全体的に大きいのだ。鋭い爪とくりくりっとした黒目がちのおめめがチャームポイントで魚を捕らえるほか、土左衛門を漁ったり襲ったりしているらしい。掌の関節が非常に柔軟で、肛門に手を突っ込んで内臓を抉りだして食うらしい。怖すぎる。
上品な白身でヒラメと味が似ているが、淡水産のものは少し臭う。
チーウェンは金色だ。海に住んでいる。見た目は、その、そのままというか、古いお城の屋根についているアレそっくり。
貪欲で、常に何かに噛みついているとまで言われる。不思議なことに体を覆うのは鱗ではなく金属光沢のある羽で、海に住んでいると言っても海中を泳いでいるのではなく海上の空に浮かんでいる。翼などはないが、ある程度恣意的に飛べるようだ。
海鳥を捕まえるほか、低位の水魔法を操り魚を飛び出させて食べている。夜になるとどこかへ姿を消す。どこで眠り、どのように繁殖するのかよくわかっていない。網をかけて捕まえると口から大量の水を噴き出す。この水は少し胃液臭いが害はない。威嚇のつもりらしい。
ただおいしいのは事実である。赤身で、絶滅危惧種のクロマグロに似た味がするがトロは若干しつこい。
裏切りの名前は知らないけれど、魔物の名前は知っている。