最後以外の一撃 上
ちょっと長いので上下に分かれてます。本編です。
もうまな板の上のクラーケンだ。後は料理をするだけ。なぜなら逃げを装い誘き出しての一撃を打ち砕いたことになる。
なるのだが、ダメだ。
しばらくは動けないのだから、もう後はイルマの手足を結束バンドか何かで縛って転がしておくだけである。
だけだが、それもダメだ。
だって、もう。
「……え?」
枯れ木が崩れるようにメイリンは膝をついた。呼吸が苦しい。ずるずるとその場に伏せる。咳とともに生ぬるいものが噴き出す。この絨毯はこんな色だったか?
あべこべにイルマが立ち上がる。殴られた腹をさすりながら、さもつまらなそうに。
「あーあ、下手に避けなけりゃ一撃で楽に死ねたのにさ」
いててーと冗談のように痛がる。決まりが浅かったのか?まさか。そんなはずはない。手ごたえは十分すぎるほどあった。
空気。空気をくれ。
「脇の下に大きい血管が通ってるからねー、少なくともこんな苦しい思いはしなくて済んだんだぜ」
少女はこちらを見下ろして、けらけらと笑う。魔的に、どこか淫靡に。
塔の魔女。その二つ名がふいに実感と納得を持って脳裏に去来する。さっきまでイルマが倒れていた地面に、白っぽい包みが落ちている。カイロ?まさか。イルマが事前に準備することは不可能だ。あることに気づいて、さらに目を見開く。
「そ、れ……わたし、の」
結界が主とともに崩れて消えて、暖かくなるはずだが嫌に寒い。体温が奪われていく。そうか、こうすればよかったのか。冷気の発生なんて回りくどいことをしなくてもよかったじゃないか。無駄な努力だったな。
「そーだよ。さすがにちょっと冷えたけど、ありがと。メイリンさんね、予備のこと考えてるんだろうけど、自分の攻略グッズ五つも六つもポケットに入れちゃダメだよ。掏られてもわからないからね……せめて二つにしな?次があれば、あればね……けへへっ」
しぶといわけだ。確かに、カイロがあれば体温の低下は遅らせることができる。だが掏るような隙を与えた覚えはない。
「い、つ」
「最初。頭下げた後さ。今時ひったくりとかのほうが多いからね。知らないかもしれないけど、一瞬でも触れたら十分なんだよ」
けらけらけら。笑い声が頭の中でいやらしく反響する。
――じゃあ、最初に飛び込んできたのは。
「あなたが懐に何かいっぱい持ってんの見えたから」
「けど」
「わかるもん」
魔女の笑みは何だか人懐っこい。
「わかるよ。単なる強化のための道具なら鞄に入れるほうがいいから違うだろ。懐に入れておいたほうがいい道具で、大白蓮の魔法を考えると……カイロかなー、って」
だってあなたもあの冷気の影響を受けるもんね?それもその通り。防寒用の温熱の魔法は『服の中』という範囲指定だから素早く動くことを必要とする戦闘中はあるだけ無駄だ。
「……げふ」
「あ、苦しい?そうだね、肺に穴をあけたからねー……わかる?自分の血が肺に流れ込んでくるの。もうここからは魔法で傷口をふさいでも無駄だ。そうだよ、溺死するんだ。それにしても冷気発生陣二つ目なんて……手間が省けた。ほんと、ありがとうね!」
罠だったのか。そう思った。
格闘戦を挑んだのも、靴の仕込み刃を見せて来たのも。メイリンに時間稼ぎを選択させ、より気温を下げるため。結界を破ったことが風で知れるように、そしてそれは、逃げたと思わせ背後から襲い掛かるため。
足元に落ちていたナイフ。あれだ。魔法でもなんでもなく、単にナイフ投げの要領で投げたものだろう。内側の結界はあえて脆く作ってあるし、ひょっとすると事前に付加魔法をかけてあったのかもしれない。さらに自身は投げたのと逆方向に潜んだ。
まんまと引っ掛かった獲物が背後を見せるように。