金を落とさない客たち
本編です。取材受けます。
申し訳ない気持ちで目覚めたイルマだったが、予想に反しユングは元気だった。素振りに精を出していた。
筋肉痛は大丈夫なのかと聞いたところ、「筋肉痛って何ですか?」とか言ってきた。野生人ユングは筋肉痛の概念を持ち合わせていなかったのである。心配して損した。
じゃれてくるヒトイヌをこれから朝ごはん作るからとおとなしくさせ、キッチンへ降りる。本当、物を食わせてる時と待てしている時、寝ている時だけは静かなんだから。
包丁やまな板が動き出すと彼は息をひそめるようにしてイルマの手元をじっと見ているが、見ているといっても料理の手順を覚えようとしているわけではない。そんな殊勝な助手ではない。
正月の睨み鯛みたいなものだ。あるいは待てされている犬の心情か。
オイシソウ、ハヤクタベタイ。それだけが視線にこもっている。だからたまにスーパーの安売りや昨日の残り物などで構成されるまかない料理で申し訳なくなる。
だが、それはそれだ。
「はい、一昨日の宴の残り物とみそ汁だよ。ご飯は……炊いてないから自分で冷ご飯チンして。冷凍庫にあるだろ」
冷めたホルモン焼肉とさっき作ったみそ汁を配膳した。
「ホルモンも冷たいけどレンジでチンしちゃだめだよ。爆発するときあるから」
ユングの目が輝いた。しまった。また変に興味をそそる言い方をしてしまった。
「爆発!?ちょっとやってみたいです!」
「君が想像してるような汚い花火は上がらないし、レンジの中が汚れるだけだからやめてよね」
「えー」
昼にはカミュとマスコミの皆さんがやってきた。
とはいってもより正確にはまずカミュがやってきて、それからわずかな時間をおいてマスコミが来たのだが、それはどっちでもいいことだろう。どっちもすぐ帰った。
師の指導によりイルマは一応英雄にもかかわらず顔出しNGだが、直死魔法の御仁が隣にいるため強制的とか過激とかやたらゴシップに走るとか変な取材はなかった、それだけだ。
ただまあ顔出し云々に関してはストッパー・カミュはあまり必要なかったかもしれない。
「顔出しダメなの?ちょっとした特徴も文章にしちゃダメなの?何で?」
「ししょーの教えで」
ここから何か言ってくる人はそんなにいなかった。師曰く、有名になっても何一ついいことはない。名声など顔も知らない他人のお茶の間で飴玉代わりにしゃぶられて捨てられるものだ、と。
一度、ユングのことを聞かれて住み込みの助手だと言ったら深く突っ込まれかけカミュの仲裁が入った。ナニをどう深く追及されたかはいいとしよう。
それはそうと女性誌って怖い。カミュのあのもの言いたげな顔の前で黙らずにいられる人はそういない。
また師曰く、なぜ我々が顔を出す必要がある?俺は役者でもアナウンサーでもコメンテータでもないぞ。他を当たればいいではないか、と。
「先生、どうして論語風に?」
「ばれたか。なんかこう、語呂がよくってさ……『師曰く』ってのが」
なお、原典の論語は『子曰く』の表記である。間違っで覚えぢゃなんねがら一応な。どこかからオニビの声が聞こえた気がした。
あの人は声が渋くてかっこいいのにすぐ方言になるし言うこともひょうきんすぎるからいろいろと残念だ。ぜひ本人役でゲームの声優やってほしい。さつがにねべや、んなゲームば。今度はブラムの声だった。確かにその通りだったがイケボなのにもったいない。
「しかもさすがに存命中の人物はないだろ、ははは」
「ここにいるよ吾輩」
背後にいた。どうやら考え事が一部声になって外へ漏れていたらしい。招き入れた覚えはないが、カミュの「はいみなさんどうぞー」で混ざって来たのだろう。
へぎょ、と変な声を上げて飛びのく。相変わらず美しい銀髪を刈り込んだぼさぼさ頭だった。疲れ切った会社員を思わせるよれたスーツだった。あの政治家の後だとこのダサさに一種の安心感さえ漂う。
「ど、どうしたの?まだ日が高いよ」
「ほんとは昨日来たけど事務所に明かりがなかったから寝てると思ってね」
気遣いの塊だった。ごめんなさい、昨日疲れててすぐ寝ちゃったんだよね。深々と頭を下げるとあっさり許してくれた。本当にいいひとだ。
「ところで夜まで泊めて。帰れないから……夏の日差し、なめてた」
「うわ……」
襟を少し引っ張ったところの肩と首の間の皮膚がケロイド状に焼けただれている。顔面と首、手は布という防壁がないから日焼け止めを念入りに塗って防御していたのだろう。
つまり服の下はほぼほぼこれだ。
「股間とかどうなってるんです?」
「下着で布が二重になってるからいくらかましだけど、やけどには変わりないなあ。ひどいことになってるよ……どうせ使い道ないけどね」
「ひえー、おらどこナイトウォーガーでなぐてよがっだだ……」
無神経なユングに肘鉄砲を食らわした。人が驚いている間に一体何を聞いている。しかもなまってる。
あれ……ししょーがまともなこと言ってる……?