おちゅうしゃしましょう
主人公の「若干サイコ」の設定が生きています。ショッキングな感じで。そんな回想回です。
「さて……ししょー、今から勝負って時に言うことじゃないんだけどさ」
数時間後、イルマは一人病院跡地の前に立っていた。あと一歩で謎空間に入る。ひとつ深呼吸をした。
「ここにあるもの、どれも『ししょーの』思い出じゃないよね」
その右手には注射器。アババリン抑制剤のそれとは形状が異なる。
――ちょっと痛いけど頑張って刺せよ
耳につけた小型の通信機から声が聞こえる。この通信は一方通行だ。わかってるそんなこと。目の前をイルマが描いた肖像画が立体になってカニのような足で通り過ぎて行った。
「全部、私がししょーに『見せた』ものだよね。あの布は、私が千切っちゃったカーテンだ。その逆立ちしてるのはスキーをしに行った時の……なんて言ったっけ。とにかく謎のゆるキャラ」
注射器を振り上げる。目頭が熱い。少女の人生で最大級の動揺がまき起こっていた。目の前で父親が母親を殺した時ですらここまでの動揺はしなかった。
もしかすると、これがなくてもできるかもしれない。
「カミュさんには思い出が無秩序に具現化してるって聞いたけど、こんなのおかしいよ……。ししょーの、これは自分の、確かに自分のなんだって言える思い出って、これだけなの……?」
生ぬるい雫が頬を伝っていく。それが何なのか確かめることもせずに、イルマは注射器を自分の腕に突き刺した。
「――私、負けないよ」
話は誠に勝手ながら少しさかのぼる。近づく方法をあれこれと考えた末、ラッセルがふと言ったのだ。
「魔力の力場で近づけないなら、同じくらいの力場を近くに作ってやれば相殺するんじゃないか?知らないけど」
「その発想はなかったな……だが、同じくらいの力場となると暴走ってことになるぜ。さっきも言ったように自分の意志で暴走できるのはあいつだけだ。そこ、忘れんなよ」
しゅーんとラッセルが小さくなる隣で、気づくとイルマは身を乗り出していた。
「やる。私がやるよ、相殺。暴走を抑える薬があるんだから、逆の薬だってあるんだよね?それも国家直属の魔導師ならもしもに備えて一本くらいカバンの中に忍ばせているはずだ」
カミュは眉を歪めた。
「……正気か?信用を失うぜ」
魔導師を含め、魔法使いにとって暴走は信用を失うもととなる。というのも感情の発露により起こる暴走は癖になるのだ。
例えば今回はこんな山奥で犠牲者が少なかったが、街中で暴走など起こそうものなら被害は計り知れない。だから精神的に不安定な魔法使いは試験を受けてもなかなか上のランクに上がれないのだ。
過去に暴走したという事実は、また暴走する可能性が高いという事実でもある。
「いいよ。だって私、こんなお子様だよ?お母さんが滅多刺しにされて、お父さんが豚箱だ。つまりししょーが親代わりってことだよね?そんな状況でししょ―があんなことになったら、うっかり暴走しちゃってもしょうがない。ううん、むしろそれが自然。冷静なほうがおかしい。そうだろ?」
ラッセルが口を半開きにした変な表情で固まっていて、カミュが何か言おうとしたがイルマはさらにまくし立てた。
「それにラッセルさんは魔法使いじゃないから暴走したら不自然だ。直死魔法のカミュさんが暴走したらみんな死ぬ。そうなったら誰が政府に説明するんだい?」
「でもよ、」
「どうせ国はいまさらししょーを助ける気なんかないんだろ。いっそこれで死んでくれたら助かるって思ってるんだろ。ししょーはもう長くなくて、頭がおかしくて、ろくに働けない。助ける理由がないもんね。実際……カミュさんはもう国家直属魔導師の本部に連絡したのに、誰も増援に来てない」
痛いところを突かれたようにカミュが顔をしかめた。本部からの連絡は「待機せよ」。イルマの言う通りだ。しばらくテントの天井を眺めて考える。
「わかった、いいだろう。他に手はないもんな。……おい絹ごし野郎」
俺?とラッセルが自分を指した。
「そうだお前だよ。一応暗殺者だろ?お前は俺と抑制剤を持って、イルマちゃんが作った道を使ってあいつを止める。どっちか刺せれば大成功だ。駄目だったらその時は……」
カミュは大きく息を吸った。震える声で続ける。
「……俺があいつに、死ねって言うよ」
血に染まった地面を歩く。歩く。師の思い出を相殺しながらだ。暴走しているときの感覚ってふらふらする。まるで宙に浮いているみたいだ。転んだら大変だから、ゆっくり歩こう。
「よくわからないけど、楽しいよ。私がししょーを壊してるみたいでさ」
ぱきっ。足元でした音に驚いて下を見ると、骨だった。お医者さんかな?看護師さんかな?成人男性の橈骨のようだ。細かく観察する暇はない。
先へ進む。目的地はクレーターの中心部。それ以外にいそうな場所はない。自分の魔力を制御できないから暴走である。なら当然、中心だ。
地面から浮いていたとしても、そこからはカミュとラッセルの仕事だ。生かすにせよ、殺すにせよ。
――もし俺のことを思うなら、さっさとその忌々しい気力を絶って殺せ
「そうだね、そりゃあ殺すよ。殺してやる。でもね、駄目なんだ。今はまだ、あなたを利用する必要があるんだ。殺すのは、別の機会だよ?逃げちゃいけないよ、だって私が殺すんだから」
絶対。カミュさんじゃない。私だ。っていうかそもそも、カミュさんってししょーのこと友達だと思ってるから殺せないし、殺したらたぶん耐えられないんだよね。そんなことを考え続けて、歩き続けて。
どのくらい経っただろう。中心に白いベッドが現れた。
ぐったりと師がその上に長くなっている。顔を覗き込んだ。口の端に黒っぽくなった血がこびりついている。意識はあるのか、ないのか。
先についたのはラッセルの方だった。入院着を着せられた大腿部に注射器が突き刺さる。終わった。終わったんだ。えいっ――浮遊感が消える。
少女は、誰に助けられることもなく自力で暴走状態を解いた。
数日後、小康状態になった魔導師の姿が事務所にあった。あの後また別の病院にいって治療を受け、しばらく入院した後で戻ってきたのである。
「いやー、よかったよかったー!今夜は宴会だぜ!」
「重い。暑苦しい。離れろ、馬鹿が」
カミュに抱き着かれてうっとうしそうに顔を背けている。
「貴様、ここで酒を飲むんじゃないぞ……俺は反吐を浴びるのはもう勘弁だからな」
「わかってるってのー!飲むときは便器の前でだぜ」
あーあ。基本、ししょーは私のものなんだけどなー。何でカミュさんが独り占めしてるんだろーなー。イルマはスプラッタ系のライトノベルを読むでもなく読みながらもやもやしていた。
「でもま、たまにはいいか」
そうつぶやいた瞬間だった。
「イルマ」
師の声に本を閉じて駆け寄る。頭を撫でられた。
「聞いたぞ、お前の手柄だそうだな」
えへ、と照れて笑う。むぎゅっと抱き着いた。
「ししょー、もっとなでなでしてもいいんだよ」
代わりにチョップをもらった。
ししょーにはいろいろな人格があったようです。しかも簡単に書き換えられる。では、イルマの目の前にいるとき、地獄にいるときの人格は誰が作ったのでしょう。
神のみぞ知るけど、神は軒並みあんなことになってるから……。