思考と行動の不一致
本編です。みなとりどりに、生きにくい世の中であります。
はっきりした返答は得られなかった。
うーん、まだ別れる手続きはしてないけどもうほとんど別れる方向で彼の中では話が決まってるってことかな。なるほど。合ってるような合ってないような結論を出して、イルマは雑炊を配膳した。
このくらいは言わなくてもやってほしかった。いつもなら
「何ぼんやり座ってるんだいこの愚図が!立ちな。さもなきゃ君の分は消えてなくなるぜ」
などと仁義なく怒鳴るところだが、お客さんがいる。ちょっと声高に注意できない。
「そっか。でも向こうさんの都合もあるだろうから、別れるなら別れる、続けるなら続けるで早めにしっかり結論出して話し合うんだよ」
ユングは、はあ……まあ……とか何とか曖昧な返事をした。言っている内容自体はごくごくまともなものだ。そう、イルマには珍しいくらい。でも何について言っているのかといえば恋愛なのである。
向こうさんの都合。もちろん恋人にだって都合はあろう、気遣いだって必要だろう。
しかしこの言い方ではまるでビジネスの話みたいだ。それに、元を正せばこの『向こうさん』はイルマの後頭部を殴って病院送りにした張本人である。被害者がこんなことを言うものか?
リリアはこのやり取りを雑炊を食べながら聞いていた。疲れてるようね、と思った。向こうさんの都合も何も、裁判が終わればザビーナは巨額の賠償金を支払うことになる。
恋愛どころの話ではなくなってしまうのだ。そんな遠くない未来のことを予想できるくらいにはイルマは聡い。しかしそうして頭を働かすには疲れているのだろう。病院送りになって戻ってきてからも彼女が家事を行っているようだ。
死者にやらせればいいのにとも思ったが、妙にべたべたしていたし、あれが感じた恐怖や不安を薄めるイルマなりの方法なのだろう。だから極力倒れる前と同じ生活を続けようとしている。その結果疲れがたまってるみたいだけど……あっ雑炊おいしい。
と、このように解釈した。そして雑炊に夢中になった。だからそう深くは考えなかったのである。
深く考えないまま食事を終えて公判へ出かけて行った。ザビーナの彼氏だったユングとの関係はまた別の、二人の問題だ。おばちゃんがそう多く口を出すべきことではない。まあまあ心配はあるけど、見る限りは大丈夫そうに見える。
――それに、ひとつプレゼントも置いてきたわ。
さて、事実この二人が大丈夫なのかどうかはその定義によるので置いておくとして、リリアの置き土産を発見したのはユングだった。彼の部屋にあったのだ。
「せせっ、先生ーっ」
大慌てでそれを手に取ってイルマの部屋へ走る。走るといっても大した距離ではないが、とにかく急いだ。しばらくしてドアが開いた。イルマが鬱陶しそうに彼を見た。
彼女はさっきまでメイリンとウ=ス異本の鑑賞会をやっていた。悪霊が出たから夏コミに行けなかったので品ぞろえは薄めとはいえ、それを邪魔されたのだ。ご機嫌は斜めなんてものではなかった。
「何だね。下らない用事だったら切り落とすよ」
「何を!?……とりあえず切り落とすのはいろいろ支障が出そうなんでまだ勘弁してください。それより!」手に持ったそれを必死に差し出す。「見てください!僕の部屋に置いてあったんです!」
覗き込んだイルマのジト目がパッと見開かれた。目に見えて瞳孔が拡張する。そして固まっている。ひょこっとメイリンも顔を出した。
「あの不愉快な女が置いていったのか?」
「ふゆっ……あなた本当にキャラ崩壊激しいですねんぎゃ!?」
メメタア。イルマは久々にそんなことを言ってユングを殴った。実のところメタ発言なのかどうか微妙だったが、無性に殴りたかったのである。それからユングが持ってきたものを掴んで興奮気味に叫んだ。
「すごい!すごいよユング!これ、四千年位前の魔術実験の記録だ!写しだけど……当時の天候から魔法陣から、何もかも記録されてる!ありがとう!大好き!」
一息にそれだけ言い終えると、イルマは机に向かった。棚に並んでいるフィリフェル古語辞典を開き、新しい紙を机いっぱいに広げて作業を始める。これはしばらく帰ってこないやつだ。ユングはメイリンと顔を見合わせた。
魔術実験の記録の重要性は二人も魔導師なのでよく知っている。試みられた魔術が外的要因と内的要因の両方から網羅的に記録されているのだ。網羅的というところを偏執的と言い換えてもいい。
本来の目的の外、すでにある魔法の改良すべき点を見出せたりして、研究者にとっては自分の実験記録は家宝にも等しい。だからユングはパッと見て大変だと思った。しかもコピーとはいえ四千年前のもの。歴史的な価値もある。もはや一つの文化財である。
しかし、四千年前のものだ、とも思う。日進月歩で発展していくのは科学だけではない。魔法も進歩していくのである。いくら微に入り細を穿った記録だといってもデータが古すぎるのではないか。
しかし、イルマはそれを喜んで作業に入ったのである。
理由はあとで聞くことにして、ウ=ス異本の鑑賞会はイルマからユングに選手を交代して続けることにした。結局イルマの作業は時を忘れて続けられ、ユングの夕飯はメイリン作成焼き飯と相成った。
想像と違う焼き飯にユングはちょっと後悔した。しかし、後頭部を殴られて以来、いや出会って以来、あんなに目を輝かせるイルマは初めて見た。彼女の仕事を邪魔するべきではない。
今、僕にできるのは見守ることだけ。メガネの奥の目を決意に光らせて、焼き飯を口に運んだ。