鶏肉は笑うかもしれない
お久しぶりです。勉強は楽しいし更新は停滞気味です。
「そんでどーしたんです」
夕飯を口の中に掻きこみながらユングが聞いた。反応がいつもと同じだ。ちょっと奮発しすぎたかもしれないと思う。
「どーもしないよ」イルマも参鶏湯をもう一口口へ運んだ。「切った指手当して、包丁とまな板洗っちゃって、何事か聞きに来た近所のおじさんにゴキブリが出たんです夜中に大声出してごめんなさいしてそれっきりサ」
カミュが帰った後、丸鶏を肉屋で買ってきて、お腹にもち米としかるべき薬味を詰めて寸胴鍋でぐつぐつ煮込んだのである。
いつもなら丸鶏の代わりにワイバーンのもも肉に包んでやるところだ。それをわざわざホンモノを仕入れたんだから誉めてほしい。本格派なわけだがちょっと高かった。
せっかくだから七輪を出してきて屋上でやってみた。あえて言おう、炭火であると。
カラスがものほしそうな目でご覧になっているのを見張りつつ、じっくり面倒を見た。そのあとそれなりに鶏をばらしてそれぞれの器へ盛り付けた。お好みで加える用にチェジャンと塩コショウを卓上に並べてある。
「いや、悲鳴上げてたんでしょ。ショックじゃなかったんですか?」
「ショックだったんだと思うよ。さっさと布団にもぐって寝ちゃったからね、夜中だったけど」
「そうじゃなくてですねえ……先生自身の話ですよ」
ピンとこなかった。そのころにはもう、比較的無事だった精神も病みだして、情緒不安定にもなれば幻覚だってちょくちょく見ていた。
注意力が散漫なのも記憶が混乱するのも薬のせいか病のせいか闘病生活の疲れによるのかわからないがたぶんどれかである。そんな自分の状態を師が身に染みて実感したのがこの時だっただけだ。イルマはずっと前から知っていた。
朝食を食べたのを忘れて何度も食パンをトースターに入れて、そして焼きあがったのを回収しそこなって放置していることもあった。夜にはほかの誰にも聞こえない祭囃子に耳をそばだてていた。
だから少し答えにくかった。
「……別に。前からだもん」
「左様ですか」だったら聞いてみてもいいだろうか。「その病気って、結局何だったんですか」
別に医学に興味があるわけではない。実存個人にだってそこまで深い興味はない。ただ、一応親族である。ゆえに知っておくべきだろうとあたりをつけた。
ユングが一番怖いのは遺伝病だ。弱視の原因となっている、半魔を生み出すために無茶苦茶をやった母方はもちろんのこと、長きにわたり国のトップに立ち続けてきたやんごとなき血筋たる父方にも可能性はある。
異母兄弟なら結婚してもよかっただとか、血を濃くするために親族間での婚姻を繰り返しただとか、上級貴族は王家との更なる結びつきを求めて何代も娘を妃にしただとか、どれもこれも昔の話だが、その昔からずっと続く血筋の最終地点が自分――と、実存の魔導師。
もしそうなら、遺伝病ならユング自身にも脅威が及ぶ可能性はある。固唾をのんで見守ろうとしたその時だった。
「それがねぇ、よくわからないんだよね」
――ずこっ。
調子を狂わされると人間は本当に力が抜けてしまうらしい。
「わ、わからないんですか」
「うんわからないの。症例が少なすぎて名前すらないし、おかげで治療法も原因もよくわかってないし。とりあえずししょーをバラして」
「ば、ばら」
「うん解剖して……大丈夫かい?腐ったきな粉餅みたいな顔色になってるけど」大丈夫です続けて下さい。いつになく遠くから自分の声がした。「そっか。じゃあ続けるよー」
イルマはここで参鶏湯を一口挟んだ。ちょい太めの骨が入っていたのを口から出して、チラシで作った屑籠へ入れる。




