海浜埋没人間
本編です。遅れまして申し訳ありません。季節の変わり目は辛いです。
やがて焼きそばを手に入れたユングが戻ってきた。テラスで食べなかったようだ。
「次先生が埋まってくださいよ、その上で焼きそば食べますから」
「何でさ」意趣返しらしいがさすがに無茶である。さっきのはあくまでイルマの方が軽いからこそできた芸当だ。
「砂と君の両方の重みで圧迫して、さっき食べた焼きそばがげろりーんって出てきたらどうするのさ」
すぐ近くの砂の上にスイカパンツのお尻が落ちた。
「……確かに、それ困りますね」
「困るよね。さ、食べな。おごらないよ」
「はーい」
渚の方を見た。バカップルはまだカツオノエボシでキャッチボールをしている。その向こう側、30歩ほどだろうか。黒い岩の磯が見えた。入手元、あそこか。近づかないようにしよう。
鮮やかな青に染まる、華やかな触手と空気が入っている気泡体。鰹の到来とともにやってきて、海面に出して帆走する気泡体が烏帽子に似ているためこの名がついたのだが、ボールに見える人もいたらしい。見え方、考え方は人それぞれだからまあそんな人もいるんだろう。
ちなみにカツオノエボシとは触れると電気ショックのような痛みが走る毒クラゲの一種だ。恋は盲目というが、そこに無痛症を足してもいいかもしれない。
ふいに麺をすする音が止んだ。しかし、ユングはさっき食べ始めたところだから、まだまだ食べ終えるには時間がありそうだ。振り向くと、相手は箸を止め、黙ってこっちを見ている。
というより、同じ方向を、バカップルをじーっと見ていた。心の抜けたような顔をしている。遠くを見ている淡い色の瞳。何かに似ていた。
「カツオノエボシさ」少し気まずくなったので口を開いた。「確かこっちに来るのは初夏だったと思うけど。いるんだね、まだ。八日目のセミみたいなもんなのかな」
ユングは答えなかった。
「おーい?」
まだバカップルを眺めているらしい。飽きない奴だ、商いができるかは知らないけどな。自分で自分に座布団一枚してからゆっくり呼吸している低い鼻をつまんだ。つままれて空気の逃げ場をなくした鼻が膨れたりしぼんだりする。
「はにふうんれふか」
何するんですか、と聞いているらしい。おお、戻ってきた戻ってきた。
「いや、何か集中してるみたいだったから、ここで鼻をつまんだらどうなるのかなって」
「らあもうはあしへくらさい。れっはれあれひょ」
じゃあもう離してください、結果出たでしょ。うん離す。離してから、何を考えていたのか聞いてみた。
「カップルって、恋愛っていいなーと思って。すごく楽しそうじゃないですか、バカになるの。興味をひかれていました」
確かに。未経験の事柄には無条件で興味がわくものだ。万引きとかね……いや、これは極端な例だ。別にしたいと思っていない。
しかし恋愛はリスクが高そうでもある。妊娠も中絶できるとはいえ困ることに変わりはないし、うっかり結婚までこぎつけようものなら、恋愛結婚ほど終わりが見苦しいものはない。
「あと……」ユングの語尾が不自然に濁った。「あと、あれって。あの人たちがさっきから投げ合ってるあれ、毒クラゲですよね?カツオノエボシって言って……刺されたらめちゃくちゃ痛かったと思うんですけど」
「……いぐざくとりぃ」
その通りでございます、と言うほかなかった。気づいたのはイルマだけではなかったらしい。ユングは昼食に戻った。衝撃の事実を本人たちに伝えるのは面倒だからやめておく。
ひょっとしたらかわいさ余って憎さ百倍の結果としてエキセントリックなある種の戦争が勃発しているのかもしれないし、そうでなくとも馬鹿には関わらない方がいい。
プライベートで海水浴に最後に行ったのはいつだったかよくわかりませんが、少なくとも十年以内ではないかと思います。砂浜に埋められること、誰にでもある経験だと思います。
あの時背に感じたにゅるんとした何かは一体。