見解と関係
寒いですね。久々の本編です。久々って更新してなかっただけですがね。
「で、残念ながら葬られたのはザビーナの人生の一部でしたと?」
手元の供述調書から目を上げてイルマはそうまとめた。
確かに対応を間違った部分はある。あのもごもごを聞き取るためにでっかい集音マイクを買ってきて声紋を解析するべきだった。だって警察の人にはできてるもんな。はいはい私が悪うございます。
ザビーナはどうやら完全に妄想モードに入ってしまっていたようだ。いや今もか?
しかし突き出してアウト、突き出さなければ当然アウトでは打つ手がない。もちろん彼女のプライドとか何かぼっとん便所の中身の固形物みたいなものを傷つけずに回避する方法があったかもしれない。注意深くやればもっと穏便に済んだかもしれない。
だがここまでの「お前が悪い、私が言うんだから間違いない」にプラスして「私を傷つけないで。私は傷つけるけど」では虫というか、便所虫がいいというか自己中心的すぎるのではないか。いわば一方的な暴力である。
そうすると殺人未遂、そこまでいかなくても傷害罪だ。何年だったかおいくら罰金だったか、どちらにせよ前科者いっちょ上がりだ。
しかしラスプーチンはうつむき、メンゲレはこぶしを握り締める。ユングを放置してこっちへ来たカミュがまなじりを決して答えた。
「いんや、人生まではな。何か知らんが不起訴だってよ。けっ。ふざけてんなまったく」
「ふーん」
情状酌量があったんだろうと思った。どうやら担当検事は女の人だし、うまいこと同情を買ったんだな。初犯でヒス……衝動的とみられ被害者が生存しているのもあったかもしれない。だが甲種の皆さんはイマイチ納得していないようである。
「こんな調書で不起訴なんておかしいじゃないか!まあ衝動的な犯行ってことは認めてやってもいい、いいけどオリハルコンだよ!?金属の重たい塊だよ!?
「下手したら死ぬに決まってる、ちょっと考えればサルでもわかることさ!しかも後ろからなんて殺意があったに決まってるだろ!なのに『だって私は悪くない』だぁ!?こんな異常者外に出しちゃダメだろ!怖えええよ!何考えてんだよっ!」
顎肉を震わせてメンゲレが叫んだ。
「ま、まあ落ち着きなよ、何かこう、あったんだよきっと」
「あるもんかっ。しかもこいつ反省してないじゃないか!おいらが検事だったら水責めからの火あぶりにしてやるのに!公開処刑だ!」
「ラッさん中世に戻ってるよ!?」
おかんむりなお二方を頑張ってなだめる。直接被害にあったのはイルマだけのはずだが、この方々がこのモードに入ると各所に被害が拡散する。頭は痛いが無理にでも話題を変えろ。考えるんだ私!
「んで、私は少なくとも一日分の業務妨害と頭を殴られ昏倒する程度の傷害の被害にあったわけだけど、そのへんの落とし前はどうつけてもらったらいいのかなあ?」
死んではない。転んでもただでは起き上がれない。生きる糧を得てからだ。
「うん、そっちは確かに損害があったからね。魔導師の人権を守ろうの会に相談して弁護士探して民事で訴訟を起こしてるよ」
「おおっ仕事が早い!さすが最年長だよ!」
「それほどでもあるー」
きゃっきゃっと和やかに談笑する。よかった、落ち着いてきたみたいだ。
実のところ甲種の五人の力関係はイルマにもよくわかっていない。
普通に考えたらまとめ役であるラスプーチンが一番偉いはずなのだが、彼は公僕の赤い蹴鞠という変なあだ名からもわかるように何かあると蹴られている。不死身なんだから蹴られるくらい大した被害でない、唯一暴力を振るっても怒られない上司なのだ。
矢面に立っていると言ってもいい。蹴られている理由は大したことではない。子供の姿なので殴るより楽というただそれだけのことだ。
次に偉そうなのは紅一点、セクハラを盾にできる東郷だが、これもイマイチだ。
奥の手として取っておけばいいだろうところ、彼女は何かあるといや何もなくともこれを持ち出すため大抵の地位からは「あいつは面倒くさいからなあ……」と最初から敬遠されている。さらには魔物の討伐も時々行う甲種の中で最も実戦向きな魔法を使うが指揮を任されることはまずない。
さっきの敬遠ともうひとつ、東郷に素質がなさすぎることが理由である。いわゆるヒステリー体質ですぐキレる、唐突に泣き出す、動揺すると戻ってこないのだ。
外面はいいのだが、その中身が同僚たちに完全に知れてしまった今となっては姫にもなれずただの手のかかるコとなっている。
役場の窓口業務から上がってきた才蔵は唯一の大卒で、黙々と根気強く仕事をやるしサボったり手を抜いたりもしないので重宝がられているが、本人が卑屈なのでそれ以上の場所には到達しない。
本人にもう少し野心と自尊とカリスマがあったら無能な人事に定評があるラスプーチンの代わりにまとめ役につけられそうな人なのにもったいない話である。
何の比喩でもなく口を開くだけで人を殺せるカミュはその性質上、上に立つことは決してない。
一方甲種魔導師としては古株で場数を踏んでおり、戦場に出ると滅多なことでは動じない。奇策妙策は何もないが、部下の言を聞いて冷静に判断するので参謀役さえいれば十分に指揮官が務まる。
また温厚で人当たりがよいので乙種以降の国家直属魔導師たちに慕われている。
最後に五人の中で仕事量がダントツ一位で皆から一目置かれるメンゲレだが、彼は職場の調和を保つために成績などの実力より上下関係を重んじる傾向にある。
下剋上など考えもしない。意見もほとんど前に出さない。よってラスプーチンには頭が上がらない。さらに昔は実存に振り回されていた。実存関連の事態を毎度収拾していたカミュにも頭が上がらない。
昔はもっとわかりやすい勢力図だった。
20年ほど前にはナイチンゲールというおばあちゃんがどでんと構えていて、この人が徹底してラスプーチンを担ぎ上げていた。
彼女がぽっくり逝ってからは実存だ。彼本人には何の意志もなかったが、奴は台風のようなもので常に公務員たちをひっかきまわした。これによりカミュを中心としてある種の団結が見られた。
幸い、イルマはこの日のうちに自宅へ戻ってくることができた。
もちろん数日は事務所を閉めて安静にすることになっている。とはいえこれも念のためだ。脳にはまだ未解明な部分も多いし、武器の素材が素材である。
しかも裁判のほうも出廷を言い渡されるかもしれない。自宅休養というわけだ。今回は背後への警戒が足りなかったなあと述懐する。