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病み魔法使いの弟子  作者: ありんこ
過ぎ去ったあれやこれ
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白い悪夢

また回想回です。回想のためにある回なのです。「彫像の白金」の続きですね。書き溜めが底をついたのでしばらくゆっくりになります、ご容赦ください。

 外は雨も降っていて、死者と世間話をしながらの待ち時間は一層寂しさを増した。待ち時間といっても何も待つべきものはないのだが待っていると思えば無目的でない分いくらか気もまぎれるというものだ。

 いや、師が意識を取り戻すのを待ってはいるのか。きっと意識が戻ればひょこっと起きだしてイルマを連れて事務所に戻るだろう。

 事務所、と呟いて鼻で笑う。ずいぶん他人行儀な言い方をしたものだ。今となってはもう自分の家はあそこしかないのに。

「ところで娘さんの青い目ってどこから来たの?オニビさんはそんな感じじゃないもんね」

「そこは妻に似てたんだ。彼女は美人だったんだけど、あの子が似たのはほんと、そこだけで」

「地味にひどいこと言うよね……こわっ」

 イルマの魔力が尽きたところでオニビは帰っていった。ここからは本当に暇だ。何もすることがなくて師の顔を覗き込む。相変わらずの静かに呼吸を繰り返す、無表情な顔。

 不意に瞼が震えた。しばらくして藤色の瞳が現れる。

 彼は何も見ていないようだったが、やがてイルマのほうへ焦点を合わせた。唇が何か言おうとするかのように動く。ししょー、と呼びかけて、――後ろから肩を掴まれた。

「動くな、実存――」

 ぱたぱたっ、ともつれる足音が白い部屋に響いて、深淵の瞳孔にはっきり映る自分の顔が、ゆっくり遠ざかる。今更気が付いた。

 ああ、私のししょーは今、注意を促したかったんだな。

 私の名前とか今の状況についてとかそういうのじゃなくて。そうだよね、ししょーって史上最年少で魔導師になったりしてて実は優秀なんだもんね。状況なんかとっくにわかりきっているもんね。

 状況を把握しないといけないのは、むしろイルマのほうだ。ゆっくり観察を始める。

 男は声を潜めていた。こういう声は聴いたことがある。いや、聴きなれている。ちょっと前まで毎日のように聴いた声の種類だ。最近、どうして聴いていないんだっけ?

 ひたと首筋に貼りつく冷たい金属の感触を無意識に逃げようとすると、肩にあった手が滑って頭を掴まれた。こういう動きも知っている。獲物を逃すまいとする動き。

 いたなあ、こういうタイプの人もさあ。人質を取ればなんとかなると思ってる人。いや、暗殺者か。哀れだ。はっきり言って哀れだ。

 人の体内でも厳重な金庫の中でも不思議空間の中でも好きなように、刃物だろうが爆発物だろうが劇薬だろうが鼻炎薬だろうが具現化できるこの師に限ればその手は使えない。

 脳幹を一撃で破壊すれば人間は一瞬で死ぬので、末期のうんちゃらかんちゃらで人質が害される心配もない。そんなこと、彼でなくとも知っている。だから人質は、彼には効かない。

 しかし、それは平時のことである。

 ではこんな状態の師が一瞬で人質対策を取って、一瞬で魔法を発動して、それでもって一応プロだろう暗殺者を瞬殺できるのか?ただ病に臥せっているのではなく、倦怠感に椅子に沈んでいるのではなく、手術を終えた後の彼に?

(あれ、どうして忘れていたんだろう)

 病名はおろか外科的治療の方法も一切、イルマは知らない。

 だが胸部から腹部にかけて、大きく切り開いて、中身を大なり小なりいじくって、もう一度縫い合わせて、無駄な出血や傷が開くのを防ぐために治癒の魔法をかけて、……だから大きな傷が残っているはずだ。

 幼い弟子の少女に見せるにはためらわれる大きな傷。

(ししょーはずっと病気だったっけ)

 毎日毎日、進行を遅らせるための薬を飲んで、症状を和らげる薬を飲んで。またそれらの薬の副作用を抑えるための薬を飲んで、痛み止めのモルヒネに酩酊して。そういう毎日を送るのがイルマの師だった。

 免疫が弱いのだろうかなんてとんだおとぼけだ。熱が出たのはそりゃあ確かに風邪でも引いたのだろうが、少々早めの夏風邪にでもなったのだろうが、あんながたがたの身体に免疫なんてものが残っていたほうがよっぽど不思議じゃないか。

「……動かないが、どうした」

 魔導師は頭だけを巡らせてイルマの背後の男に、どういうわけか、心なしか堂々と悠々と、いつもの調子で語りかけた。今は優しくすら聞こえる口調だった。

 瞳孔に、男の顔が映っている。たぶん黒髪か灰色だ。五厘刈りで垂れ目にあどけない感じが残っている。20手前くらいだろう。暗殺者にはちょっと若すぎるんじゃないかという風貌だ。

「動かないのか?」

 困惑をにじませて立ち尽くす暗殺者に、師は何をどう解釈したか、自分の言動を修正した。

「というより……動けないが、どうした」

 いや、それは、わかっているんだが、もごもご。小さい声だった。後半はボルキイ語だろうと思うしイルマはそれも母国語と同様に操れるのだが声が小さいのと訛りが酷いのとでよく聞こえなかった。

 師はさっきの言葉をもう一度流暢なボルキイ語で繰り返した。動けませんが、どうかしましたか?教科書並みに正確だ。言語の問題と思ったものらしい。

 いきなり聞こえた母国の言葉に男は少し驚いて、訛っているボルキイ語ではなくて流暢なコルヌタの言葉で答えた。

「こいつは、お前の娘か何かじゃないのか」

 今度は師が困惑する番だった。「違う……」と眉をハの字にして呟く。

「えっ」

「えっ」

 間にいる人質としては、本当に気まずい時間だった。

「じゃあ何なんだ!?」

「弟子だが何だと思ったんだ、お前は」

「弟子がいたのか!?」

「けっこう前から。情報が古すぎるぞ暗殺者のくせに……いや、雇われた暗殺者ではないようだな」

「お、おう」

 軌道修正した!気まずかったんだ!

「ハンナという名前を、憶えているか」

「さあ、よくある名前だからな」

「クラバリアという地名は」

「さあて、この辺では聞かないな」

 ちょっと拘束が緩んだ。脱力している。イルマは大きなお世話だろうと思いつつもこっそり耳打ちせずにはいられなかった。

「何だか知らないけどこの手の言葉がししょーに効いたことは一度もないから頑張ってね。朴念仁っていうか唐変木っていうか、ちょっと変わってるから」

「……そうなの?」

 男が口調を頑張って作っていたことが分かったところで、ぶっふーん、と魔導師が咳払いをした。ざわ……ざわ……閑話休題……閑話休題……。

「クラバリアはお前が、」

「ああそういえばあそこにいたな、ボルキイの大統領。閑静なところで老後住むのに良さそうだったぞ。ホテルの夕飯の定番メニューはぶり大根。だが……『ということは』街ごとミンチになったのか」

「よ……よくわかってるじゃないか」

 律儀にも思い出していたらしい。第三次世界戦のとき、彼はあっちでもこっちでも国のトップとか軍の上層部とかを殺して回っていた。じゃあこの人はその時の巻き添えの遺族だろう。

「しかも夕飯付きのホテルに泊まってよく……あ、変装してたのか」

「変装なんかいらん。杖だけ布に包んで、服装をその辺にいそうな感じのものに変えて、ヒッチハイカーしてれば国際指名手配犯でも捕まったりしないしそれなりのホテルにだって泊まれるし職質されても平気で躱せるものだ……戦時中だっつうのに俺がのんびりハンバーガーを食う隣で一般人が不法駐車でキップ切られてるのは見ものだったぞ」

「……前科もないのにダストシュートから侵入してダクト内を匍匐前進して、そっとここまで入ってきた俺の労力とはいったい……?」

「うむ、骨折りであった」

「見舞客のふりをしてずんずん入ってこればよかったのにね。お疲れさまー」

 この時の彼の行動は是か非かで言えば間違いなく非だった。

 暗殺者なんだったら変な風に昔話を持ち出したり、そのせいで調子を狂わされたり、うっかり談笑したりせずにとっとと殺るべきことを殺ればよいのだ。今の間に通報されたらどうする。

 もちろん通報なんて誰もしなかった。なぜかこの病院には……とくに、この病室の近くには……全く人がいないから……。

 受付のナースに千里眼でもいれば話は別だが、当事者三人のほかに目撃者は一人もいなかった。のうのうと不審者が喋っていられたのもそういう理由である。

 この不審者が暗殺者として三流だとわかるのはそれだけではない。病室の近くに誰もいないという状況に、不審だと感じる神経がないことだ。

 せめてそこだけでも二流程度にセンスがあれば彼は最悪の事態を避けることができたはずだった。

「お前のせいで……無関係な人が大勢死んだ」

 悲痛なセリフに魔導師は純な笑みを浮かべた。天気の話でもしているような口調で答える。

「はは、曲がりなりにも戦争中に無関係な人間などいるものか」

「だが街ごと消す必要なんかなかっただろう!?」慟哭に近い声がして頭を掴む手に力が入った。これではアイアンクロー状態だ。

「あそこは……軍の施設もなかった!ただの、閑静な住宅街だったんだぞ!?」

「大統領の生体反応を隠すための森として使われたただの閑静な住宅街、か。一本の木を隠し、守るために作られた建物は、軍の施設と言わないか」

「だけど!だったらそこだけ潰せばよかっただろう!?あの事件から!家にも帰れず遠い親戚の家に厄介になって!しばらく街の名前が地図から消えて!数年後に戻ったら家どころか道どころか、荒地しかなかった時の俺たちの気持ちがわかるか!?」

 魔導師は微笑んだまま何も言わずに聞いていた。イルマが録画したメロドラマもこの顔で見ていた。ぜんぜん興味がない時の反応である。

 しかし青年は、気づかない。

「俺は外に働きに出てたから何ともないが!町に残っていた奴らは!友達も恋人も親も兄弟も皆挽肉だ!顔の造作もろくに残ってない『知り合い』を確認させられるときの感覚!四肢の半分も残ってない親友!あいつらの顔が目を閉じれば浮かんでくる……!」

 知らない人にはわからない程度だが、魔導師は眠そうにゆっくり息をしている。この手の文言は聴き飽きた、と言わんばかりの表情である。

 放っておいてもそのうち死ぬということで復讐者が寄り付かなくなって半年、そろそろ違うパターンが聴けると思ったのになんて声まで聞こえてきそうだ。

「……だから、お前も味わえ……!大切なものを失う痛みを!」

「えっ私っ!?ふざけんな!」一緒に眠くなっていたイルマは我に返った。ばたばたと暴れる。

「放せ!放せええ!ししょーと私は血のつながらない他人なんだよ!勝手に巻き込むな!殺し合いがしたかったら自分らだけでやってろこん畜生!」

「ふ、薄情な弟子を持ったもんだな、実存」

「まったくだ、ははは」

 だから談笑するなと。笑ってる場合かと。殺されかけているイルマからは全く笑えない。

 師の表情はまるで変わらないが、わずかな動揺が見て取れた。これはいけるかもしれない。最終手段を実行する。

「ししょー!助けて!助けてっ!私は!あなたの弟子はまだ死にたくないっ!」

「お前、さっきと言ってることが違うだろうが!」

 ぐにゃり、と真っ暗な瞳孔の中に映る像が歪んだ。涙とかそういうものではない。瞬きをした後とかそういう話でもない。なぜか彼はここ20秒ほど瞬きをしていないから。

 澄んだ藤色の瞳がどろどろに濁ってゆく。微笑みも消えた。おそらく痛みと痺れで動けないはずの上半身が起き上がる。

「動くなって言っただろ!」

 たぶんその声は聞こえていない。実存の魔導師は虚ろな無表情で呪文のように唱えた。

「助けよう」

 その瞬間確かにすべてがうまくいったのに、イルマは「しまった」と思った。

 男はイルマを抱えたまま後ろへと進み、背中で窓を割って外へ飛び出した。今までいたところに鋼の刃が突き刺さる。真上から落ちてきたようにしか見えないが、この病院の天井にはそんなものは仕掛けられていなかったはずだ。

――具現、か。

 三階から落ちながらそう思った。雨は降り続いている。一寸先は薄暗闇だ。

 具現化が発動するメカニズムはよく知らないが、視界に入ることが必須ならこれでいくらかは避けられる。彼のいた街を滅ぼしたのは別の魔法だったが、これも町一つ焦土に変える程度の威力は持つはずだ。

 実存の魔導師の魔法はかつての革命の英雄、フロストの魔法とよく似ている。あるはずのないものをあるはずのないところに具現化するのだ。

 これが使える魔法使いはコルヌタの王家の一部にしか現れなかった。そして王家は既に絶えている。内ゲバと革命で絶滅が確認された。フロスト自身も行方不明になって久しい。

 ゆえに実存はイレギュラーな存在だった。おそらくいつかの王族の誰かの血を引いているのだろう、しかし過去がない。DNAにしても王家の墓の中身は腐り果てている。証明など不可能なのだ。

 だからある意味で、不完全な状態でもある。その用法を誰にも教わることができなかったのだ。

 フロストは『概念具現』というものも使っていた。よくわからないが普通の包丁に『よく切れる名剣』という概念を具現化して刃渡りも切れ味も耐久力も変えてしまうのだという。

 これはかつて王家が書いた指南書からの応用だ。指南書は今はもうないし、どこからともなく現れたような男が読もうはずもない。

 つまり実存には、ややこしい構造の物体は具現化できないことになる。爆発物もダイナマイトに雷管をつけただけ、銃は単純で原始的なものだけ、薬物の類は化学式が分かれば作れるらしいがその程度だ。

 大量の刃物を具現化して、あとは重力に任せて落とすだけ。単純な銃を大量に具現化して、その引き金につながる糸を具現化して、一斉に撃つだけ。

 だけ、とはいえ人間を殺傷するのには十二分だ。濡れた二階の窓に男はとりついた。小脇に抱える少女が声を上げる。

「駄目だよ!すぐ離れて!この移動はもう既に読まれてる!私までミンチにされるじゃないか!」イルマは必死で訴えた。

「多分今度は病棟ごと崩すだろう……そのくらいなことは、平気でやるんだ!」

「お前は助けてって言ったんだろう!?何でそんなことになる!?」

「馬鹿なの!?死ぬの!?今のししょーの状態わかるよね!?動けるわけないじゃん!暴れられても困るから両脚は多分ベッドに縛り付けられてる!助けようったってどうせ、適当に状況をひっかきまわすから自分で助かれってことだろ!?常識で考えてんじゃねえよ、ど三流が!」

 ずりっ、と音がした。嫌な予感とともに上を見上げる。そう、三階だ。この真上は。目に水が入ることなど考えない。なぜか、ここには雨が降りかからなくなったから。

 異常に大きな、黒くて四角い影があった。ぱら、と乾いた綿ぼこりが降ってくる。ぴちょん、と小脇に抱えられたイルマの首筋に生ぬるい雫が落ちてきた。

 一種の軟体動物のように植物の根のようにずぶ濡れの白い腕が垂れさがる。腕を追う。同じように白い顔。濁った瞳は光らない。色の抜けた金髪が蛸の触手のように首や肩に貼りつくのが見えて恐怖が沸騰する。

「届かない……届かない……」

 ぶつぶつと、平板な声でそれだけを繰り返す口元にはモナリザとか怖い名画に共通する不思議な笑みがあった。

 そう、届いていない。暗殺者の頭から上30センチのところで手は止まっていた。やっぱり脚は縛り付けられているのだ。異常な状況にのまれて気づけなかったが、まだ届いていない。

「嘘だッ……ベッドごと来たってのかよ!?っていうかどうやってだ!?」

「知らないよ!魔法かなんかだろ!いいから私を放してよ!お兄さんが虐殺されてる間に私は逃げる!」

 ぎい、ぎい。過積載を窓枠が訴える。やつれているとはいえ人の乗ったベッド、アルミの窓枠が耐えられるような重量だろうか。そこは知らない。

 だが今のところ枠は持ちこたえていた。マットレスは水を吸い続ける――重くなり続ける。

 やがて、限界がやってきた。がしゃん、と窓枠が弾け飛ぶ。がくりとベッドが垂れ下がってきた。その上に縛られた患者自身も死体のようにぐにゃり、ぶら下がる。

「……駄目だ……まだ、届かない……脚が、邪魔……邪魔……邪魔だ」

 暗殺者はロボットのカメラアイを覗き込んだ時に似た恐怖と嫌悪を感じ取った。イルマは師の言わんとするところを直感する。

「駄目だよししょー!両脚切り取ったらこの先どうやって仕事すんのさ!?」

 無駄に人間臭い動作で腕を組んで宙吊りの外道が首をひねった。

「仕事……ああ……駄目か。ならば、」

 その先は、強い風で聞こえなかった。

白金といえば……イオン化傾向ですね。しにくかったっけ、しやすかったっけ?

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