残る謎
バトルパートの中継地点です。詐欺に引っかかってしまった二人はこれからどうするのか。どうもしないかも。そういう話になります。
「いーちゃん起きてー」聞いたことのある声がした。瞼を震わせる。
「解剖、終わったよ。体も作ったしそっちも死霊術式始めてくれないかな」
はいはいよー。あくびをしながら立ち上がる。いくら眠くても起きるべき時が来たなら無理にでも、死にたくないのなら。わかってるよ。わかってるから、私はししょーを。
いつか地獄の底から呼び出して、私の手足にしてあげるから。
「今、何時?私は何時間寝てたの?」
髪を手櫛で整えてマントを被り杖を取る。鞄は置いたままだが身支度は基本、基本なのだ。右側で毛布がかかった少女の体が静かに呼吸している。
「今は23時だ。五時間眠っていた計算になるな。解剖自体はすぐに終わったが、どこもかしこもやられててな……無事な組織がほとんどないから計算ではじき出すことになってしまった。時間がかかったのは、こっちだ」
ふうん。よだれを垂らして白目剥いて寝てるユングを蹴って起こす。うにゅにゅ、と変な声がした。生き残れないタイプ。溜めを入れてもう一発。ベッドから転げ落ちてぐぎゃっと変な声を上げて起きた。
「も、もう終わったんですか」
「むしろこれからだよ。寝ぼけたこと言ってると永遠の眠りに突き落とすんだよ……冗談だけど」
冗談かあ、よかったと呟いて彼はもう一度ベッドに戻ろうとした。イルマの人間性とでもいうべき何かに取り返しがつかないほどではないものの大きな亀裂が生まれる。
「ねーえー、ユング。今ここで頸動脈掻っ切ってゾンビにした方が使える助手になるような気がしてきたんだ。いい?殺してもいい?」
ユングが光の速さで起き上がった。眠そうな素振りすら見せず身支度を整えた。脅すって有効なんだな。しみじみ遠くを見たら人間性が回復してきた。しかし後で謝るつもりは全くない。
眠る少女の反対側、ブルーシートをかけられた血まみれの何かをフロイトが無造作に指さした。
「いーちゃん、あれは?処分しとく?」
「ちょっと置いといて。後で使うかも」
何に?フロストが具現化で作ったブルーシートを霞と消した。下から血と肉片と骨の塊が現れる。
まるでスーパーマーケットに売られているブロック肉の山だが、そこかしこに残った人間の痕跡にユングが息をのむ。一方のイルマは不満げな顔をした。
「えー、そんなバラっバラにしちゃったわけ?」
「仕方がないだろう?悪いところが多い、というよりいいところが脳みそくらいだった。非病変部位を探すのがこんなにしんどいとは」
「あっそ。じゃあとりあえず人の形には縫い合わせといてよ、あの夫婦うるさそうだし」
少女の死体は、イルマにとってはただの物体。道具もしくは武器。今ここにある血と肉辺の山は部品の山に見えている状態である。
ユングはしばらく周囲を見回した後比較的まともそう、というよりはまともではないという情報のないフロイトの方へ話しかけた。
「悪いところだらけって、この子何かあったんですか?」
「毒だねえ」彼は即断した。
肉塊に無造作に手を突っ込んで爪が残った人差し指のようなものを取り出す。驚いて思わず半歩退くと足裏に電源コードの感触。フロイトはそんなユングの様子には気付かないらしく楽しそうに指から血を拭って突き出してくる。
「ほら、この爪。見える?爪の筋と垂直に、うっすらだけど白い線が入ってるでしょ?」
震える手でずれた眼鏡を押し上げる。確かに。注意して見ないと気付けないが謎の線が4,5本入っていた。手袋を脱いで自分の爪を見る。確かにこんな線はない。嫌な予感がしながらもニコニコ笑顔のフロイトを見上げた。
「えっと、この線って何ですか?」
「もちろん、長期にわたってヒ素を盛られた跡だよーん」
とうとうユングは凍った。やっぱりフロイトはそんなことには気づかない。端正な顔に純粋かつ無邪気な笑みを浮かべて、これはね、これはねと説明を続ける。
「ちょっとずつ、じわじわ加減しいしい投与してたみたいだ。日常生活じゃまず気付かない……解剖しないとわからない。でもいつかは全身に毒が蓄積して死に至る。しかも世間的には殺人でもなんでもない死に方だよ。病弱な少女が死んだというだけだから普通病死で処理されるよ?誰が思いついたんだろう……ああ、まず司法解剖になんか回されないんだ!」
完全犯罪作成マニュアルの手本みたいだよね!気圧されるようにしてこくこくと頷く。もっとやばかった。これはやばさが露見している弟のほうに当たった方が良かったかもしれない。どこまでも後悔した。
でもその弟は針と糸を取り出して楽しそうにちくちく少女の遺体を縫い合わせていた。これは誰に聞いても同じだったかもしれない。変わるべきは僕自身だ。そんなことを思った。
「でもやっぱり死因は食中毒だね。女の子は生きてた間眩暈とかしてただろうけど、ヒ素は最後まで行ってない。胸の一歩手前でナイフが止まってるようなもんだよ。いやあ嬉しいなあ、君がこういうことに興味ある子なんて。さっきも見たと思うけど、いーちゃんはどうもこういうことに興味がないみたいなんだあ。その時々で必要な情報しか聞く耳持ってくれないのなあ……ねえユング、君、ネクロマンサーになって僕を使役する気ない?使えるんだよ、これが自分でいうのもなんだけど不思議とねー。今からでも遅くない、勉強勉強!」
「そ、そうですか」興味ないとは言えなかった。
「でも、死霊術が扱えるような遺伝子ってもう発見されてて。X染色体上にあるらしいけどY染色体にはまたこれを抑制するような働きを持つ遺伝子があるから血筋によっては……というか、男性の七割は覚えられないんですよ?」
残念、とフロイトが首をすくめた。遺伝子についてここまで研究が進んだのは約20年前だから彼が知らなくても無理はない。
「私は使えたのだが……」フロストが困った顔でこっちを見た。ユングとフロイトが顔を見合わせる。
やがてフロイトが口を開く。
「……女の子なんじゃない?実は、僕の弟じゃなくて妹だったんじゃない?」
それはない、とユングとフロストが首を振った。その間イルマは蘇生の魔術を組みながら冷めた目で男どもを眺めていた。
「馬鹿なこと言ってんじゃないよ馬鹿ども。他にやることないのかい。あると思うんだけど。ユングは私の鞄の中にチョコレートあるから食べときな。水分はあまり摂っちゃだめだよ、最悪逃避行になるから」
はいよ!死者二人と生者ひとりはいい返事をして行動に移った。それにしてもみな師匠と似たような反応をするものだ。関係はまずないだろうに、それとも男の人はみんなこうなんだろうか。
「ところで、いーちゃんはフロストは僕の妹説、どう思う?」
「知らないよ。ひんむいてみればいいんじゃないの」
この世界には死んだ人間を蘇らせる技術がありますが、さて、現実に人を蘇らせることができたとして、それはやってもいいんでしょうか?宗教的な話は抜きにして、生き返ってこられても嬉しくなかったりするのかも。
ゾンビは論外です、ええ。イルマみたいに死体が友達というわけにはいかないので。