まずは試着
本編です。海に行きたいかーっ!
目的地に到着したのは昼過ぎだった。民宿のおばちゃんに久しぶりしてついでにちょっとした歓待まで受けた。
今夜はデビルフィッシュ(海棲の魔物の総称。タコの意ではない)とかの代用魚じゃなくて本物のイワシのつみれ汁だそうだ。
もちろんコルヌタでもイワシその他硬骨魚類、軟骨魚類も生息している。ただ、漁獲が魔物より少ない。このため普通の魚はあまり流通しないのである。
疲れで内臓が弱っていそうなことへの気遣いなのだろうが、食べ盛りに仕事疲れで体がカロリーを欲しているイルマには物足りないメニューになりそうである。そういえば一応英雄の列に入ったんだっけと今さら思った。
英雄といえばすでに死んでいるイメージだったのだ。これだから死霊術師は、と自分の額を小突く。
ここの民宿は出るとすぐ海で、水着に着替えてダッシュして海水浴へ向かえる。また、裏口から直接風呂に通じているため、濡れた水着でダッシュして戻ってきて風呂へ直行することも可能だ。
幸いユングの水着はサイズの合うやつだった。砂浜まで行ってサイズが合いませんだと面倒なので民宿の部屋で着てみたのだ。
祖母が用意してくれたとのことでなるほどと思う。なるほど、だから今時スイカみたいな縞々のパンツなんだな。しかも緑と黒の正統派。むしろ今時よく売ってたな、そんなの。
「どうです、先生。似合うー?」
「よく似合ってるよ。尊敬の念を抱くくらいダサいことを別にすればね」
後半部分は聞こえなかったらしい。えへへーそうですかー似合いますかーと喜んでいる。こいつ生きやすいだろうな、人生。ダサすぎる水着に対して脛と脇はすべすべしている。というか、剛毛が生えていなくて、産毛だけなのだ。
わざわざ脱毛したのだろうか。だとしたら変なところに気合が入りすぎである。
「その気合をどうして水着に向けなかったかな」
「先生こそ新しいの買った方がいいんじゃないですか?食い込んでますよ、肩とか」
イルマは去年と同じやつである。多少全体的に小さいようだが問題あるまいと思ったのだが、実際以上に太って見えるのでは問題かもしれない。
紺の地に細かい白い水玉が入ったワンピース型の水着だ。本体はハイレグで、それにプリーツのついたスカートをつけている。実は大胆とかいうやつだ。
ところで意外かもしれないが、どちらの体にも傷跡は一つもない。魔導師や魔術師は回復魔法が使えるためその場その場で治療してしまうからだ。
むしろ、傷跡を残しているような魔法職はドラマにはたまにいるが現実には無能の可能性ありとして敬遠される。自分のことも守れない治療できないような奴に仕事はないのだ。
とはいっても事務所に押しかけて魔導師をひん剥くわけにもいかないので、多くの客は手袋を外している時の手指を見ている。
箸よりも重いものを持ったことのない手、とまではいかないが、どちらにせよ肌がすべすべとしたたおやかな手をしているものが男女問わず重宝される。おかげで冬になるとハンドクリームの市場を支える羽目になるのだ。
値段を見るたびに足元見やがってと思う。
「とかって何だい?他にどこが……」
あちこち見まわして気づいた。脇も広めに開いていて、乳房にも生地が食い込んでいる。ユングには珍しくぼかしたわけだ。
しかも腋毛剃るの忘れた。三百年後は知らないが、今、人類の中で体毛系女子はあまり流行っていない。
「あじゃぱー……ねえ、カミソリ借りられるかな?」
ちょんちょんと後ろから肩を突かれたので、カミソリを持ってきてくれたと思しき助手はなぜかあの鈍器みたいな杖を手にしていた。
「ねーユング、それカミソリじゃなくない?」
「ええ杖ですから。今さくっと魔法使って脱毛します?詠唱時間を抜けばほぼ一瞬で永久脱毛できますけど」
記憶に新しいショッピングモール。ひょっとしてあの時の?ひょっとしなくてもあの時の。イルマはしばし迷い、言った。
「変な副作用ないよね?」
「ありませんよう。僕を信じてください」
イルマの中で処理の面倒くささとユングの胡散くささが天秤にかけられた。やばいどっちも臭い。ユングは海水パンツ一丁の半裸で杖を手に曇りなき眼でじっとイルマの目を見ている。
何の罰ゲームだこれは。
来年こそは海、行くんだ……。