人にあらず
使い慣れた道具には魂が宿っているような気がしますね。つい話しかけてしまったり、声が聞こえるような気がしたり。
この回想回はそういう話です。
「この馬鹿野郎。お前はあれか、核ミサイルが憎かったらミサイルの制御盤ぶっ壊して回るのか。いいか、潰れかけの病院がとうとう物理的に潰れたのも危ないミサイルが暴走してんのもお前のせいだからな」
イルマが目を覚ましたのはテントの中だった。隣で起きたての暗殺者がカミュに文句を言われている。
「だからってあんな……!サルに爆弾を持たせているようなもんじゃないか!」
「黙れ、黙って正座しろ」
睨まれて暗殺者は素直に正座した。カミュが頭を抱える。
「その意見には俺も賛成だがな、爆弾を持ってるのは馬鹿なサルじゃなくて賢い可愛いお嬢さんだ。爆弾の作動スイッチがわかるお嬢さんだ。お前は爆弾のスイッチを握ってる女の子に危害を加えようとしたんだよ」
ふうん。私が爆弾を持った賢い可愛いお嬢さんね。じゃあ爆弾がししょーかな?ここまで考えて、賢い可愛いイルマは真相にたどり着いた。
「あー、えっとそのさ、もしかして私は非常にまずいことをしでかしてしまったのではあるまいかね」
「おう、イルマちゃん起きたか。今ボルキイのラッセルとかいう脳みそに絹ごし豆腐が混入したような奴がここにいるんだが大体こいつのせいだ。撃たれそうになって引き金を引いたんだからイルマちゃんは悪くない」
ラッセルっていうのかこの人。脳みそに絹ごし豆腐って、どうやったら混入するんだろう。
「いやあ、私のせいだよ。どういう結果になるかは大体わかってたし……これは、斜め上だけどね」
テントからはあの山の中の病院跡地が見えた。赤いクレーターにしか見えない。しかもその上だけ、雨雲が消えている。
何が起きたか、想像に難くない。
「暴走したんだ、ししょー」
「おう。自ら引き起こしたって感じだけどな。戻れないから暴走だ。あの現地に探査用のドローン飛ばしてみたがわけのわからん空間になってやがる……重力場もおかしい。立体になった子供の絵とか謎の布とか色んなものが浮いてるぞ。ドローン自体も刃の雨で撃破だ」
魔法使いの魔力は、時に暴走する。そして周囲に被害を及ぼす。なぜ暴走が起きるのかは昔から調べられていて、300年ほど前の文献にも『耐え難いことが起こった時』『感情が昂った時』などと書かれているようだ。
しかし、事実は違った。感情は脳の中の化学物質と神経細胞が生み出す微小の電流。百年前にそれだけを頭においてマウスでの実験が始まった。
マウスのような小動物でも微量の魔力はある。魔法が発動せず、何かに利用することもできないほどの量だ。
これに、ひたすら付加系の魔法をかけて観測できる量の魔力にしたところで色々な脳内物質や刺激を加えて魔力が暴走するかどうかを観察した。何とも原始的な方法だった。
やがて原因物質は明らかになった。アババリンというらしい。確かに感情が昂った時などに少量が分泌されるようだが普通に生活していて暴走するほどの量になることはない。
一方これを抑える薬も開発されている。臨床試験が70年前に完了し、暴走の予防に錠剤が発売された。今では改良されて叩きつけると針が飛び出て中身が注入される小型の注射器になり暴走してからでも安心。
「……ま、刺すにはあれをかいくぐって近づかなきゃならないけどね」
「具現が使える魔法使いでもいればあの謎空間まとめて消せるんだが、うちの軍には王家が呼び出せる死霊術師はいねー。イルマちゃんはどうだ?」
「私もだよ。死んだ人には好かれるほうなんだけど、いかんせんヒキが弱くてね。まだ引き当てたことはないんだ」
「ヒキが弱いって?よく言ってくれるぜ、革命の英雄を二人も引き当てといて」
この時点での英雄二人はトマト農家と幻(を見る)剣士である。
「あれは最近死んだ人だからだよ。昔の人ほど転生してたり天狗になってたりして喚ぶのが難しいんだ」
「そうだ、あの二人で謎空間攻略……無理か。言ってもトマト農家と幻剣士だもんな」
「ちょっとカミュさん、トマト農家って言うけどね、あの人は最後の半魔だよ。サラマンダーの巣とか行ったら尻尾をタンタンして縄張りを主張されるくらいサラマンダーだよ。幻剣士は……うん、ラリってるけど」
状況が分かっていないラッセルは一人首をかしげていた。
「トマト、農家……?いや、その前に。暴走は、自分の意志で引き起こせるものなのか?俺は魔法使いじゃないからわからないけど」
「あァ?」
「んン?」
とうとう耐えられなくなった彼が訊くとコンビニの前に溜まってるヤンキー並みの強烈にガラの悪い反応が返ってきた。きゅうっとラッセルが小さくなる。
可哀想なので答えてやることにした。
「トマト農家のオニビさんはトマト農家だよ。あと、ししょーは。……ししょーに限っては自分の意志で起こせた……と思うよ」
「と思う?」
おう。カミュもうなずいた。
「あいつの脳内は好きに操れたからな。思考も思想も、妄想も空想も、能力も体力も。性格に、人格でさえも。記憶だって27通りの方法で消去・上書き・改竄が可能だし記憶を吐き出させるのはもっと簡単にできるぜ。一度立ち会ったことがあるから知ってる」
――「ということは」街ごとミンチになったのか
ラッセルの中で一つの納得が生まれた。あの言葉はそのままの意味だったのだ。名のない男は何も憶えていないのだ。比喩ではなく。本当に何も、憶えていない。
おそらく彼は各国の軍事施設について調べたはずだ。ああもハイエンドな魔導師であれ、そうでもしなければたった一人でいくつもの施設の中にいる要人を殺して回れるはずがない。
最初はそれも、該当する一つの施設についてのみ調べれば良かっただろう。しかし途中からはそうもいかない。
殺すごとに実存の魔導師という名は広まっていった。要人たちはそれこそ用心して新たな施設を秘密裏に建設して立てこもった。
ではどうやって知らない、硬い、入り込めない施設を攻め落としたのか?
――その国のすべての施設を徹底的に調べ上げた上で、施設の中を、場所を、装備を割り出した。
そこはもう常人には理解できない数字と推理と論理の世界である。
どうやって調べられる全ての軍の施設をそこまで――軍の施設以外も調べただろう、トップシークレットに至るまで調べたのかはわからないけれど、とにかく調べた。調べて調べて調べ尽くしたのだ。
「たしか『あの頃の』あいつは記憶力がとびきりよかったっけ。そんで計算がめちゃくちゃ好きだった」
「理系ってこと。今のししょーは10桁以上の数字を見ると頭が痛くなるらしいから文系だね」
彼による彼ではない何かのための調査結果は書き記して置いて置いたらどういうことになるかわかっていたのだろう。すべて彼の頭の中だ。そしてだからこそコルヌタはあんなに早く各国と友好条約を結べた。
27通りの方法とやらで記憶を消去するのを引き換えに迫ったのだ。もちろん、それまでにもっと簡単にできる方法とやらで国家機密を吐き出させた。これはひっそりコルヌタが持っているのだろう。
「だが、そんな……まるで機械に対する扱いじゃないか……!」
わずかにカミュの口角が痙攣した。ふー、と掠れた息を吐き出した。
「言っただろ?お前は核ミサイルが憎かったら制御盤を壊して回るのかって」
「爆弾の作動スイッチを握る女の子を襲うのかとも言われたね」
言葉を失い、ラッセルは思わず立ち上がらなかった。正座のし過ぎで足が痺れていたのである。
「あいつは人間であって人間じゃないんだよ。とびきり精巧なロボットだと思え。会話が成立するくらいのな。そいつにも思想があるようで、思考があるようだ。いや、あるように見える。見えるんだ。実際にはそんなもんないんだけどな。人間を演じているだけだ……それだけなんだ」
しばらく、誰も何も言わなかった。やがてカミュが口を開く。
「まっ、それはいいとしようや。ここにアババリン抑制剤がある。こいつを一本太ももにぶっ刺せば自動で中身が注入されて暴走が止まる……しかし、だ」
「あれじゃ近づけないんだよね」
ラッセルが手を挙げた。
「えーと……暴走は、本人の魔力が尽きれば止まるのではないか?昔の奴ならともかく、今の奴はそんなに魔力が強くないようだし、わざわざ止めなくても……」
またギロリと二人に睨まれてびびっと震える。
「ちがっ、あのっ、それはっ」
「それじゃだめだよラッセルさん」
イルマは首を振った。カミュもそうだと頷く。
「奴は病んでいる。そんな状態で魔力を限界まで使えばどうなるか、想像に難くないよな?」
「だから今、近づく方法を模索してるってわけさ。ラッセルさんも考えてよ」
決めておいてなんだけど、アババリンってあったような気がするんですよね。変わるかもしれないです。