紺碧の女怪
本編ですよー。
「しっかしやれやれなんだよ」
どうしてこれで魔導師を相手にしようと思ったんだか、と嘆く。
魔導師などと名乗っていても実際、ほかの武器が扱えないなんてうまい話はないのだ。杖だって凶器なのだ。
例えばイルマならサーベルやら拳銃やら鞭が使えて、糸はその意味ではあまりうまくはないのだがこういう見通しが悪くて障害物だらけの森の中なら使い放題だ。
でかい銃などは扱えない。必要もないからだ。
「結界爆弾もストックだし、私はまだ一度も魔法を使っていないんだけどなあ……丁種にでも相手をしてもらえばよかったのに」
足音がした。ちょっとにやっとする。「……おっ、さすがにもう糸は残ってないなあ」
その言葉に反応してユングはさっと杖を構え、気配を読む。三、四。気づけなかった。速い。接近戦になるだろうか。先生、と声をかけると、イルマはなぜか杖を鞄の中に仕舞ったところだった。
まず感じたのは、焦燥。
「な、何してるんですか!?来ますよ!杖を出してくださいよ!」
「今から出すんだよ。接近戦だと、あれじゃ簡単に切られちゃうからね」
二本目だと?目を見張るユングの前で、集落では出さなかった二つ目の杖がずるりと姿を現した。少女が扱うには少し長すぎるようだ。が、当のイルマはそんなことは気にも留めずこーんと地面に突き立てる。
いや、これを杖と呼んでもいいのだろうか?
柄の部分はユングの杖と同様、タガヤサンでできているようだ。石突きの部分には金属が被せられている。けっこう豪奢なつくりだが、ヘッドの部分はまさしく異形。
太った三日月のような形をした、金属の塊。三日月の二つの角の間に、もうひとつ尖った突起が出ている。これは戦斧に近い。獣の顎にも見えた。
金色の中に二つ、鮮血のような赤い宝石が埋め込まれて輝いている。全体の豪奢さと異なり、後になってただの色ガラスだと教えられた。
しかし、もっとも異様なのはこの杖が染められているという事実だった。
古い血の色が、タガヤサンの特徴でもある美しい木目を見事に浮き上がらせている。ヘッドの部分も染みついた血の色を隠せはしない。多少は拭ったのだろうが、拭い切れていない。
血染めの杖にユングが目を奪われている間に何かを召喚する門となる魔法陣が描かれたところで、イルマはよいしょと中心から杖を取り去った。そのすぐ目の前まで、ブロードソードが迫っている。
かしゃん、という音がした。次に、ぐしゃっ。
「あーあ、せっかく呼んだのに、獲物が残ってないと怒られちゃうよ」
剣と人の腕とオリハルコンの鎧を粉砕して、少女は笑った。今のは単に、袈裟斬りの逆の要領で三つの突起がある方を向けて振り抜いただけである。
一瞬遅れて片腕を失った人の絶叫が上がった。
「このペースじゃあなあ……あ、でもまだ片手は無事だから戦っちゃう感じ?無理か。急かしておくよ」
片腕をなくした騎士は少女の声など耳に届いていないらしい。のたうちながらわけのわからない叫びを繰り返している。
イルマはまた新たな血を吸った杖でこんこんと陣を叩く。射かけられた矢を防ぐのに、やっと二回目の魔法を使った。小さな火の粉を出す下級の魔法だが、三本の矢がすべて焼き尽くされる。
この辺りで、ユングは何かがおかしいことに気付いた。
(魔法の威力が上がっているのか?)
普段の杖は、イルマが注いだ魔力を三分の一吸い上げて封印していると聞いた。その封印がなければ、こうなるのか。あっけにとられて彼女を見ていたユングは、背後から迫る影に気付かなかった。
「危ないよ?」
若い女性の声が優しく耳朶を叩いたことで振り向くと同時に視界が真っ赤になった。
「いっくよー、天国名物!転生あるあるー!」
「いぇーい!」
心を洗われるような清々しい空色の花が咲き乱れる草原に、そんな声が響いた。手作り感あふれるステージに若い女性が立っている。ノリノリで答えるのは年齢性別も様々な人々。
その近くに簡単なテーブルと椅子がいくつか並んでいて、一つには男が二人座っていた。
ここにいる誰もに共通するのは一つだけ。
「そのいちー!死んでからボケてた間の記憶が完全版で戻ってきて黒歴史認定を受けるー!」
「うけるー!」
みんなもう死んでいる。姿も各々の生前の記憶から出しているもので、死んだときの年齢ではない。さすがに死んだときの年齢では少子高齢化の今老人だらけになるだろう。
「そのにー!待ってた友達がなかなか来ないから問い合わせてみたら自分でさえ天国なのにそいつだけ地獄に落ちててびっくりするー!」
「するするー!」
天国、ゴキゲンだった。簡易的なカフェでくつろいでいる男の片方が、飲んでいたコーヒーを置いた。
「けっこうくだらんことをしているのだな。地獄にいた時のほうが毎日充実してたかもしれん」
かつて見事なプラチナブロンドとビスクドールのような硬質な容貌の美青年だった死者が口を開いた。今も、そんな姿はしている。もう肉体はない。
同じくかつては若白髪で火の消えた炭のような、墓場から這いだした亡者のような姿で生きていた死者のほうは……実態が見た目に追いついたと言うべきか。
「だからくだらないことでもしてるんだろ。それも飽きたら何か……虫やら鳥に生まれるかね?人間はもうしんどい。天国なんてそんなもんさ」
「そのさーん!生きてた時死んでから会ってみたかった偉人に、死んでからもやっぱり会えなーい!」
「あえなーい!」
「必死で探してその偉人の生まれ変わりが自分だったりすると、いろいろ下がるー!」
「さがるー!」
それは生前気付いたら嬉しいのではないか?二人はつい二度見した。
「うおおおおっ!結婚してえええ!」
「……お兄様は何をしているのだろう?」
プラチナブロンドはぼそりと呟いて、他人のふりをすることに決めた。
「フロイトさんは相変わらずだよなあ。死んだら三大欲求は弱まるのに」
「あんな煩悩まみれでも天国に来られることに驚きだな。地上のどこかにお兄様の隠し子の子孫がひっそり生き延びていても私は驚かない」
「でも、もてはしなかったんだろ?まずないさ」
「蓼食う虫も好き好き、と言う」
さすが身内は辛辣である。
ユングはレンズにかかった血を拭った。
赤い目の前がいつも通りに戻る。これといって痛いところはないということは返り血だ。足元に微かに痙攣する穴だらけのフルプレート。だが、目を奪われるのはそれではない。その上。屹立する、青色の影。
「キミね、他人の心配なんかしてる場合じゃないでしょ。賢いんだから自分の実力くらいわかってるでしょ?彼我の差も。よく考えて行動しようね」
ガラスでできた美女の身体が溶けたような輪郭をしている。全体としては流動する青い液体で作られているが、全身には不透明で同色の茨が絡みついている。
一輪、空色の小さなバラが咲いていた。その頭部には一本も頭髪がない。しかし茨が冠のように頭を取り巻いているので殺風景とは思えなかった。
「にしても彼も甘かったなあ。ボクが彼なら、一瞬動きを止めたりなんかせずにさっさと斬って捨ててたのにさあ。時代遅れの騎士道精神に救われたね、駆け出しの魔導師クン」
ヒトではない。知性のある魔物、魔族。その最高峰。かつていた種族と同じ名をつけて魔神が直接産み落とした一種一体の魔族、ウンディーネ。
「あなたは……」
それを知っていて、ユングは問いかけた。暗い穴になっている『彼女』の両目がじっと彼の眼を覗き込む。あんなでも視力は常人程度ある。
「ボクは領主。人間の世界から逃げ出した前科者どもの守護者にして支配者。つれあいの遺志を継ぐもの……」
すう、と息を吸い込むような音がして顔面が波紋を起こす。
「そして、大魔神コールの愛娘。同時に彼の友人でもある水の精」
ああ、知っている。この口上も知っている。ずっとすぐ傍で聞いてきた、お決まりの口上。少年のような声と、口調。懐かしい。身体の奥底で血肉が喜びの声を挙げる。
「ボクの名前は、オフィーリア」
微笑はユング以外の何者にもわからなかった。
「おばちゃん、掃討よろしく。位置は私が割り出すから」
「わかってるわかってる。半殺しと皆殺し、どっちがいい?」
えへへーどうしよっかなー、と無邪気に少女が首をかしげる。まるでハンバーグのソースをデミグラスにするかケチャップにするか相談しているようだ。
「半殺しくらいがいいかな。一応ほかのところでも問題になってるみたいだから、何人かは捕まえて情報を吐かせたいなー……できる?」
「愚問だね。で、位置はまだ?」
「さっきから私の血液に混ざって一緒に見てるでしょ。わかるんだからね」
「あはは、気づいてなかったらおいしく食べてあげようと思ったのに。残念」
「下剋上なんて百年早いよ!ふふんっ」
青い茨が木立を縫って飛んでいく。この触手、どこかで見たことがあるな。イルマはジッとユングのほうを見た。
「……何ですか先生」
視線がそれていく。
「ユングのおばあちゃんってーオフィーリアさんだったんだーしらなかったなーわたしひとこともそんなこときいてないなーなんでおしえてくれなかったのかなー」
「……むしろそんな事実がありませんね。誤解です」
嘘をつけ嘘を。杖を片手につかつかと歩み寄る。
「もしかしてとは思ったけど、いくら何でも似てないなと思ってた私も悪いけどちゃんとそういうこと言ってよね。すべてをなかったことにしようとするんじゃないよ」
「言い出すタイミングを失ったんです。しかもあまり似てないし……その杖をこっちに向けないでくださいよ、何かの拍子に手が滑ったらどうするんですか」
「滑っちゃうかもねー。私は意外と手汗をかくタイプだからうっかり滑っちゃうかもー」
「あははは」
「あははは」
手袋をしていて手汗が関係するか馬鹿者ーっ!馬鹿者とは何だユングのくせに!とうとう口喧嘩を始めた子供二人にオフィーリアは深々とため息をついた。
家庭環境がいろいろと複雑なのは複雑なのだ。孫なりに思うところがあったのだろう。
「思春期だなあ……」