人生の先輩
本編です。野獣じゃないよっ。
大丈夫だった。夜になったら普通に起きてきて、普通に血を要求してきた。心に疲れを感じないこともなかった。
ともあれこれで一つの危機は去った。まだ暗殺の危険は去ったわけではないけれど、次からはこの家はもっと簡単に警備を探せるわけだ。なお、お坊ちゃんは完全にブラムのフォロワーとなり、ぜひ血を吸ってみてほしいと頼んできたもよう。
「小さい子は貧血を起こす危険性が高いからもうちょっとおなか一杯になってからいただくよ」
「わかったー!」
彼は屋敷の者の血がニンニク臭いとか一切口に出さなかった。嗅細胞が殲滅されたとかそういう理由ではあるまい。イルマをはじめ魔導師の皆さんと社長さん夫婦、使用人の皆さんはおとなしく真祖のためのフリードリンクバーになった。
もちろん、例外はいる。
まず、死者の血は意外と飲んだことがないというのでセバスチャンの血を吸ってみたところ、「火葬場の煤の味」がしたとのことで、一口でやめになった。しかし彼は火葬にされなかったようだ。冥界が影響しているのかもしれない。
なお、セバスチャンの埋葬についてだが、ボルキイでは土葬が一般的で、火葬は主に犯罪者や自殺者への仕打ちなのだ。これをブラムは知っていて、ボルキイの伝統に従い土葬にしたらしい。
寒い地域だから異臭騒ぎもまず起きめえとの判断だ。また、このころ純粋人類が混血人類に対してやらかすのは別に罪ではなかったようである。
なぜか手伝いを頼んだ民草がみんな揃って体調不良を訴えたため、ブラムは一人で深さ四尺いくらいくらの穴を掘り、五尺六寸くらいの男を穴の底に横たえ、一斤くらい石灰を撒いて埋め戻し、なおかつしっかりと踏み固めた。
今一般的なメートル法で言うと穴の深さは「1メートル50センチくらい?」で男の身長は「170……80かな」、石灰は「一キロともうちょっと」だという。当てにならない。
しかし、最後には飢えた魔物に掘り返されてしまい、わずか半年後に腐乱死体を担いで墓を城の裏庭まで移動させる羽目になったとのことである。
再埋葬もやらかした人だけあって領民の怒り冷めやらず、表立っての反対こそされなかったものの誰も手伝ってくれなかったという。この結末を考えると墓穴の蛆の味や腐ってヘドロ状になった人体の味がしなくてよかったとも言える。
「ごめんちょっと君は無理」
さらに前回お断りされたユングが今回もお断りされ、涙目になっていた。もう言葉もないらしい。
しばらく呆然とブラムがドリンクバーを回るのを眺めていたが、やがてしょぼしょぼと肩を落として仮眠室へ向かった。ふて寝の構えである。ちょっとかわいそうになってきた。
「ちょっとくらいいいんじゃないの?あいつ、健康体ではあると思うよ」
「うーん、味じゃないんだよねー。あくまで吾輩の矜持の問題っていうか」おっ?ここでもバレてるな。やっぱりザルだったんだよ。
「もう何もないようなものだとは思うんだけどねー、ここ50年は物が変わるのが速すぎて。まだついてこれてないの」
「そっか」
古老の言葉にしみじみと頷いたイルマを穏やかな赤い瞳が覗き込む。
「あの人も……まだまだこれからだったのにね。人死にだけはいくつ聞いても慣れないや」
思い出した。この目はあの日も見た。魔導師の葬儀にはブラムも来ていたのだ。骨を壺に納めて、朝顔ビルヂングに戻って、形見分けなんかもまあまあ済ませて、みんなが一人ずつ帰って行って、最後まで残っていた。時刻はよく覚えていない。
というか、みんな帰ったと思って一息ついたら実はいた。事務所のテーブルに突っ伏して声を潜めて泣いていた。当時のイルマには大の大人がそこまで親しくない他人の死に涙を流す意味がよくわからなかったが、今はわかる気もする。
きっとブラムの中では二重写しなのだ。いや、もっとかもしれない。これまで仕えてきた王家の人たちと末裔の死が重なって悲しかったのだ。
その割にししょーには噛みついたのは、おそらく分家だからだろう。ユングとの違いはそこくらいしか思いつかない。
「あっ、今日の話、内密にね。発表前だからね」
「はーい」
夜が更ける前に教授は帰って行った。精神的な意味で疲れた。もそもそとベッドにもぐりこみ、鉛のような瞼を下ろす。たぶん、報酬には色がつくだろう。夢がイルカに車を引かせてやってくるぜ。