二つ目の一方的な別れ話
本編です。「こんな別れ話は嫌だ」一つ目の答えは「事情を知らない第三者に対して一方的に行われる別れ話」でした。
「なにが?」
簡単なことだが、イルマには全く通じていなかった。怯むでなくせせら笑うでなく問いかける。
なぜなら、やっぱりユングを異性として認識していないからだ。だとしても察しがつきそうなものだが、彼女の場合は察することなどありえない。女性が女性に対して男と別れてほしいという感情はわからない。
ただこの人は客で、そう言ってきたんだからそういう依頼なんだろうとそのくらいにしか読み取れない。
「な……何がって」
ひょっとして食い違ってる?この期に及んでその可能性に気づいたイルマは席に付かず、てくてくとおねいさんに歩み寄ってじっと顔を覗き込んだ。
「んーと、お姉さんは私に依頼があってここへ来たんだよね。誰か知らないけど、特定の男性と一度恋愛関係になってそのあと別れてほしいんだよね。ね?……ああ、違うのか」
どうやら違うようだ。何を言っているのかわからないという顔をしている。イルマもさすがに読み取った。
「ああそうだ、彼って言ってたね。男性の三人称単数だ。私にはまだそれが誰なのか見当もつかないぜ。なんせ非人道兵器が親代わりだったもんでね、人情の機微っていうか……世間にはだいぶ疎いのさ」
おねいさんは最初の状態に戻ったというのか、もごもごと何かつぶやいている感じだ。もっと伝えようとしないと聞き取れない。そこまで耳を傾ける義理は私にはないぜ。
「けど予想はできるかな。個人名を出さない理由が知らないからじゃないなら、私とあなたの共通の知り合いなのかね?その彼……」
「そ、そうよ」やっとイルマのほうへ向き直った。声が裏返っている。「とぼけるのも大概にしなさいッ。まるで――彼を、彼を知らない人みたいに」
「それがとぼけてないんだな」
何を言っているのかわからない、とザビーナが思う番だった。え、とか何とかよくわからない声が漏れる。イルマは困ったように口を尖らせた。
「私はあなたと面識がない。覚えている限り今日初めて話したはずだからね。また、現在不純異性交遊もしていないため『彼』に該当する人間がいない。真実知らないのサ、ちったあこっちのことも考えてくれたまえ」
面識がない?ないだって?私となくても彼とあるはずだ、彼とは毎日顔を合わせているはずだ。いやでも確かに直接会うのは初めてで、でも知らないわけがない、だって嘘、嘘だ。
ザビーナの脳細胞は混乱を極めていた。言いたいことは山ほどあるはずなのに、ひとつも言葉にまとまらない。呆けたように目の前の少女を見つめるばかりだ。
「あなたと私の間に何かしらの誤解があるにしても、あなたが頭のお医者さんに行くにしても、だ。情報が開示されないことには私は一切の行動がとれないぜ……彼ってのは誰だい?」
ずい、と迫ってくる。ザビーナは壁際に追い込まれたような錯覚を覚えた。
「教えてよ、ほら」
イルマの言葉に刺を含ませたのは、でもでもだってと口ごもるくせに高圧的なその態度だったのだろうか。例によって面倒そうなことに巻き込まれているらしいことだろうか。実のところは彼女自身にもわからない。ただ、刺の内容はわかっている。苛立ちだ。
追い詰められたという錯覚とこの刺のある言葉が一周回ってザビーナに勇気を与えた。少し息を整えて、口を開く。
「……ユングよ。そこにいるわ……」
ああそうか。そういえばあいつ彼女いたっけな。ということは……。イルマは後半をほとんど聞いていなかった。チクショウと毒づいてずかずかキッチンに入る。
「ちょっとユング!妙におとなしいと思ったらそういうことかい」隅に縮こまってやり過ごそうとしている諸悪の根源を引っ張る。結構重い。「自分のコレの相手くらいわがでやりな!私は修羅場なんかごめんだよォ!」
「いっ、ひいんっ。違うんですう」
何が違うかこの卑怯者。ゆるさん。出てこい。ユングは冷蔵庫と階段の間に挟まるようにしてイヤイヤと泣き言を垂れた。
「僕だってこんなの予想してなかったんですう。単にっ。単に先生に依頼があって来たもんだとそう思ってっ。だって時々先生の話もするからあ」
「ほーうなるほどなるほど、……ゆるさん!」
「ひんっ」
隙間に詰まったユングを引きずり出そうと思いっきり掴んで引っ張る。ムキイイ、重い!でかい!それはどう考えてもイルマの手に余る荷物だった。
仕方なく手を離して、覚えてろハゲ、オトシマエはつけてもらうからな、とか何とか捨て台詞を吐いてザビーナのほうへ戻る。何だかもうものすごく疲れた。
「あー、お姉さん。誤解だよ。実は私、ユングとどのような関係にもないんだ。あいつはうちの従業員でね、部屋が空いてるから貸してやってるのさ。ご飯は何ていうか、物のついでだね」
「……」
相変わらずもごもごの女に、何の気なしに背を向けた。
「速攻でクビにしたりとかは訴えられそうでごめんだけど、そうだね、部屋叩き出すくらいはできるかね。よく考えたら私は女でユングは男なんだよね。配慮が足りなかったなー……おーいユング、荷物まとめて来な」
「いやですうううう」
泣き声だけがやってきた。ユング本体は隅っこに丸まったまま出てこない。かくなる上は付加魔法を使って力ずくで引っ張り出すか。ようし付加魔法を、とそこまで考えたところでイルマの意識はぷつんと途切れた。
二つ目、「この世からの別れ話」。