太鼓追憶
あけまして更新。
信号待ちの時、たたずむ白い影がぼんやり、正面のカーブミラーに映っていた。ヘッドライトに照らされては闇に紛れる。白いのは着物。朝顔の模様。
肩ごしにちらりと見た背後には誰もいない。またか。また、探していたか。もう一度カーブミラーに視線を移せば、いないと思っていた。
「あれっ」
まだ、映っている。鏡の中の人物はそのまま、鏡に映っている。振り向く。やっぱり何もいない。乾いたアスファルトの路面だ。一応、斜め後ろにユングがいる。いるけど、こいつはどうでもいいや。もう一度鏡を見て、やっぱり人影が消えていないのを確認した。
なんだ、そういうことか。すべてが腑に落ちる。信号が変わった。またカラコロ歩き出す。市民館はここを渡ればすぐそこだ。
「さっきのミラー、角度変わってたね。あとで役場に連絡しないと」
「左様ですか」ホッとしたようにユングが言ったのが何だかおかしかった。「でも凄いですねえ。僕全然わかりませんでしたよ」
「んー……ま、ちょっと下向いてるだけだからね」
ちょっと、には違いないが下を向いているということは金具か何かが痛んでいるかもしれないということだ。落ちてきたら危ない。報告しておくことは善良な市民の義務だと思う。
「先生、どっか行ってたわけじゃないんですね……よかった」
「どっかって、どこへ行くのさ」
笑い飛ばすには深刻な顔をしていたかもしれないのはきっと、シンと冷えた夜気のいたずらだ。満月はもう過ぎたけど、こんないい月夜に変な顔をするもんじゃない。
盆踊りはもう始まっているから、輪にさりげなく混ざる。緩やかな動きと和太鼓の安定したリズムに身を任せて、櫓の上でおじいちゃんおばあちゃんの歌う演歌を頭の中で反響させる。
あの太鼓、地味に難しいんだっけ。
「他を当たってくれ……たぶん俺には向いていない」
一日バチを握らされていた魔導師はうんざりした顔で掌を擦った。どう見ても青年ではない青年会の会長がそれを励ましている。
「そんなことないって!やればできるさ!」
ところ、市民館の中。土間に立つ魔導師はぷるぷると首を振った。そのまま、頭を下へ。傷んだ金髪が流れて、後頭部の皮膚がのぞく。
「え」
「いやです」
45度のお辞儀だった。階段のところで座ってのんびり本を読んでいたイルマは我に返って立ち上がり、靴をつっかけハゲを隠しに行く。
「ししょー!ハゲがばれるよ!頭下げないで!ハゲがばれるから!」
「うん、叫ばないな。ばらしたくなかったら普通叫ばないな。落ち着け、落ち着こうこの馬鹿弟子」
顔を挙げたら真顔になっていた。いつかのように馬鹿弟子の脇の下に手を差し入れて持ち上げ、軽く振って靴を落とす。それから下投げの要領で階段へ絶妙な力加減で投げつける。
とくに空中で受け身などを取らなかったイルマだが再び階段にすぽんとおさまった。ないすぼーる。
「俺は無責任に『やります』『できます』と言うのは好きではない……もちろんやってみようという姿勢は大事だが、ある程度やってみてそれをものにしようとすることは大事だが、できなかった時は別だ。結果は結果だ。
「そこに自負も見栄もない。できないことはできないと明言しなくては無駄が出る。そして今回、俺は全力を挙げて『夏祭りの太鼓』に取り組んだ。結果は」
立て板に水のごとくつらつらと言葉を重ね、バチの似合わない細い指で和太鼓を指さした。楽器は鍵盤のあるやつの方が似合う。
「駄目だ。とても間に合わん。……前に叩いていたおじいちゃんを動員してください」
再び頭を下げた。言葉と同時に頭を下げるのではなく、言ってから頭を下げる。落ち着けと言われたので落ち着いて観察すると何だかアルバイト経験者の面接みたいになっているのでおかしい。
青年会……?そんな人もいたっけなあ。でも今私が観察してるのはししょーだしっ。イルマはひたすらそちらに目を向けていた。
「あ、諦めるのかよ!?まだやれることあるだろ!」
魔導師は表情を変えないままわずかに柳眉を歪めた。ああ、苛立っていらっしゃる。
「諦める。諦めるさ、当たり前だ。先々月から練習を始めたが肝心の夏祭りは明後日じゃないか。間に合わないだろう?」
さりげなく会長の背後のカレンダーに目をやる。そう、彼は何の成果も得られないまま明後日に本番を控えていたのだった。同じ叩くものなのに鍵盤とは勝手が違うらしい。自慢の器用さも発揮できず、四苦八苦していた。
「二か月じゃ何もわからないだろ……」
「わからないならなぜもっと前に俺を呼ばなかったんだ?お前は二か月あればいいと判断したんだろう。その判断は間違っていた。となれば、事実上夏祭りの実行委員長であるお前のすべきことは何だ?また別の代役を探すことなんじゃないのか?」
皆さん、健康は……健康は大事ですよ。