われらはそれを小島と思いし
本編です。人間の小島さんは無関係です。
繁殖期のザラタンの声を聴きながら、海を楽しめない助手のためにこのあたりの観光案内に目を通す。予想通りほぼほぼ海のことしか書いていない。風呂は先ほど済ませたばかりで、少しのぼせた肌に夜風と浴衣が心地よい。
ところでザラタンとは巨大なクジラに似た海の魔物だ。人によってはボルキイ語をコルヌタ語訳して『白鯨』と言ったほうが分かりやすいかもしれない。
巨大といってもせいぜいシロナガスクジラの太さを五倍して長さを三倍した程度で、物理法則に常に喧嘩を売っている魔物にしては常識的なサイズだ。船や生きたクジラなど泳いでいるものは食わない。
主に背中を海面に出して小島のふりをし、うっかりそこへ降りてきた水鳥や上陸したアザラシやオットセイを背に乗せたまま勢いよく体を反転し、水面に叩きつけて圧死させ餌食とする。伝承レベルだがまれにそこに錨を下ろしてしまった不幸な漁船なども犠牲になっていたようだ。
このような狩りのスタイルに全く必要ないはずの鋭く巨大な牙を口内に無数に持つ。天敵からの防御のためではないかと言われている。燃費が良く、巨体の割に食べない。どこからあの巨体を維持するエネルギーが補填されているのだろうか。
体色は灰黒色でなめらかだが、巨大な生き物であるため全身にフジツボやカメノテのたぐいが固着しており、ごつごつした表面が灰白色から純白に見えるためボルキイでは白鯨の名がある。
繁殖期は春から夏であり、この間のみ群れを作るため神聖大陸の皆さんに言わせると『古い木材が軋むようなおぞましい』鳴き声を発する。つまり、「ぐう~、ぐうぅ~う」と鳴くのである。
どうやらこの声で自分たちの位置を伝え合い、集合し、交尾する相手を見つけて子供を育てるようだ。そう思うとロマンチックだと思うが、純粋人類の皆さんはそうは思わないらしい。
独特の臭いがあって味はあれだが肉が多いので(そしてカメノテがおいしいので)飢饉のときの食物としても有能だが、彼らはそんなもん食うくらいなら飢えて死ぬらしい。
古くはこれを狩るには大きな船をいくつも出して取り囲み、銛でメッタ刺しにして仕留めていた。ザラタンの血で海面が真っ赤に染まったという。死体は浮力を得て浮かび上がるので、網や縄を巻き付けて陸地へ引きずってゆく。
陸に揚げた死体は素早く解体し、燻製にするなどして長くもたせる。骨や牙は彫刻して交易に使い、なめすと光沢の出る丈夫な胃袋や腸は切り開いて剣の柄や鞘、靴など獣の革のように使う。肝臓は薬にする。
狩りについては現在も似たような方法を取っているが、飢饉や内乱が少なくなった最近ではめったに狩らない。やっぱり味がいまいちなのだ。ただ70年以上前の第二次世界大戦の時は復活したようである。
体表の付着物のため大したスピードは出ないが、なんせ大きいので船にぶつかると大惨事を引き起こす。そこにキャンプした船乗りを引きずり込んで食ってしまうという伝承が加わり、純粋人類には蛇蝎のごとく嫌われている。
似たような生物のクジラはかわいそうだから殺すな食うな言うくせにザラタンは殺せ殺せである。なお、どちらも知能は同じくらい、というよりザラタンの方が賢い。一部の観光地では湾岸に住み着いたザラタンを飼いならして芸をさせるところがあるくらいだ。
しかしかわいそうなのはコルヌタで伝統的に当たり前に食われている哺乳類のクジラだけらしい。あれは五歳児だか三歳児だかを殺すのと同じだが、ザラタンは八歳児だか十二歳児だかを殺すのと同じにならないらしい。
まったく野蛮な人種もいたものだ。
まあ、シロナガスクジラを「生きて海中にいるときは青いから」と『Blue』をつけてしまう人たちがあえて『White』をつけた時点でわかろうというものだが。
「ああ、いい声ですねえ」
一番の当事者のはずのユングはさっさと布団を敷いてその上でゴロゴロとくつろいでいた。クソが。ぶっ飛ばしたくなる衝動を心の奥底に沈める。彼も浴衣である。この民宿に貸し出しはない。
イルマはもともと家にあったやつをサイズだけ確認して持ってきた。白い木綿に注染という技法を使い、紅色や青色、黄色などが混じりあうような微妙な色味で朝顔が染められている。お祭り用の太く厚い帯と寝間着として使う用の細い柔らかい帯がついている。
で、ユングが着ているのも同じ柄である。もちろん見覚えがある。
「ひょっとしてそれ……」
「クローゼットにありましたよう。割とサイズ合いそうだったんで。似合います?」
ぴょこんと身を起こして見せびらかしてくる。うん、浴衣自体は似合う。似合うが、ちょっと違う。
今回出てきた、ザラタンという魔物ですが、残念ながら私のオリジナルではございません。千夜一夜物語などに出てくる怪物をちょっとだけもじった奴です。地域により蛇だと言われたり亀だと言われたりしています。
叩かれるのが怖いので、先にパクリ元を明らかにしておきます。