再出発
本編だけど地獄ソロです。グダらないよう頑張って一話に納めました。
前の人生に誇れるものはなかった。せいぜい手塩にかけた弟子くらいだ。自身に誇れるものなどない。ただ物陰に蹲り、周囲にあるものを壊しまくって、そのうち自分も壊れて、いつの間にか死んでいただけだ。
恨んだ相手もいない。多少運が悪かったようだが、それもこれも自分が選んできた結果だ。自分一人を除いて、誰も悪くない。
実際、もっとやれたはずだと自分で思う。人間関係一つ取ったって自分から心を開けばきっとどうとでもできただろう。
黙って聞いていた相手は薄く笑った。笑ったといっても、相手は仮面をつけているから吊り上がる口元しか見えない。
「それで?」
今までと同じだ。まっすぐ進もう。二度と道を踏み誤らないために、繰り返さないために。
母の、上官の期待に応えて、むしろ期待を超えていこう。どうせできるのはそのくらいだ。成長の見えない奴だと馬鹿にするだろうが、これが今の嘘偽りない本音である。
「だから、帰ってこい」仮面に手を伸ばす。「まずはお前を手に入れる」
魔導師はただ笑った。笑って、伸ばした手を叩き落とした。意外と大きな音がした。
「……手に入れる、か」呆然とするニーチェの隣を歩き、通り過ぎる。「何か、勘違いしてないか?」
何を勘違いしているのかは自分のことだからわからない。だとしたらここで聞いて、はっきりさせておこう。ニーチェは通り過ぎた副人格に背を向けたまま言った。
「今期待されているのは人格の統合だ。今はその期待に応えたい。俺はお前と同じようにはできないかもしれないが、お前の方にある経験があれば何とかできると思うんだ……お前が消えてしまうかもしれない、が」
「だから、それが勘違いだと言っている」
笑われた。むっとして振り向いた先には傷んだ髪を項から肩に流した後姿がある。仮面は二歩ほどのところで足を止めていた。
そもそもここはニーチェ自身の心象風景であり、主人格に都合よくできている。その主人格に引き留められている以上、副人格である仮面は離れられない。これ以上は進めない。
心を映しているところの、風景には特に何もない。
「人格を統合したら、貴様がほとんど消えるがいいのか?」
「は?」
仮面はゆっくり振り向いた。こちらに向き直ったのでその顔が、仮面をつけていない素顔が見えた。
低い鼻も切れ長の目も自分と同じ顔のはずなのに、他人のように映る。それはきっと気のせいではないだろう。顔のつくりは同じでも、顔つきが違うのだ。
「消える可能性があるのはむしろ貴様の方だ。俺と貴様ならどちらの方が生きた年数が長いか、考えたのか?」
ニーチェが何も言えないでいるのを見て取ると、魔導師は気遣うようにゆっくりと瞬きをして言葉を継いだ。
「友達も、仕事も。どれもこれもやったのは俺だ。貴様はその間、ただ眠っていた。目覚めてから記憶を見たに過ぎない。そんな貧弱な自我が残れるものか」
言葉こそきついが気遣いは透けて見える。大丈夫、怖くない。ひるんだ自分を表へ引きずるようにして反論するため重たい口を開いた。
「しかし主人格は俺の方じゃないか……」
「ああ。俺は貴様に都合よくできた仮面だ。だからこうして忠告してやっているのだ。それとも何か……消えたいのか?」
「まさか」
主人格はニーチェの方だが、彼に仮面ほどの人生経験はない。生きていたのは両方だが、活きていたのは仮面だ。それどころか、仮面は実存の魔導師の、いくつもある人格の統合体である。
彼の記憶の中には、薬物や催眠術で人工的に刷り込まれた他人の記憶、つまり『実際に経験していない記憶すら』人生の経験として含まれている可能性があるのだ。それらの記憶を仮面がどう認識しているかまではわからない。経験ではなく単なる記憶として保持しているかもしれない。
経験として身にまといながらも「だがこれは他人だな」とか何とか、あっけらかんと区別しているかもしれない。
それとも、ニーチェと同じく、どこからが自分で、どこからが他人なのかわかっていないのかもしれない。
どちらにしても仮面は恐れず慌てず、それを自らの現実として柔らかに受け入れて当然のように利用し、ときに改善していくのだろう。昔からそうだ。
この男は、かつて同じ一であったはずのニーチェとはまるで違う。周囲に流され振り回されるままになっているようでいて、要領がよくて狡賢い。いつの間にかそれなりに具合のいい席を見つけて、どこからともなく取り出したぶくっと膨れたクッションに尻を下ろしている。
もちろんその要領のよさは仮面自身の努力や知略の成果なのだということは記憶を共有するニーチェにはわかっているが、やはりあまり認めたいものではない。
認めようとするたびに自分はもっと頑張ったはずだとか、にもかかわらずなぜ自分は認められもせず捨て置かれたのかとか、何が違うのかだとか、別のことが意識に浮かんで思考を阻む。
「どうする?」仮面の声で我に返った。「統合する?人格。たぶんその方が喜ばれると思うけど」
「やめとく……」
「うん、それがいいと思う」
くじけた。
応募してみた賞ですが、届きませんでした。実力不足かな。それとも流行から外れていたのかな。まあどちらにしても、読者の皆様にはこの改行の少なく字も多く描写もしつこい話を、読みにくいまま読んでいただくことになってしまいました。
本にならないとしても電子書籍に引っかかればと、とはいっても電子書籍はどういったものなのか、寡聞にしてよくわかりませんが、少なくともこのパソコンやスマホの画面で読むことを強いられる現状よりはマシかなあと思ったのですが、どうもね。ご縁がないみたいです。
どうぞ目が疲れないよう、こまめに休憩を取ってお読みください。