馬に乗って帰る
お久しぶりです。本編です。馬に乗って帰ってくるといえば、あれですね。
戻ってきた街はお盆ムード一色だった。
最近では火事が怖いからか、迎え火など家の軒先でやる者は少ないが、それでもお盆用品は売れているようで、スーパーなどはともかくコンビニにすらもキュウリの馬やらナスの牛やらが飾られていた。町内会の掲示板には盆踊り大会の要項がある。
日本でのそれは知っての通り、コルヌタでもお盆は地獄の蓋が開いて故人が戻ってくる一大イベントである。
しかしながら、イルマにはその対象になりそうな親類は母一人くらいしかいなかったし、師に至っては親類縁者一人もいなかったのでお盆のイベントはそう熱心にしてこなかった。せいぜい、タンソクゥと呼ばれる一種の五目スープを夕食に出したくらいである。
これは元をただせば隣国のチュニの伝統だったらしいが、いつの頃からかこちらにも伝播してきた。だから何ということでもないが、ちょっとだけ料理名がエキゾチックである。
また何ということもないが、この『タンソクゥ』を発音するとき、師は『タン・ソ・クゥ』のように三音節に分けるくせがあった。なぜかその響きが好きだった。よく考えたら、『クトゥルフ』と同じイントネーションだった。それでか。
(豚の足はトンソク、ブスの足はタンソクだったね、ししょー)
「ユングのとこではどうだったの?一応、可能な範囲でやるけど」
お気遣い痛み入りますとかなんとかちょっと嘘くさいセリフを吐いて、事務所の玄関に軽くもたれかかる。えっ開けないの?そういえば鍵を持たせていなかった。いそいそと鍵穴に鍵を突っ込む。落としていたブレーカーを元に戻して、いつも通りだ。
「残念ながらうちではあまりやらないんですよ。死んだらそれで終わりなんで」
「ああ、魔族理論ね」
今年も結局お盆は縁のない行事になるようだ。師の生前はなぜやらねばならんのかで、死後は死後でやる気がなくて、それで今度は口実が消える。
三日留守にした事務所は少し煤けて見えた。ちょっと掃除した方がいいかもしれない。しかしそれ以外には特に言うこともないのだった。
朝顔は近所の人が水を遣っていてくれたのか、下の花壇も屋上のプランターも元気印である。建物に施錠してあるんだから屋上に入る方法はないと思うけど。上のに関しては雨が降ったのだろうと考える。
水やりなどしてくれそうな人にまあまあ心当たりはあるし、あとでご近所さんにお礼参りをしなくてはならない。
「火葬もあまりなじみがないんで、死と火はあまりつながらないです」
「そっか、寒い地域なら土葬でもおかしくないんだよね」
土葬。死霊術師が大好きな単語の一つだ。この言葉を聞くと少しだけテンションが上がる。
「うちの領地では人死にが出るとひいおじいちゃんかおばあちゃんがおいしく食べるので、お墓参りも遠くからひいおじいちゃんやおばあちゃんを拝む感じです。食費が浮きますよ」
「……」
ユングの地元は必ず我々の予想の斜め上を行く。それは何葬だ。新種の鳥葬か?それとも……魔葬?
「さすがに腐っちゃうと食べる気しないみたいなので孤独死対策に毎朝黄色い旗を上げてもらって、夕方に下げてもらいますよ。これって福利厚生ですよね?」
知らん。知りたくもねえ。イルマは頷くとも首を横に振るともつかない動作をして、すっかり定位置として馴染んだ一番奥の一人掛けソファに腰を下ろした。
人知れず死んで放置され腐るのと、死んだ・死にそうと見るや誰かが自分を回収しに来て速やかに魔物の餌にされるのと、どっちがマシなんだろう。
「つまり君のところは孤独死ゼロってことでいいかい?」
「と、言いたいんですけどね」ユングは渋い顔をして別のソファに腰を下ろした。
いつの間にか倉庫から引っ張り出してきて自分用として使っているらしい。構わないのだが、場所が少し動線を遮っている。今まさにそこを通りたいわけではないが、ちょっと横にずれてもらう。
「……ここでいいですか?」
「うん、ごめんね。……孤独死、ゼロじゃないの?」
「ええ。黄色い旗作戦は、おじいちゃんが領地を最初に分捕ってからずっとやってることなんで、みんな協力してくれてるんだけども」
協力的でない人もいるってことか。頷いたイルマにユングの眉毛が左右に離れる。
「いいえ、皆さん一人も欠けずやってくれてますよ」
「どういうことだい?」
つい五年前の話です、と前置きした。
「でも発端がですよ。お亡くなりになったのはもっと最近ですから。そのころ、うちの領地におじいちゃんの――オニビじゃない方のおじいちゃんの、昔なじみのお友達が移住してきたんです。名前はよく覚えていませんが、確かスリ勝って、おじいちゃんは呼んでました」
スリ勝。窃盗が上手な勝なんとかさんか、なんとか勝さんだな。戦中戦後の人ならわからんでもない。だってあの時代、この近辺もスラムだったらしいし、フロストさんも若いときそんな生活だったらしいから。
「ああ、その人が死んだんだね」
「身も蓋もなく言っちゃうとそうなりますね。スリ勝さんは、来たときすでに年を取って足腰が弱かったので、おじいちゃんと相談して、平屋のワンルームみたいのを建ててもらって、そこに住んでました」
あの時代の人によくあるように読み書きは得意でなかったそうだが、昔商店をしていた時の貯金をうまくやりくりし、領内の自治活動にも積極的に参加していたという。足腰が弱いわりに元気だったようだ。
「もちろん黄色い旗も毎日欠かさず上げていただいてました。三年ちょっと前におじいちゃんが老衰で死んでからは、アニキのためにも俺はまだまだ元気でやらなきゃなんねえって意気込んでました」
「弟分だったんだ」
「はい。さすがに気を落とされたのか、あまり外出されなくなりました」
一息入れて少し尻の位置を動かした。
「その日、郵便配達の人がピンポン押しても出てこなくって、しかも嫌な臭いがしたので、おばあちゃんが出動しました。僕もついていきましたよ。鍵を開けて中に入ったら、ますます凄い臭いがして。布団がくしゃって感じで。僕はチラッとしか見なかったけど、全体に黒っていうか……死んでるのは確実でした。それも数日前に」
「うわ……」
事故物件だ。
「でも一つ不思議なんですよ。死んだのは三日前ってことだったんですが、その間も毎日旗が上がったり下がったりしてたんです。誰か一緒に住んでた人もなかったし、いまだに謎です。変な噂は立つし、気味が悪いんで建物は取り壊しちゃいました。うちの領内の孤独死は、これ一件です」
後味の悪い事件だった、と唇を嚙んで、ちょっとこちらへ身を乗り出す。
「死霊術師としては、どういうことだと思います?」
「うーん……百点の回答はスリ勝さんの残留思念が生前の行動をなぞってたってとこなんだろうけど……嫌だね、何だか。まだ生きてるよ、死んでないよって言うことにそんなに執着するの」
「死後食われるの、そんなに嫌だったんですかねえ。その辺もちゃんと話し合えばよかったのかもなあ」
しんみりしたところで、イルマはふいにこのビルも一歩間違えば事故物件と化していたことに気付いた。他人ごとではない。
異世界でも別の名前でお盆みたいな行事はあるんじゃないかと思って考えたけど、よく考えたらコルヌタの言語はほぼ日本語だからお盆でいいじゃないかと思いました。ええじゃないか。