裏切りの名前は知らないけれど その2
続きですね。
「あ……う……」
「あっ。ごめん、つい。変態だと思ったから……その……」
金的。簡潔に言うとそれに尽きるのだが、そこに至るまでの思考は難解だった。どこから縦読みかと思った。だが結論は一つである。
「い、いたい……」
「ごめんよぉ……治癒魔法要る?大丈夫?」
涙で滲んだ視界の端に、ふざけてつかみ合いをしていたら相手の目に指が入っちゃった的な顔をしているイルマが映る。さすがにそこまで柔ではない。
ついでに言うと曲がりなりにも内臓である。普通に考えれば普通にわかる。治癒魔法がいるような惨事の際には魔法だけでは無理があるはずだ。
惨事……例えば、そう、『破裂』とか……。実験風景を想像するだにおぞましいけれどフィリフェル辺りにならきっと資料もあるはずだ。あそこの魔導師頭おかしいから。
と、いうようなことを一先ず飲み込んで立ち上がる。
「ダイジョウブデス……」
「そ、そう?病院とか行かなくていい?荷物持とうか?」
どうも本気で心配しているらしいのがいじらしく思えた。そんな馬鹿なことがあるものか。実際に心配しているのではなく実存の与えたアルゴリズムに従って現状を読み込んで、また例の暗示に従って言動を出力しているだけだ。
いじらしいだの心配だの、あったもんじゃない。僕は疲れているらしい。今日は早く寝ようと思った。
「とりあえず……次から情況を考えて振ります……」
「う、うん……そうだね、それが当たり前だね」
本気で反省しているらしいのがいじらしく思えた。やったことを考えると本気で反省してしかるべきである。馬鹿馬鹿しい。
これ以外にもあれとかこれとか本気で反省していただくべきものは山ほどあるではないか。私は疲れてるのかね。家事が済んだらできるだけ早く寝ようと思う。
真っ赤に錆びた日輪を背に、乾いた朝顔の花がらがポトリと落ちた。役目を終えて沈むのだ。言いながら師が撫でた辺りにそっと手を当てる。頭が痛いからではない。日が短くなってきたなと思うのだ。
どうして、季節によって太陽に与えられた猶予は違うのかな。自分なんかは夏だろうと冬だろうとそこにあってほしいのに。ここはもうずっと夜だ。あなたがいないから。
イルマは炊けていたご飯をボウルに移して、米酢を加え木べらで混ぜる。ふと思いついた。
「ユングやる?」
「えー。僕はテレビでも見ながら待ってますよ」
「は?」
混ぜさせながら、まな板と包丁を出してきて刺身を切っていく。
「手巻きなのに細長くしないんですか?」
「しないよー。まあ見てなって。わかってると思うけど食うなよ」
切れたら皿の上に種類ごとに並べていく。絶景かな。いくらは切りようがないので空きスペースにびろりんと配置。スプーンでも挿しておけばいいだろう。
巻き簾の上にラップを貼って、海苔を置いて準備完了。後はいい感じに酢飯と刺身を載せたら巻く。巻く。そんだけ。
「先生ちょっと待って」
なのだが、メガネ大福が割って入ってきた。何の用だろう。
「何をさ?」
「何でとぼけるの。さっきのお刺身の謎が解けてないでしょーが」
「ああうん」
酢飯の上に刺身を置いていくわけだが、その手順は少々異なる。まずは刺身に醤油とわさびをつけておくのだ。食べる途中で醤油をつける手間がなくなる。
醤油ぐらい面倒くさがらずにつければいいじゃないかとお思いだろうが、あえて言おう。ただ面倒くさがっているわけじゃない。
齧った部分に醤油をつけるには、その部分を下に向けることになる。巻き簾を使うとは言っても素人の手巻き、酢飯の固定は甘めである。つまり下に向けると、切り口からご飯がモロッと零れ落ちる危険性がある。もったいない。
上から醤油を垂らすこともできなくはないが掛けすぎてしまいそうで健康上あまりやりたくはない。そこで逆転の発想、刺身に醤油をつけてから巻くのである。
さらに、刺身の配置もまた一味変わっている。
「ししょーは『ロケット鉛筆式』って言ってたっけな」
「ろけっと……?」既にイルマの酢飯の上にはレモラとシュイフー、サーモンがあった。「飛んでいくんですか?」
「違うよー。しかし君、ロケット鉛筆知らないんだな。私より年上なのに」
罵ったのに返礼も反駁もなかった。うん?ちょっと目を上げてユングを見ると、ヤツは酢飯を箸で掴んで直で口に入れていた。
「ひょっとして、手巻き寿司知らないのかい?」
「知ってますけど。酢飯が。酢飯が僕に囁くんです……食べて食べてって」
駄目だ。目がイってる。ツッコミにも疲れてきたのでいったん箸を没収した。一本巻いてやるから待ってな。