天国の壁
本編です。地獄ソロの話で天国の話とは、これいかに。
地獄にいる鬼にも関わらず、ニーチェの故郷は天国にある。天帝だったものを動かして作られたからである。ちなみに、替えの肉体も気候が比較的安定している天国で作られたり破棄されたりしている。
地獄と天国の行き来には、翼のあるものは飛ぶが、ない場合、角度のある異次元を利用する。角度がありさえすればどこにでも行けるのだから、高さも距離もまったく問題にならないのだ。
ただし、翼と異次元どちらの場合も地獄と天国の間を行き来するときのみ、出る地点が限定されるシステムが敷かれている。
「だからな、面倒くさくても、自分に何かの魔法を掛けながら飛び降りるなんてことしちゃいけねーんだぞ」
上官はニーチェの顔をじっと見た。
「付加魔法だ。ついでに足元にも対衝撃結界を張って着地点のダメージを最小限に抑えたろうが」
ニーチェも上官の顔をじっと見た。
出生直後のパンダ跳び事件の話である。「笹食ってる場合じゃねえ!」により大天使は卒倒し、ニーチェ自身は翼も異次元も使わなかったため必ず出るはずの地点とかなり異なった場所に着地し、その先で「うっわ鬼だらけ!」と小さなパニックを起こした。
自分も鬼なのに何を混乱するのかという話はひとまず置いておこう。
とにかくこれは謎の抜け穴だった。もちろんそんなものがあってはならないのでシステムの調整が行われた。現在は清水の舞台から飛び降りるとネットで捕らえられる仕組みとなっている。
そんなわけで、二人は地獄から一度極彩色な殺風景へ抜けて、二つの月明かりを通り過ぎ、天国の玄関口へやってきた。大体いつでも薄暗い地獄と違って、天国はどこもかしこも光に満ちている。
鏡のように磨き上げられた白い壁は自ら輝くのか、どこかにある光源を反射するのか、真珠色の光をそこかしこに放つ。床は壁と比べて艶を消してあるが、光っていることに変わりはない。大きな階段が曲がりくねったり、まっすぐだったりしながらあちこちにある。
全体として、どこかの室内を思わせるが、天井はない。壁を這い上ったものも飛び上がったものも、同じ結論にたどり着く。行っても行っても天井はない。一階から二階へ向かっても、二階の床は出てこない。
継ぎ目一つない壁と床が、ある時は廊下として、ホールとして、階段として、扉で仕切られた部屋として、どこまでも続くのだ。
地獄には天体の動きが再現されていて、此岸と同じ明暗が訪れるが、天国にはない。どの時間も区別がないのだ。天使も睡眠をとらない。食事の必要すらない。彼らにとって時間という概念はいらないものなのかもしれない。
死者が行くところは天国でも特異な場所というわけだ。そこは水晶球のような形で中央の大広間に吊り下げられている。頭上には青空が再現され、足元には花畑がある。飲食物はその辺の空気から湧いて出るという形で再現される。
昼夜の区別はやはりない。一時的に輪廻を解脱した『善き死者』はここでぼんやりと時を過ごすのだ。箱メガネのようなもので此岸の様子をうかがえ、生前関係のあった生者や血縁関係のある生者の夢枕に立つこともできるが、上官からしてみれば地獄の方がまだマシである。
たとえば、70年前くらいに地獄に来た王と王妃。あの二人は自分たちの長男の死体がゴミのように扱われ、次男が乞食に身を落とすことなどまったく見なくて済んだ。せいぜい、盆に出て行って自宅を見たら知らない奴が住んでいたりしたくらいだ。何も知らないまま罰を終えて、しばらく前にどこかへ転生していった。
此岸なんて見えたところで、何の足しにもならないだろうに。
しかし実際、起伏のない生活と、毎日フルボッコにされる生活と、どっちがいいんでしょうね。ありんこは起伏のない方を選びます。大きな喜びも悲しみもない、植物のような、波のない生活。