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病み魔法使いの弟子  作者: ありんこ
恋は盲目
362/398

慟哭 前編

 本編です。誰が?

 現場は鑑識も済んできちんと清掃されていた。

 花はさすがに駄目になったらしいが家具なんかも元に戻してある。以前との違いは床がきれいすぎることくらいだ。掃除の手間が省けたな。いぇーい。

 新しき鈍器、オリハルコンの花瓶は何食わぬ顔でカウンターの上に鎮座している。君にもお世話になった。痛くなかったかい?私の石頭もなかなかだったろ。物言わぬ花瓶をなでなでして労わる。花はまたどっかで手に入れてくるから、ちょっと寂しいけど我慢するんだよ。

「……ん?」

 何かを忘れているような気がした。しばし考える。ちょっと思いつかない。思い出せないということは大したことじゃなかったのだろうが、何だか引っかかる。

 イルマが答えを出すより先に、先の病院から電話がかかってきて緊縛されたユングがそのまま放置されていることを知らせた。忘れ物は助手だったというわけだ。取って返してユングと一緒に看護師さんその他の人々に頭を下げて戻る。

 申し訳ありませんでしたと頭を下げてから黙り込み、珍しく騒ぎも泣きもせず、悄然とした様子で事務所のソファに座るユングの対面に腰を下ろした。ぷにぷにの頬が少し青ざめて、捨てられた子犬みたいな顔をしている。

 上着は一張羅だからいいとして、下に着ているシャツが花瓶に花を活けていた時のと同じだ。犬みたいな臭いがしそうである。無駄にでかいが、項垂れて肩をすっぽりと落としてしまっているからずいぶん小さい。すべての関節が体の内側へ向かっているようだ。

 何だろうか、ひどくイライラする。

「何とか言いなよ」

「ごめんなさい」

 間髪入れずに謝罪が返ってきた。イライラが明確な熱に変わってじわりと体の中心を侵す。違うだろう。それは違うだろう。ハゲーっ。理不尽な怒りはホルモンバランスか何かのせいにして隅へ押しやった。会話は理性的にするものだ。努めて静かにゆっくりと語り始める。

「もういいよ、そういうのはもう沢山だ。それより、君はどうして謝るんだい?謝ると優しくなった気がする?」

「……それは」

 違うのだろう。そのくらいイルマにもわかる。わかっていて言った。空色の両目はどうあってもこちらをまっすぐ見ようとしない。これはもっと違う感情だ。

「罪悪感かね」喉の奥でごろつくような声で言った。そうしないと吐き捨ててしまいそうだった。今、この時だけは実に胸糞悪い言葉だ。「わからんでもないがね、え?私にどういう反応を期待しているのかな」

 肩がわずかに震えた。

「許してもらおうとは、思ってません。ちゃんと出ていきます」

 ここでも話題のすれ違いが発生していた。イスカの嘴ってやつか。表情筋を少し動かし、大きく息を吐いて、高い声を作る。

 よく知らないが、内容はこんなもんでいいか?

「何よ……何よそれ……」

 ぐずっ、と鼻をすするのがポイント。

「あ……あんたのせいで!私、私はあんな目に遭ったのよ!?そんな言い方ってないんじゃないのっ。出てって!出てってよ!もう顔も見たくないわ!」

 涙がぽろぽろと流れ落ちる。ユングが初めてまっすぐイルマのほうを見た。効果覿面か。しゃくりあげる噓泣きを消していつもの顔に戻る。涙と鼻水をそのまま残して、魔女は再び口を開いた。

「……とでも、言って欲しかったのかな?君の彼女さんみたいに……かどうかは知らないけど、私に傷ついてほしかった?」

「いいえ……そんな、まさか……でも、」

 いい感じだ。若干ながら覇気の戻った少年に微笑みかけて、じゃあどうしてほしかったのさ、と尋ねる。涙が少しずつ空気中に吸われて、薄い塩の道が現れる。

「……オリハルコンですよ?」

「そうさ、オリハルコンだ。たかがオリハルコンの花瓶で後頭部を殴られて病院送りになって胸郭を圧迫されて窒息死しかけただけだ。それが何だってのさ?」血の通う左手を前へずるりと伸べた。「私は生きてるぜ。ざまあみろだ」

 おずおずと手が二本伸びて、少女の左手をそっと包んだ。温かい手だ。ユングの両手にぐっと力が入る。

「怖かったです。先生が死ぬかもしれないって、そう思って」

「かもしれないじゃない。いつかは死ぬさ」

 死に方はわからない。畳の上で往生するのか、魔族好みに血なまぐさくなるのか、それとも今度のようにあっけなく命を落とすのか。

「ええ、そうなんです、そうなんですよ。でも……先生は人間なんです」

「うん」

「人間なんですよう、人間」

 ユングは声を震わせて、イルマの左手を包んだ両手をわずか手首のほうへ滑らせた。もはや温かいを通り越し、熱い。指先が解放されたのでそっと握り返す。

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