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注射痕

 ダメ、ゼッタイ。

 ユングの記憶にある祖父は、服を着ている時ならいつでも、常に長袖の服を着ていた。季節を問わず、どこへ行くときも。

 汗をかいても脱がなかった。老齢だったから熱中症になるのを心配して近所の人が声をかけてくれることもあった。それでも、長袖のままだった。

 両親は生きていたときは共働きで、やがて彼らは死んだから祖父が面倒を見ていた。それで風呂に入ったりすることはままあったので、もしかしてこれかなと、思い当たる節はある。

 祖父のひじの裏にはぽつぽつと、青紫のような黒いようなにじんだ点々が散っていた。

 確かあれは左腕。右にはひとつもない。そこまで覚えている。ただそれが何なのかまではわからなかったし、聞いたこともなかった。

 今ならわかるような気もするが、そうではないと信じたい自分もいまだにいる。あれはたまたま変な風にできた変な色のほくろだと思っていたい。思っていたかった。ずっと、疑問は胸の奥にしまったままでいようと思っていた。

 しかし、目の前に懐かしい御祖父様が、何度目かになる若々しい姿で現れた時、決意はとっくに崩れ去っていた。

「フロストさん」

 早口だったと思うが、意外に落ち着いた声が出た。後頭部の中ほどで縛ったプラチナブロンドが、肩甲骨の高さを掃いて、白い顔がこちらを向く。もう一人の祖父、オニビほどでないにしろ、まあまあ似通っていると思う目元と鼻筋。

 当たり前だが、記憶の中にあるしわしわの顔をくるくる巻き戻したみたいな顔だ。ここにいる祖父の姿は、家にあった古いカラー写真よりさらに若い。

「左腕見せてください」

 早口にならないように気を付けて言った。祖父は品のいい顔だちにきょとんとした表情を浮かべて、それからずいと服を着て手袋をはめた左腕をこちらへ突き出す。

 違う、そうじゃない。焦りが炎の舌を持って横隔膜を刺激する。

「袖をまくって、見せてください」

 今度は声が震えた。祖父は何か察しただろうか。知りたかったが、顔は直視できなかった。ただ慣れた手つきで少し古いデザインの腕輪を外して、革の手袋を抜き取る。そうしないと袖がまくれないからだ。

 息をのんで見守る。大昔の公務員の魔導師が着ていた厚めのシャツが肩の近くまでまくりあがった。均整の取れた、つくべきところにはしっかりと筋肉をまとう大理石の彫像のような腕。

 ひじの裏には、何もなかった。白い、他の部位より薄い皮膚と、その奥に覗く薄青い血管だけがあった。あの斑点はない。じゃあ、あれは。

「――もう、いいか」

 みずみずしい若い声ではっと我に返る。ちょっと顔を上げたら意外に簡単に見られてしまった祖父の頬はほんの少し赤らんでいて、歪んだ口元も伏せた目も、同じように羞恥と憂鬱を見せていた。

「あ、はい、すみません、失礼しましたっ」

 いや、気にするな――涼しくも温かいこの声がうんと枯れて、年を食ったらよく知ったあの声になるのだろうが、それにしても変わりすぎだと思った。あの変化は、年月だけではない。苦労を足したってああはならない。

 ついと違う方へ向いた祖父の上着の裾をとらえた。

「どうしてですか」

 答えはない。

「あれは何ですか」

 もう生前の祖父に敬語で話しかけていたかどうかもよくわからない。薄情な孫だ。でも信じたい。それは誇りだ。信じさせてくれ。

「お願いします、どうか」

「ユング」若い声がかすれていた。こちらには背を向けたままだ。「お前が思うほど、私はできた人間でも強い人間でも賢い人間でもない。兄のことなど何も言えないほどに」

 英雄などではない――震える大気が疲れた時のように吸い込まれてゆく。死者でも息はするのだろうか。

 いや、声を出すには空気を使って声帯を震わせなければならないのだから、話すためには当然息をする必要があるのだが、そうではなくて。

 そうではなくて、生命活動として、酸素を取り込んでエネルギーを作り出し二酸化炭素を排出しているのだろうか。

「だから……騙されもするし、依存もするのだ。自制が利かなくなることなど一度や二度ではなかった。私は……」

 言葉を詰まらせて、死者がうつむく。上着をつかんだ手が離れる。手は緩く握った形のままだ。窓越しに昔の景色がちらりと見える。

「すまない」

 死者を帰してからばたばたと忙しく立ち働いていたとはいえ、あの雇い主の前で何もなかった風を装うのは一苦労だった。いや、とあの感情の読めない瞳を思い出す。

 イルマの目は当然ながら節穴ではない。しかし獲物を狙う豹とも見えない。視力はいい方らしいが、同年代の少女のようなきらめきはない。

 とはいってもぼけ老人のようにうつろなわけでも、どこかを凝視するわけでもない。焦点は合っている。同時に、全体をまんべんなく把握する。

 あれは、角膜から入った光が水晶体を通って像を結ぶ網膜の奥、視神経でつながれた脳までの間に作られた底の見えない深い穴だ。こちらからはちらりとしか覗けないのに、深淵はしっかりとこちらの姿をとらえて、その奥を覗き込んでいる。

 もうとっくにすべて悟られているかもしれない。

「ユングー」

 そんなことを考えていたから、呼ばれたときに背中がびくっと反りあがった。

「あ、はい?」

「これ食べる?」

 少女の箸はなにやら筋の入った肉の、よく焼けているのを指していた。これの名前は知らなかったが、乱れに乱れた脳は聞き返しもせず、いただきますとだけ言って、箸で掴んで、口に入れた。

 硬い。もちゃもちゃと噛み続けるが、どうも噛み切れない。

 味がなくなるまで肉を噛みしめたところで、ユングはコップの中の麦茶をあおった。繊維質な肉の搾りかすを飲み干す。

「……何ですか、このいじめみたいな食べ物」

 いじめ?怪訝そうに首をかしげたイルマが新しく焼けた同じような肉を口に放り込み、ごく当たり前に噛んで飲み込む。

 うん問題ないよ。普通だよ。小さな声でぼそぼそとそんなようなことを言い、あっけらかんとした顔をユングに向けた。

「ミノ。どこかは、うーん知らないやぁ。あはははっ」

 瞳に映る光は、七輪の炎だったけど、それでも彼はふっと肩の力を抜いた。気にしすぎだったかもしれない、と思った。

 王家の皆さん、ひどいことになりすぎ問題ですね。せっかくなのでまとめてみました。

フロ兄弟の両親(名称未設定)

  ・重税をかけ圧政を敷く

  ・民主主義に理解がなさ過ぎて暗殺される

フロイト

  ・女に貢いで王家の財政破綻を招く

  ・王位継承権を自主放棄させられる

  ・暗殺される

フロスト

  ・両親と兄が暗殺される

  ・暗殺されかけてスラムに逃げ込み、公には死んだことにされる

  ・身分を偽って公務員になり、貧しい人のために尽くすが性癖がもとで失業

  ・借金の保証人にされたり色々

  ・転落人生の中、アル中からシャブ中へ

  ・錯乱し、下着ドロをやって捕まる

  ・出所後テロリストの一員になり国家へ復讐

  ・ヤンデレに捕獲され一児を設ける

  ・ボケたと思われ、息子夫婦に心無い扱い(幽閉とか)される

ししょー

  ・捨てられる

  ・いじめられる

  ・サイコな父に振り回される

  ・精神病になったり連続殺人犯になったりのあと消える

  ・洗脳されて利用される

  ・人格とかいろいろ操作される

  ・病気になる

  ・クソガキを育てさせられる

  ・死後、鬼の材料になる

 いやー、かつての支配者の落ちぶれてること落ちぶれてること。諸行無常、盛者必衰です。

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