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病み魔法使いの弟子  作者: ありんこ
愉しい、日常
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哲学するゾンビ

 皆さんお待ちかねの人体蘇生です。ファンタジーしております。全開です。

 灰色の石がただ広がる寂寞とした河原で、少女ははるか遠くを見ていた。何も映らない灰色の空だが、その奥にあるものは見える、はずだ。

「どうして思い出せないのかしら」地上のほうを睨みつける。擦り傷だらけの足にも今や構っていられない。

「私って……死後の裁判は受けてるはずよね?だってそれは覚えているもの」

 怖い顔の人たちにあれこれ話を聞かれた覚えはある。他にも鏡を見せられたりしたと思う。だがその記憶は精彩を欠いているのだ。

「どうして何の話をしたか、思い出せないの」

「私にはわかりかねます。そちらには携わっていないので」

 ジールは足元に伸びた亡者に目をやったままで答えた。そう、とラナはこれといった感情も含めない声で言う。それからゆっくりジールのいる方へ振り向く。

「どうなってるの、その人」

「暴走を始めかけたので力の向きを変えさせました。今は絡まった糸くずの玉のように自分の中で完結している状態です――自問自答、とでもいいますか。自分が誰なのか、誰だったのかをひたすら繰り返しています」

 ラナは眉をひそめた。

「なにそれ、中学生?」

「……やってることはそうですかね。自分が誰かわからない、存在する実感がない。一種の精神異常者ですが、原因が異なります」

 色の抜けた金髪が風に揺れる。内側での激しい渦など感じさせない眉の一本まで無表情に張り詰めた寝顔。息をしているのかいないのかは分からないが少しの動きもない。

「彼には魂がないんですよ。かつて魂だったものが残ってはいますけど大きく欠落してしまって、もう元の機能はありません。残りでどうにか生きていたそうですね。生きていた頃も心は少しずつ崩壊していたはずです……今もゆっくり壊れている」

 ラナは首をかしげて青ざめているジールの顔を見た。不可解な状況が聞いてもやっぱり飲み込めない。

「えーっと……なぜ魂が欠けると、心が壊れるのかしら。っていうか、そもそも魂が欠けるってどういう状況よ」

「そのあたり詳しくは私も知らないのですが、詳しい知り合いによるとジェンガゲームをしている机がぼこぼこに変形してるのにまだ気付かずに幼い子供が机の上でジェンガを楽しんでいるようなものだとか。後のほうは生前のことを考えてみればどうにか分からないこともありません」

 生前なんて知らないわよ。思いつつも「あらそう」と適当な返事をしておく。

 下っ端らしいしどうせこの鬼に聞いたって大したことはわかるまい。頭がいい方でもないようだしろくな意見も得られまい。憂鬱にいつでも曇っている空を見上げた。さっきまではなかったものがある。

「……あれ、なにかしら」

 太陽も月も星も、およそ天体というものが一切見えない曇り空に大きな光の玉のようなものがぽつんと浮いている。

 不思議に思って眺めていると、その光はゆっくりと触手を伸ばし始めた。私を探している――なぜか、ラナにはそれがわかった。

 やがてその触手はくるくると彼女の手足に巻きついて、ぐいぐいと空へ向けて持ち上げようとするかのように引っ張ってくる。しかし弱い。少女の体重を支えられるような力はない。

「ネクロマンサーですね」ジールが眠る男から目を離した。

「誰かが、あなたの蘇生を試みているようです……こちらとしては手がかからないから応じないでくれると嬉しいのですが」

「応じるも応じないも、これ、弱すぎるわよ。遠慮がちっていうか……私の体重支えられてないじゃない」

 驚くほど強い力がこもったと思ったらその力は抜けて、そっと引っ張ろうとする。こんなことではいつまでたっても少女の体を持ち上げることはできまい。使っている誰かは、それなりの魔力はあるのだろうが、自信でもないのだろうか。

「きっと、一度蘇生をしたことがあるんでしょうね。多くの死者は二度目の生を嫌がりますから」

「トラとウマってやつ?」

「リスとトラじゃありませんでしたっけ?」

 二人はしばらくお互いの顔をじいっと見合わせた。色々な動物が頭の中を行きかっている。まるで動物園だ。

 何となく相手の言っていることが間違っているような気がするのだが、自分が言ったことも間違っているような気がして、何とも言えないのだ。ツッコミ不在の恐怖である。

 気にするほどのことでもないと、ジールはそっぽを向いた。ラナもこんなくだらないことに興味はない。今ここで、誰一人として光の玉に反応するものはいない。

 いなかった。

「……う」

 ゆらりと『自分の中で完結している』状態のはずの亡者が起き上がった。

 静かにラナのほうへ近づく。呆けたような顔をしたまま、ラナの肩に――そこに巻きつく触手に手を触れた。かさかさに乾いた唇から、感嘆の声が漏れる。

「ああ……」

 そこに本来あるべき魂はない。ただ、肩に置かれた手は温かかった。戻ったんだ。よかった――少女の口角が勝手に上がる。ラナは振り向いた。

「お前は相変わらず、変な遠慮をして……だから言ったのに」

 振り向いて、全身に黒いインクが噴き出したような気分を味わった。

 笑みが凍る。男の目はどこか違う遠いところを見ていた。光の玉の、その向こうを。何か懐かしいものを、愛しいものを見るような目で。

 見たこともないくらい安らかな表情だった。

「そうか、これが欲しいのか」

 亡者がラナの顔を覗き込んだ。これ呼ばわりはどうなのよ、といつもなら噛みついているのになぜかできない。できるものか。

 今、彼にとってラナは、地獄でばったり会ってあれこれと話して、時に揉めた顔見知りの少女は、もうただの『他人』でしかないのだ。いや、もっとひどい。もはや彼は目の前にいるものを人間とすら認識していない。生き物ですらない。

 ただの『モノ』だ。

 澄んだ瞳は目の前の景色を映し出すだけで何かを認識したり注視したりはしない。それほどまでに彼の心は壊れている。

 きっと感情の一つもまともに残ってはいないだろう。人間らしい理性すらあるかどうか怪しい。死体のほうがよっぽど情緒がある。それでも男は、光の玉に、その魔力に全霊で反応した。

 その意味はラナのような少女でもわかる。

「いつものことながら、お前の欲しがるものはよくわからんな」

 肩に置かれたままの男の手に魔力が集中した。どうして、と叫んだ声は届かない。届くとも思っていないが、石に愛を囁くほうがまだ意味があるのではないかというくらい意味のない叫びだった。

「さあ……受け取れ」

 問答無用でラナが光の玉へ、地上へ吸い込まれていく。ぽかんと口と目を開けてジールがこっちを見ている。馬鹿みたいな顔だと笑えない。

 どうして、どうして。私のこと、忘れたの?悲痛な声が虚空へ消えていく。

 男の目にはもうすでに少女の姿さえ映っていないだろう。忘れたのではない。認識できないのだ。心なく微笑んだ瞳に映る空模様がゆらゆらと揺れて、そのまま外へ流れ出す。

「……イルマ……」


「おっ、来た来た」大きく振れ始めた脳波を見てユングが嘆声を上げる。「地獄に落ちてても蘇生ってできるんですねー」

 そんな深い地獄でもないからね。静かに答える。今、声は震えていなかっただろうか?そっとユングの横顔を盗み見ると大あくびをしている。どう見てもちゃんと聞いていた風に見えない。ほっと息をつく。

 見事に成功している。だがどうしてだろう、あまり嬉しくないのは。まさか今の感じは。

(誰かが、下から押し上げてくれた……?)

 誰が?なんて、愚問だろう。あの魔力はよく知っている。だってずっと……いや、今は考えるな。もっと差し迫った問題がある。ししょーなら大丈夫、大丈夫だから。

「……っどうして」

 少女の死体、いや、生きている少女がうわごとを呟いた。だが、地獄と同様に今この地下室でもそれを聞いている者はいなかった。

 題名は哲学的ゾンビじゃなくて、哲学するゾンビです。これを読んでも舐めてもその他医師の処方箋に従って服用しても自我は死にません。

 ただ、この話の中には自我が死んでいる人がいるみたいです。

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