触手談義
今回から温泉回……のはずが飯食ってます。まずは腹ごしらえから!
ここでいったん観光案内を閉じて、イワシのつみれ汁と白ごはん、アオリイカの刺身をいただく。
アオリイカは甘みがある。にゅるにゅるの食感で生のイカは好きではないが、これはおいしいと素直に思った。でも、焼いたりご飯を詰めて炊いた方がおいしいんじゃないかとちょっと思った。
そして問題のつみれ汁。こういうものの味の良しあしはよくわからないが、スーパーでお安く手に入る代用魚のレモラと比べ味にクセがないと感じた。あくまでも当社比である。実は味付けと鮮度の相乗効果かもしれない。
「んー、本物は違うねえ」
さて、ここで恒例の魔物図鑑だ。
レモラとは海棲の魔物の一種である。洞窟にいるサキメウオと同様、普通の硬骨魚類と混血が進んでいるため寿命がある個体もいる。しかしサキメウオと異なり、生息環境がほぼ一定で、定期的な世代交代の必要がないのでいくらか魔物に近い。
コバンザメに少し似ているというが実物を見た人間は「全然違う」との感想を抱くだろう。頭頂部に吸盤を持ち、あちこちにくっついて回る生態は似ていると言えないこともないが、体形がまるで違っている。
コバンザメは細長く流線型で泳ぐのに適していそうな形をしているが、レモラは丸く太く短く、ヒレも小さい。つまり泳ぐより転がる生態の方が圧倒的に似合う体形をしているのだ。
さて、レモラの名はどこだったかは知らないがどこかの古代語で『遅延』『障害』といった意味である、と言われている。体形を見ればわかる通り、船にくっつくと航海の妨げとなるのだ。
いかにも泳げなさそうな体形をしているくせにどんなに速い船でもどういうわけかくっついている。付加系の魔法が使えるのかもしれないし、単にそれだけ多くいるということなのかもしれない。
穴を開けたり海中に引きずり込んだり、船自体に害をなすことはないのだが、これに海のど真ん中でびっしり貼りつかれて前にも後ろにも行けなくなり乗員が次々と餓死していった船がつい半世紀前にもあるので海では恐れられる魔物の一つだ。
なお非常に臆病な生き物なので海中で爆竹を破裂させるなどして驚かせばすぐに離れていく。
コルヌタでは古くから食用魚として流通しており、最も古い漁の方法では船底まで降りられる船を使う。この船で近海を適当にめぐり、速度が落ちたら船の周囲に網を下ろす。仕上げに船底で鉦をけたたましく鳴らし、驚いたレモラを網に追い込んで捕えるのだ。
また乾燥すると薬効成分が生まれ、妊婦と胎児の健康、とくに流産の防止に効果がある。漢方薬として神聖大陸に輸出される。
生の時はイワシのようなアジのような味がするのに、薬にするため乾燥すると苦く渋くなってしまうのが不思議だ。この魔物はいつか自称フェミニストの痛い人に女性差別で訴えられるだろう。
「先生、このイカ動いてるんですけど……」
言われて目を向けると、確かにユングの箸の先につままれたイカの刺身が醤油に突っ込まれてぴくぴくと痙攣していた。えーとこれはほらあれだ。何て言ったか覚えてないけど何とかいう反射だ。
「新鮮な証拠だよ。触手はよく噛んで食べな、吸盤が喉に貼りついて窒息死するってししょーが言ってたからさっ」
「それはタコの刺身じゃないですか?」
「タコもイカも軟体動物で触手があって吸盤もってて墨を吐いてそんでもって旨いだろ。おんなじだよ、おんなじ」
「嘘だぁ。タコの足は八本で、外套膜が丸くて短くて、墨は粘性が低く水中に広がり煙幕の役目を果たすでしょ。
「それに対してイカは足が十本で、うち二本がちょっと長めの触腕で、吸盤には硬いぎざぎざのついたリングのようなものがはまっていて、外套膜は長くヒレがあり、墨は粘性が高く分身になるでしょ。
「全然違いますよう」
ふーん。世間知らずのくせに海洋生物には詳しいのな。何となく面白くないので意地悪を言ってみることにした。
「コウモリダコは?足十本だけど触腕はないよ?和名は『タコ』って言ってるけど、学名は『イカ』って言ってるしさ?」
「えっ……し、深海生物はしりませんよう!それ食べられないでしょ」
「うん、おいしくないらしいね。てか、浴衣せっかく白なんだから醤油つけないでね。つけたら取れるまでお風呂でつまみ洗いしてもらうからね」
「はーい、気を付けますね」
では今回のパクリ元をば。
レモラとはラテン語で『遅延』『障害』という意味です。船底に吸い付いて船の速度を鈍らせると言われていたコバンザメのたぐいに比喩的に用いられたようです。
プリニウスによると四百名もの漕ぎ手の努力にもかかわらずカリギュラの船を止めたとか、愛の妖術を使うとか、法廷で訴訟を妨害するとか、早産を防止するとか……。
現実のコバンザメは流線型なのに……それなのに本編であんなころんころんになっているのは、レモラという響きがかわいかったからです。他に理由はありません。