幸せな死刑囚
やっぱり遅れました。そういえば前回のどこかに書いた謎の小説ですが、相変わらず見つかっておりません。持っていたような気がするおばによるとしばらく前に何十冊か古本屋に売ってしまったそうです。
ひょっとすると読んだ気がしただけだったのかもしれません。
「悪霊の討伐」
ああ、確かにそりゃな、私にしか頼めないわな。閑古鳥の鳴く頭の片隅でイルマは遺書を書いておくことを決心した。
死ぬかもしれない。というか、何の手も打たなければたぶん死ぬ。手を打ってもおそらく死ぬ。来てしまったのはそういう仕事だ。悪霊の討伐。ものによるとはいえ、正直、265番目の元素を見つけてこいのほうが何とかなりそうに見える。
しかも断ろうと思ったらコルヌタ人やめますかだ。要はお国のためだ伝説を作れ世界を救って来いと言われているのだ。ああなんと無茶な。
法的・倫理的にはイージーモードだが、それ以外はハードモードなのだ。視界には入っていないはずなのだが、助手がわくわくしている様子が目に浮かぶ。窓から外へ突き落してやりたくなった。
「一応、明日のお昼までは準備に充てられるようになってるみたいだから、よろしくね」
「……特攻隊よろしく家族にお手紙でも書くよ」
「えー?家族誰も娑婆にいないじゃん。ああでも獄中に向けてなら書けるのか。もちろん今のは獄中からって意味の娑婆とこの世って意味の娑婆をかけているよ」
ほっとけエメト。そのボケは凶悪過ぎてイルマじゃなかったら助走をつけて殴っているところだぞ。彼がロランと一緒にどこかへ、たぶん作戦本部とかへ消えていくのを見守る。発展場ではなかろう。代償行為としてわくわくしている助手を一発殴った。
「な、何でですか?」
「そこに君がいるからさ。あと何で君はワクワクしてるんだい。他にすべきことがあるだろ」
他?あからさまにきょとんとしているのが苛立たしいが本当にわかっていないのだろう。イルマはいつものポイントカードと各種クーポンが入った財布のほかに通帳とエコバッグを手にした。
エコバッグのみ、ユングにぐいと押し付ける。ほら荷物持ちな。
「買い出しさ」
「えぇ?」
本来、どこの国でも悪霊をはじめ災害に対応するのは軍の仕事である。とくに悪霊となると町が一晩で消し飛ぶくらいはよくあることなので、一般人は守られねばならない。常識だ。
建前ではそうなっている。
「銀行になんか来て何買うんですか」
「買わないよ。買うために預金を引き出すのさ」
だが実際には、悪霊に軍を割く国はない。
国同士の距離がもっと開いていた300年以上前ならまだしも、今は近すぎる。しかもコルヌタの場合仲が悪いのが隣国だ。悪霊を討ちに行って人間に背後を取られたのでは笑い話にもならない。
とはいえ一般人を駆り出すのは道理にもとる。諸外国からの批判は避けられない。国民からの信頼もどんどん消えていく。
しかし悪霊は元が人間とは信じられないくらいの苛烈さをもって襲い来る。同盟を結んでくる猶予などない。
だから、『志願してきた一般人』がいればいいのである。
「うわー先生こんなに溜め込んでたんですか」
「大した額じゃないよ。……てか何見てんだい。しっし」
悪霊の討伐で得られる報酬は国家より出される。それも、わざわざ予算を組んでのことだ。1プロガ、これは日本円にすると大体12億5千万円ほどになる。かるく大金持ちだ。これをぽんとくれるのである。
「やだぁ僕と先生の仲じゃないですかーいじわるー」
「私は君とどのような仲にもなったつもりはないんだけどな」
もちろん、ここまでの条件をつけてもこんなリスクの高い仕事を受けるのは俗に『底辺』と呼ばれる貧乏人のみである。
腕のいい魔導師や剣士はそれなりに稼いでいるからわざわざ命の危険を冒す必要はない。そうなると集まるのは雑魚ばかり、ただ死者が出るだけでいつまでたっても悪霊を倒せはしない。すぐお偉いさんも気づいたのだろう。
だから、公務員ではないが良さげな甲または乙種の自営業を何人か確保しておいて、そいつらに『志願』させるのである。
弱みを握ることもあれば、何もしないでいても家族に少しずつ報酬を流すこともある。そうやって断れなくするのだ。
その位置にはかつて師がいた。今は弟子のイルマだ。イルマをつないでいるのは両親の借金……ではなく、師が養育費としてあちこちから借りていた分である。
本物の両親の借金のように自己破産するほど困るような額ではないし利子も安いのでちょっとずつ流れる報酬を使ってちまちま返しているのだが、まさか自分の代で悪霊が出るとは思わなかった。
これまでは便利便利と思っていたのにいざ回ってくると、ほんとずるい、と思う。おめでたくできているのは、イルマの脳みそも同じだったらしい。
でもあるんならもう一度、最初から最後まで通しで読んでみたいなあ。