一難去って何とやら
お久しぶりです。本編です。
白い天井だった。蛍光灯が眩しい。
ぱちぱちと瞬きをすると、ぎしっと頭が痛かった。何だかどうも気分がよくないようだ。昨日夜更かしでもしたかな、そんな風に考えを巡らせてもう一度目を開ける。
「……れ?」
知らない天井だった。ぽかんと空っぽの脳ミソがゆっくり記憶をたどりだす。朝は結構爽やかだった。ニンニクからも解放されて。コスモスの空き地。ああ、ええと、ひょっとして、とそこまでで思考が妨げられた。
「うわあああああ!せんせぇよがっ……せんせぇー!あぁああああん!」
「わぐっ」
何か倒れこんできた。重い。硬い。でかい。しかもうるさい。肺の中の空気を押し出されて誰だコイツは、と目を見開いたらひょこひょこと跳ねる黒髪のしっぽが映った。
「ユング?お、落ち着いてよ」
「うわぁああああん!ごべんなざいっ……!ごべんなざい!ぐずっ、ああああああん!」
何だか号泣していらっしゃる。それはいいんだけどちょっとどいてくれないかな……つぶれる。窒息寸前のパサパサした小さな声に自分でも驚く。これじゃ聞こえないよ。
あっ、何か目の前暗くなってきちゃった。これヤバいやつだ。
――おーい、塔の魔女どのーっ。
泣き叫ぶユングの声はどこか遠くに飛び去って、凛とした若い女の声がどこからか聞こえた。この声は知ってる。
――わかるかーっ。こっちは駄目だぞー。戻るべきだーっ。
(戻るべき……?戻るべきって、メイリンたら何言ってんの)
――おおーっ。名前、覚えていてくれたかーっ。貴殿はまだ死ぬべきではないーっ。戻れー。戻るのだーっ。
ああ、そういえばメイリンはこないだ殺したんだっけ、とぼんやり思い出したところでイルマの意識は此岸に戻ってきた。ごひゅっ、と呼吸器が音を立てて新鮮な空気を吸い込む。しかしもう一度、深い眠りに落ちていった。
今度は知らないわけではない天井だった。これは二回目だ。
「よかった、気が付いたみたいだね!」
声につられて顔を傾ければ、そこにいるのは赤毛の少年である。『蹴鞠』というワードが浮かんでは消えるのを排除して呼びかける。
「……ラッさん……私は一体」
「覚えてる?君、ユングに押しつぶされて窒息して意識不明になったんだよ」
身を起こしたらげほげほと咳が出た。分厚い掌が背中をさすってくれる。メンゲレだ。
しかし意識不明まで行ってたとは呆れたことだ。ユング、馬鹿め、冥界に行きかけたぞどうしてくれようか、と見回したら隣のベッドに縛り付けられて顔面を濡れタオルで覆われた見覚えのある奴がいた。
隣にカミュが腰を下ろしてブツブツと何事か呟いている。顔面のタオルの上からは才蔵がホースでぽたぽたと水を垂らしているようだ。落ちる水は見えない。あれ、水に『霧隠』をかけて落ちてくるのがわからないようにしてるんだな。
それから、足元のほうには東郷がいて大型犬に足裏を舐めさせている。水が落ちるのに合わせてびくびくと跳ね、大型犬に足裏を舐められて身をよじるあれは。
うん、見なかったことにしよう。
「えっと、その前は?えーっと……」
顔をしかめた。相変わらず頭が痛い。
「大丈夫?思い出せる?」
思い出すの自体は大して難しくなかった。そもそも思い出すほど大量のことが起こったわけではない。
「たぶん、あのおねいさんに後ろから殴られたと思う。凶器は……昨日買ったキンザ器の花瓶かね」
「うん、そうそう」メンゲレが顎肉を揺らした。もとい、頷いた。「でも、もう昨日じゃなくて一昨日だね」
「そりゃ一日寝てたってことかい?」
「合計でね。一度起きて圧死しかけたからね、合わせて24時間ちょっとだね」
「うげ」公務員の皆さんの簡潔でわかりやすい伝達のおかげで混乱こそないが、混乱したほうがなんぼかマシだったかもしれないと思った。「詳しい経緯が知りたいな……一瞬で落ちちゃったから」