そして振出しへ
本編です。
「ところでさ、ふと思ったんだけど」
「はい?」
突然笑顔を消して、イルマがユングの顔を覗き込んできた。な、なんぞ。
「私たち、何しに来たんだっけ?」
何を言い出したのかわからなかった。ゆーっくり思考回路を探って、わかりきった結論へたどり着く。
「え?盆踊りでしょ?」
「うん、盆踊りをしに来たんだよね。で、それは、どこへ?」
「市民館ですけど」
「今市民館じゃないとこにいるね」
たしかに。怪しい石造りの神像がある休憩場みたいなところで、市民館ではない。イルマが何を言いたいのかわかってきたような気がする。
「してないね、盆踊り」
「はあ……」
「そんなところでもう一回聞こう。何しに来たんだっけ?」
もう結論はどこから見ても明らかだった。
「……盆踊りしたいんですね」
「当たり前だろ、何のために来たのさ」
箸巻きとタコ焼きとかき氷のためだろ。さあ行くよッ。さっきまでのしおらしさは行方知れずになり、ユングは世の無常を噛みしめた。
食べ物ばっかりじゃないか。関係ないじゃないか、盆踊り。花より団子とは言うが、何もそれを地で行くことはないだろう。女の子なのに、この安全性ならぬ残念性は何なんだ。
「つかぬことをお聞きしますが、先生。ご結婚の予定などは?」
栗色の眉がぐにゃりと寄った。何を言っているんだこいつは。
「ユングバカなの?相手いないのにどうやって結婚するんだい、君みたいに右手さんとお付き合いするんならともかくさ」
「みっ……!?下品ですよ先生!」
そうじゃなくて相手が現れる予定はと呼び掛けたが、浴衣の後姿はもう屋台の前の行列に紛れてしまっていた。イルマは自分に刺さりそうな言葉の気配を察知して回避したらしい。一方イルマの言葉はばっちりユングに刺していった。不公平だ。
諦めて行列の中で硬貨を用意しているイルマの隣へ擦り寄る。
「何だい」
さて、言った後で自分の発言の内容に気づいて赤面とかするような主人公でないことは周知のとおりであるかと思う。後で赤面するくらいなら言わない。
実にふてぶてしいツラをしている。あぁん何だコラ何か用かテメェゴラァ。ユングはマジで絡む数秒前のヤカラみたいな表情から、列の先に鎮座する箸巻きの屋台に目をやって、戻した。
「あの、僕、お財布もってきてないんですね」
「あーうん。そんで?」
何だろうね、お財布もってきてないって。それと私と何の関係があるのかな?十分予測できるだろうにイルマは心の底からすっとぼけた。
ユングの薄い唇がきゅるきゅるとクローバー型に縮まる。眉もぐりぐりと捻じれて膨らむ。こういう顔をするときは大体、頼みごとがある時だ。
「……僕の分、立て替えておいてくれませんか?」
すぐ前の高校生の男子グループが箸巻きを注文した。小麦粉や卵の焼ける香ばしい匂いが脈動するように強まる。だいぶ列が進んだようだ。
メニューはプレーン、卵、チーズ、卵とチーズの両方が入ったミックスの三種類。一番お安いのはプレーンだ。しかし卵やチーズも捨てがたい。どちらか片方だけ追加するよりは、潔くミックスにしたほうがおいしく食べられそうである。
「ねー聞いてます?」
あほの助手がさらにすり寄ってくる。唇が撚れてくる。面倒くさい。非常に面倒だ。しかし温泉の時の恩がある。
立て替えておいてやるか……。
「何がいいんだい」
「先生と同じやつで」
つまりミックスということになる。一番高いやつだ。こう考えると立て替えてもらう身分で図々しいが、この時点ではイルマが何を選ぶかはユングに開示されていない。ユングからすると卵になる場合もプレーンになる場合もすべてありうるのだ。
別に図々しくはない。
図々しくはないが、しかし。
「意思決定を私に委ねるのかい?四文字でいうと優柔不断だね。ずいぶん、優柔不断だ」
宇宙コロニーみたいな細長い形にマヨとヒョットコソースのビームが降った。
ヒョットコソースとはお好み焼きやたこ焼きといったB級グルメのソースとして愛され続けてトップシェアな独特の香味ととろみのある液体だ。
白と茶色が繊細な網目模様で箸巻きを彩り、男子高校生ズが感嘆の声を上げる。あと四つ。もう次だな。
「二回も言わなくたっていいじゃないですかあ」
照れ笑い めっちゃ腹立つ その笑顔。
唐突に川柳が浮かんできた。今度、新聞に投書してみようか。ひとまず、照れ笑いを浮かべた頬に掛け声とともにぺちんと軽くビンタをお見舞いする。
「この軟弱者!」
「三回目っ!?」昔のロボアニメネタがわからなかったためイルマの動きが予想できなかったユングはその場でたたらを踏んだ。
「し、しかもこの……何ですかこの理不尽だけど優しい暴力!?嬉しくないです!なぜそこで優しさ発揮しました!?」
「人目があるからだよ!もう!おっちゃんミックスふたつ!」
あいよっ!と威勢の良い返事がして、スキンヘッドのおじさんが生地を焼き始めた。青く見える剃った跡がちょうど禿げ方を教えてくれている。
額からM字。宇宙人の王子様スタイルである。これでまだ40に足を踏み入れていないというから驚きだ。遺伝子か、苦労か。
大きな鉄板に大体円形に広げて焼いた生地にキャベツの千切りの茹でたのとシュレッドチーズを広げる。目玉焼きをひょいと生地とチーズの上にのっけて、豚肉代わりのワーム肉を巻き込む。この肉は脇で醤油を絡めて焼いている。
醤油の焦げる匂いを最初に発見した人を襲った感動は計り知れないと思う。だってあの香ばしさ、控えめに言って天下無双じゃないか。
さてついにプラスチックの薄っぺらいパックにぎゅうと押し込められた二つの箸巻きが差し出される。箸の先がパックから突き出ているのがポイントだ。
わあソースつやつやー。よだれが湧いてくる。そっと袂を押さえて代金を支払い、熱々のパックを受け取る。速やかに屋台の前を空け、ちょっと隅に寄って二本取り出し一口ガブリと――。
「先生ストーップ!一本僕の!二本食べちゃダメです!」
「ちぇっ」気づきやがったか。一本細い気がするほうをパックに戻す。「勘のいい馬鹿は嫌いだよ」
口に入れるとまずソースとマヨネーズ。歯が当たるはモチモチの生地。紅ショウガを刻んだのが混ざっていて、いいアクセントになっている。
包まれている肉ととろけるチーズ、半熟卵。じゅわっと様々な味が口の中に広がる。千切りキャベツは茹でた上に熱されてくたくたになっているが、これがおいしいのだ。
シャキシャキの生でなんかあってみろ、主張が過ぎて品がないではないか。箸巻きに主役はいない。みんなが支え合って引き立て合って箸巻きなのだ。
ししょーの言葉である。
「しかしよくもまあそんなに大きく口が開きますねえ」
箸巻きの一本残ったパックを両手で捧げ持つようにしながらユングがしみじみと呟いた。もう一口噛んで飲み込んでから答える。
「このくらい普通だよ、ふ・つ・う。半端に小さく口を開けたらソースがほっぺについちゃうじゃん」
「実は顎の関節、両側に二つずつあるでしょ。蛇みたいに」
「蛇みたいにぶつ切りにして開いて干すよ」
じろりと睨みついでにユングを観察していると、やはり彼も大きく口を開けて箸巻きにかぶりついていた。あの口の大きさはイルマのそれに匹敵するどころか上回る。人のことが言えた義理か。
腹がくちくなり、もう一周ぐるぐる踊ると瞼が重たくなってきた。眠いのを我慢してつく家路ほどみじめなものはない。そうなる前に帰らねば。いそいそと朝顔のわが家へと足を進める。
「どうして僕がこんなことしなきゃならないんだ……うう……。
「次回は今回に引き続き平和な日常シーンをお送りしたいと思いマス。え、朝ごはん……最近おなか減らないんですけどねえ。食べなきゃダメですかねえ……。
「いや、泣いてないですよ。泣いてないですって。でもこういうのは誇りも品もないあのブロンド野郎にやらせといたらいいんじゃないですかねえ。別に正当な王位継承者引っ張り出す必要ないと思いません?
「だから別に怒ってないってば。僕は寛大なんです、こんなことで怒ったりしませんっ。
「あれ?先生どうしていい笑顔で鞭を構えてるんですか?お仕置きと書いてご褒美と呼ぶやつですか?……とにかく、次回は日常回です。オタノシミニ。
――ユング