夕暮れの空
だいぶ遅れました。でも大丈夫!きっと許してくれるはず!……駄目ですかそうですか。久々にちょっと回想しますね。
「おじさん呪符!コチニールのやつ!お徳用あるだけちょうだい!」
「毎度。……ところで弟子ちゃん!言わないよね!?本店のッ!三パックで二割引きのシステムなんかッ!当然使わないよねッ!?」
「は?何言ってんの。使うに決まってんじゃん」
おじさんはひょーっとトラツグミのような声で叫んでおよよと泣き崩れた。
何に使うのかとかどうでもいいこといちいち聞かないいいおじさんなのだがいつも思うことがある――泣くほど嫌なら近所に住んでた某実存の魔導師に何と言われて脅されようがそんなシステムつけなきゃいいのに。
ユングは何も言わずに荷物持ちに徹した。うむ、よくできた助手だ。そうなってきた。最近はな。
先に事務所に戻って護符でも山ほど作っておくように言って、イルマは次に回るべきポイントへ向かう。当然、一人。
最近身の回りがうるさかったからか、ただ一人で歩いているだけでいつもと違う感じを覚える。寂しいとは違う。何というか……寒い。
じゃあ、暖かい追憶でもしようか。
あれは夏じゃないけどこんな夕暮れだった。師の自転車の後ろにバスタオルを挟んで乗っている。古い自転車だったからブレーキが鳴いていた。確か、イルマの杖を買いに行ったのだ。それも、わざわざ隣町まで。
「ねーししょー」まだ髪は長いままだった。「魔道具のお店はあっちだよ?しかもマントだったら割引がつくのに、ジーパンにジャケットでどこ行くのさ」
色が抜けた金の髪がふっと下がったので、おそらく男は自分が着ているものを一度見たのだろう。
「正確にはジャケットではないな。スタジアムジャンパー、略してスタジャンだ。元々はスタジアムで着られていたそうな」
「そのくらい名前で大体予想つくんだよ。しかもどうでもいいし。私は今、どこに行くのかって聞いてるんだよ」
この時点で答はなかった。きい、とハンドルを軋ませて角を曲がり、少し狭い路地へ入る。猫が走り去った。アスファルトがひび割れていてがたがたとおしりが揺れる。路地の入口が西を向いていないからか、表よりも暗い。
ほどなくある店の前で自転車を駐めた。
「見ての通り、質屋だ」
「……帰っていい?」
最強と言われた実存の魔導師が自らの弟子の杖を買うべく訪れたのは、米屋と同じ三代続かないタイプの店だった。悪い冗談かとも思ったが、見る限り本人は至極真面目である。
「駄目だ。……ここにあるはずなのだ、どこかへ流れていなければ」
記憶をたどってちょっと遠い目をして見せたりもする。
「さすがにさー初めての杖くらいは正規店で買ってほしかったなーぶーぶー」
「こら、よせ。店の前だぞ。業務妨害だ」
この師がやって来る以上の業務妨害がこの世にあるのだろうか。あるとしたら世界って広いなあ。今はそう思う。
質屋とはいえここはファンタジーだから杖は置いてあった。一本や二本ではない。少なくとも1ダース、傘立てのようなものにまとめて突っ込まれている。彼はまっすぐそこへ向かった。慌ててついていく。
質屋の店主は紫色のもじゃもじゃ頭のいい歳のおばさんで、イルマを値踏みするような目で見た後、その背を押すようにして入ってきた魔導師に粘り気のある視線を向けた。
ムッとして師のスタジャンの裾を引っ張り、告げ口する。
「いつものことだ。歩いていれば視線の一つや二つ受けるものさ……気にならん」
それから、いえ何でも、という風に視姦おばさんに微笑みかけた。ますます眉間にしわが寄る。
師は病のために髪の色も数もなくなり顔もやつれているとはいえ、元が元だからそれでもあでやかに美しいのだ。白い肌はますます透き通るようで、切れ長の瞳と合わせて幽玄な趣を醸し出していた。
髪だってもともとどのくらいあったか知らない人には普通に見えるだろう。何より、まだ30代。50前のおばさんには十分若い。
いや、そのくらいの年齢で死ぬことを考えたら、今やっと14歳のイルマにも若い。
「私が気になるのさ」
男は何も言わなかった。
もしかしたら聞こえていなかったのかもしれない。イルマ自身小さな声で言った上、あのとき彼は、傘立てのようなものにまとめて突っ込まれた杖をあれこれ夢中で検分していたからだ。
どうやら初めての杖はやっぱりここで買うらしい。イルマは観念して、考えた。
どの杖になるのかな。持ってみたら風が出たり光ったりするのかな。さすがにそれはないか。できたらかわいいのがいいな。
もちろん使いやすいに越したことはないけど、やっぱりデザインも大切だ。
まあ、あの傘立てを見るにどっちも今のところ難しそうだけど。そもそも生活に困った社会ピラミッドの底辺が吐き出したものに期待など抱いてもな。
いつか50年前の革命の話も書きたいなー書きたいなーと思いつつ結局手を付けてない今日この頃です。だって時代がちょっとね……あまり期待しないで、待つ人は待ってみてください。