あの世とこの世の境目で
ヒャッハー皆読んでるかい。読んでないかい。そうだね。私はよく言われるのですが他人の期待に沿うようなものの製作は苦手です。小説に限らず。どれもこれも予想の遙かななめ上を行っているようです。
何で人の予想ぴったりにものを作らねばならんのかとよく思ったりもします。
「おとうさんはね、みんぺいっていうんだよ」
「へえ」
「かべのそとのまものと、たたかってたんだって。すごいでしょ」
「ふうん、凄いねー」
私は殲滅したけどな。窓の曇りガラスを睨みながらそんなことを思った。
魔導師の類でなくとも正規兵ならマシンガン装備だからもうちょっと持っただろうに。どうしてこの町は正規兵の駐留をいまだに拒んでいるのだったか。多分住民の反対とかそういうのより魔導協会と役所の癒着によるものだろうけど。
なくなるとイルマも仕事が減ることになるからちょっと困るけど、釈然としないものがある。
「それでね、おかあさんが、あぶないからやめてっていってたの。しんじゃうって。でもね、きょうのあさまほうつかいさんがきて、みんな」
「魔導師だよ。魔法使いじゃない」
イルマは初めて幼女の話に口を挟んだ。
「まど……?でも、まほうでやっつけちゃったって、いってたよ?」
「うん、魔導師も魔法を使うよ。でもね、ただの魔法使いにはあんな仕事、させられないんだ」
「どうして?」
「危ないからだよ」
やがて幼女の母親が到着した。娘を抱きあげて、すみませんすみませんと頭を下げる。まだ若い。それから母親は、イルマ達を見た。
「帝都から来た、魔導師さんたち……ですよね?」
嘘をつく意味もないので肯定する。ありがとうございます、と彼女はまた頭を下げた。
「おかげで、主人が死なずに済みました。今朝は、お礼を言いそびれたので」
今朝?ちょっと記憶をたどった。確かにこの女性には見覚えがある。傷病人のテントで片腕を吊った民兵と一緒にいた女性だ。ではあれが夫か。そこまで考えたところで、イルマの中にぞっとするような思いつきが現れた。
そっと口に出す。
「……あの人、怪我の具合はどうですか」
女性はこの世のすべての善意が凝集したような笑顔を見せた。
「ええ、骨にひびが入っただけでおかげさまで命に別条はないみたいです。お気づかいありがとうございます」
「それはよかった、かな?」幼い魔導師は苦笑した。彼女の反応は予想したどれとも異なる。
「あなたは『いい人』なんですね。普通は、お前のせいでだれそれが怪我をした、やいどうしてくれる、とかもっと早く来られなかったのか、責任は取らないのか、とか、犠牲が出たのはお前のせいだ、訴えてやる、とか言われるものなんですよ?あは、珍しいや」
それとも、心の底ではそう思ってるのかな?まさか、と女性は笑った。
「敵陣に何も考えないで特攻する死に急ぎ野郎は生きてるだけで奇跡ですよ、それ以上も以下もないんです」
なるほど、『いい人』なんじゃなくてこの母親も民兵だったのか。色々なものが腑に落ちた。
母子と別れた後、念願の魔導用品店にやってきた。これといって珍しいものはない。ただ、神聖護符は消耗品なので一束買おうと思う。
最近では護符の模様をいくつか描いたA4の紙をざざーっと大量印刷して僧侶が祈りを込める方式になっている。コピー紙にこもるのか、祈り。しかしこもる。A4一枚に12個の護符だから使うときなどに適宜裁断するのだ。
たまにカッターを引いて切るのが面倒くさくて手でちぎろうとしたら変な方向にびりびりっといって護符が一枚無駄になってこの世のすべてに絶望してみたりする。
その時はもうやるまいもう二度とやるまいと思うのにしばらくするとそれをコロッと忘れてやってしまうのだ。
「先生、それは買わなくてもいいですよ」にんまりとユングが笑う。「僕の登録コードは信仰術師ですから、作れますし」
「ほんとに!?」
信仰術師は、その名の通り信仰に根ざした僧侶に近い魔法を使う。祈り、回復や防御、強化、浄化といった魔法が得意である。実力によっては天使を召喚できるとか。
実は信心深くなくても使えるなんて言ってはいけない。実はこの登録コード、神なんて糞くらえだぜヒャッハー!な世紀末覇者でもなれるなんて言ってはいけない。
外国の人と厨二病と廃課金ゲーマーはクレリックとか呼んだりするけどあまり関係ない。
白魔法使いの代表的なコード名でもあり、黒魔法使いを代表するイルマのような死霊術師とは対極に近いのだ。
さらに初対面で「信仰術師です」もしくは「白魔法使いです」と名乗ると同様の手順で逆を名乗るより圧倒的に警戒されないという利点がある。
「そっかあ……あの白マント、ただの趣味だと思ってたけど白魔法使いだったんだねえ」
「趣味なわけないでしょ。白いから汚れは目立つし何よりデザインがださいし。魔法はうまいけどセンスが壊滅してバイオハザード状態な祖父の遺品でさえなければもうとっくに荼毘に付してますよ」
マゾッホ(仮)のファッションセンス全否定!
「着古してあるからあまりなりたての魔導師って感じが出なくてそれだけは嬉しいけど戦闘で部位破壊とか望むところですよ。焼いちゃってください。消し炭マントにでもしてください」
その頃天国でとある変態魔導師がハァハァ荒い息をしていたというが二人は知らない。
「そ、そうだったんだ……。おじいちゃんも白魔法使いだったの?」
高笑いしながら町を焼くのはどっちかというと黒魔法使いの所業だが、マントの色がただ単に本人の趣味もしくは依頼人に警戒されないためというパターンでさえなければ白だろう。
「ええ。白魔法使い、しかも僕と同じ信仰術師でした。むしろ僕が祖父を目指したようなものなんですけどね、へへ……もしかして先生のところもそのパターンですか?」
「ううん。ししょーは呪術師だったよ。私は自分が得意な魔法で選んだだけ。ていうか、ししょーの魔法なんかまねできっこないからね」
具現の魔法は王家の中に突然変異で使える者が数名現れただけで、他に記録がないため理論上はその血筋でしか現れないのだ。そしてイルマと師の間に血のつながりはない。
「そういえば、先生のご両親はどうしたんですか?」
ユングは何の気なしに聞いた。親かあ、と少しの間考える。
「蒸発したとは聞いたけれど、まさかそれっきりってことはないでしょ」
「うん、私が9歳になったばかりの時にね。二人がごめんなさい、また一緒に暮らしましょうって迎えに来てくれた」
借金を返しながらアパートでつつましやかに暮らそうという話になったのだ。当然イルマは喜んだ。そうかそうか出ていけと笑顔で言い放った師のところには週に三日通うことになった。
困っても知らないんだからね、と彼女は言ったが全然困る気配はなく。
――何だ、お前はまだ学校に行っていないのか?
ししょーのところに来てるだけマシだと思いなよと憎まれ口を叩いたら珍しく力のこもった平手打ちを側頭部に食らった。すねにすねたことは言うまでもない。
そんな平凡な毎日はずっと続くように思われた。
「父さんはヤク決めて人殺して捕まったよ。本人もししょーに殺されかけたけどね」
「え!?」
「ちなみに母さんはヤク中に殺されて土の下だね。……どしたの?立ちくらみ?」
何の気なしに聞いたことを、ユングは深く深く後悔した。
「目覚めよ、我らの同胞よ」
「うるさいな。あと五分くらい寝させろよ」
文句を垂れながらも彼は目を開けた。淡い光が降っている。鏡のような壁や床に反射して、どこから来るのかは分からない。
「大体いつ起きるかは俺の勝手だろ。目覚めよとか、何を初対面に命令形を使ってくれているんだお前は、ええ?ガキ大将だっただろ?いつも威張り腐ってサル山の頂点に君臨してたんだろ?そうなんだろ?」
目の前にいた大天使――なぜかそうだということが分かった、中性的な人影は明らかな不快の色を端正な面に映した。
「おっ、図星か?」
「黙れっ、痴れ者が!」
彼の言葉に反応して、周囲に控えていた小天使が無数の槍を投げた。しかし、男の皮膚寸前まで来たところで見えない虫に食われたように蝕まれ、消える。
眠そうに欠伸をしながら、彼はそれを眺めていた。
「蝕め……とは言わなくてよいのか?慣れるまでは注意が必要だ。それにしても……くくっ、命拾いしたな。俺が途中で止めなければ、お前ら全員利き手を失うところだったぞ?」
肩や足元に敷かれているクッションをうりうりと除けて身を起こす。真珠色の寝台を降りて立ち上がる。床はつるつるしているが、何も履いていない足を滑らすほどではない。ひたひたと数歩前へ出る。
「なかなか爽快な気分だ。久方ぶりにな……どうした?何か言いたいことでもあるのか?」
大天使は言いにくいことでも言うように眼をそらしながら、何か着ろといった趣旨のことを言った。それもそうだろう、今彼は一糸まとわぬ裸身を周囲に晒していた。
「お前には恥というものがないのか」
「恥?なぜだ?俺の体に他者に恥じねばならぬような欠点は一切ない。ついでに言うとお前との間に一切の上下関係が存在しないということも理解している……ん?」
ごく小さな音を、彼の耳は捉えた。高い音。一定の間隔。聞いたことがある音だ。そちらへ歩いて行くと少しずつ音が大きくなってきた。
方向はあっている。後ろで誰かが呼んでいるがまったく気にならない。やっぱり知っている音のようだ……それどころか慣れ親しんだもので。どこで聞いただろう。考えていたから周囲に注意などしていなかった。
不意に目の前に現れた扉。邪魔でしかない。迷わず手を突いた。砂のように崩れる。形象崩壊だ。粒子を蹴散らして中へ踏み込む。
「こういう、ことか」
両目を見開いた男の彫像が、壁際に立っている。ちょっと見ただけならそう思っただろう。長い長い髪が床を這っている。
――床を這うのは髪などではない。
男には頭がない。眉より少し上が切り取られたように欠損している。
むき出しの脳を薄緑色をした溶液に満たされた丸い水槽に突っ込んで、脳からはたくさんの管が生えていた。プラスチックの管は無機質にぼんやり光りながら床を這い、部屋のあちこちに置かれた大きな機械に繋がっている。
煌びやかな衣装を着せられているから全身に刺さった管は布の起伏でしか伺い知れない。
天帝である、と闖入者は即座に理解した。彼はそんなことは知らないが、ただ分かったのだ。天帝に創造されたものとして理解した。
ふー、と満足そうに諦念の息を吐いて、来たときとは対照的な悠々とした足取りで戻って行った。相変わらず全裸だ。
「あれに意識はないのか?」
「あると思うか」後ろめたそうに大天使が言った。「だが、我らは天帝様に縋ることでしか生き延びられない」
小天使がいまだに裸の男にふわりと衣を着せかけた。ふん、と笑う。
「縋るとはまた感傷的な言葉を使ったものだな、寄生生物の一群が。否、責めはしないさ。それも生態のひとつだからな。さて、こちらの仕組みはわかった。状況も理解した。……で、俺は誰なんだ?」
「お前の周りには、何がある?質問に質問で返すなとか、言ってはならんぞ」
先に言われた。鏡のような壁を見る。
黄金と見まがうほどの濃い金色の頭髪に縁取られた、雪のように白い端正な顔立ち。聡明そうな切れ長の瞳は澄んだ藤色。瞳孔は縦に裂けていた。それから金髪をかき分けて、一本の巨大な角が生えている。
「……なかなか気に入った」細い血管が紫色に浮いている額の角を撫でて、鬼は言った。
「このまま地獄まで飛べばいいのだろう?……最後に、シェフお勧めの面白い一発ギャグを披露してやろう」
衣を着直して、見据えるのは下界の見えるバルコニー部分。誤って落下するのを防ぐためだろう、大人の腰くらいの壁が付いている。十分に助走をして勢いをつけた。片手を壁の上についてひらりと飛び越える、その瞬間。
鬼は、天地を揺るがすような大声で叫んだ。
「――笹食ってる場合じゃねえっ!」
大天使はあまりの馬鹿馬鹿しさに卒倒したという。新たな命が生まれるということは、いつでも喜ばしいとは限らない。
王道ファンタジーといえばやっぱり町を守る系列のあれですよね。やってみたかったのでこれで一つ満足でございます。