どうする移動手段
本編です。
そろそろ民宿のおばちゃんが朝食を用意しているころだ。気が進まないがあとで文句を垂れられても困るのでユングを揺り起こした。なぜ起こそうとすると丸まっていく。ダンゴムシかお前は。
まだ目の開いていないユングに無理やりメガネをかけさせて布団を上げさせ、机の前の座椅子に座らせる。ほどなくおばちゃんが朝食を持ってきてくれた。
シイラの刺身とスズメダイの天ぷらだ。たまたま多く揚がったんだろうか、また本物の魚である。先払いなのに、出血大サービスだな。嬉しいけど……みそ汁の中のつみれはレモラだった。うん。だよね。そうだよね。
「ユーング。ご飯だよー」
「ふぁい……」
あの卑しんぼがご飯を目の前にして眠そうだと。これは驚きだ。無理やり朝食を食わせて、食器が下げられてから彼は完全に覚醒した。
「ひょっとして、まだお腹悪いの?」
「そんなことないですよ。全快です。お腹も減ってました。でも何か眠くって」
いや、まだ目は醒めきっていないようだ。メガネはずれているし、髪の毛はボサボサ。浴衣は寝乱れたまま帯で何とか固定している感じだ。だらしなく胡坐をかいて座っているのだが、机がなければまず間違いなくパンツ丸見え。
まるでダメな男である。
「君でも食い気に勝る気があるんだね」
「どういう意味ですか?」
「そういう意味さ」視界の端に机の上の観光案内を認める。「ところで、君は今日の予定ちゃんと覚えてるのかい?覚えてたらそんなゆるい格好でいられないと思うな」
思い出したらしい。荷物をごそごそして服を取り出す。彼が着替えている間にイルマは歯を磨いておくことにした。歯ブラシと歯磨き粉は持ち込んでいる。洗面所はちょっと廊下へ出たところだ。
「浴衣はクローゼットに吊っといてね」
「はーい」
ひたひたと廊下を歩いていると、正面からおばちゃんが来た。ニュースを見たらしい。キャー恥ずかしい、と顔を覆う。おばちゃんは何だかいぶかしげな顔をしている。
「ねえ……実存の魔導師って誰かしら?」
「ししょーだよ。ここにも来てたじゃん」
イルマの目にもおばちゃんの頭上の?マークが見えた。まさかの気づいていなかった人か。できるだけわかりやすく言わねば。
「金髪で後頭部禿げてた色の白い男の人だよ。本人は俺はハゲじゃない薄いだけだって言ってたけど」
「えっ?あれ、お父さんじゃなかったの?」
「えっ」イルマが面食らう番だった。「まさかおばちゃんあれお父さんだと思ってたの」
「う、うん。むしろ何で師匠って呼んでるのかしらと……」
「全然似てないよ!?」
この民宿から温泉地獄村へはバスの本数や回り方の問題でレンタカーが一般的だが、もちろんイルマもユングも車の運転免許証は持っていない。たいていのことは既にしでかしたイルマも車は運転したことがない。
運転したのはししょーと乗った流線型でマッハ越えの戦闘機くらいである。あれは怖かった。最終的に運転できるようになったけど、初めて乗せてもらったときはゲロを吐いた。
殺人的な加速にアクロバット飛行、どう考えても虐待だ。見ろ!宇宙が見えるぞ!じゃない。あの時見えたのは宇宙よりもあの世だ。さすがに小学生を戦闘機に乗せるバカは師のほかにいないと思いたい。
そういうわけだから、イルマはバスの時刻表と路線とを確認して、まあまあな距離を歩く覚悟もした。そんな彼女を部屋で出迎えたのは、助手のこんな一言だった。
「タクシー呼んどいたんで、あと十分くらいで来ると思いますよう」
その日、イルマは思い出した。ユングの実家の経済能力を。懐事情の暖かさを――。
さあ、いまだかつて、移動するまでで一話使ったなろう小説があっただろうか……いや、あるでしょうね。別におかしなことしてないですよね。