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病み魔法使いの弟子  作者: ありんこ
愉しい、日常
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夢見る弟子

巧妙でもない詐欺に引っかかってしまった主人公。さあこれからどうするのか。そんな王道ファンタジーです。詐欺にあったら実際どうしたらいいんだろう。

 結論が出たのは日も沈み始めた午後6時のことだった。結局蘇生は実行することにしたらしい。

 もうちょっと早く決めろよ。コールさんを喚べば瞬間移動できるけど、あんなでも一応神様だからあんまりしょうもない用事で呼び出したら怒るんだぞ。煮え切らない態度にイルマの神経がこれでもかと逆撫でられた。

 死体は地下にあった。遠隔タイプの回復魔法か、回復用の魔力を込めた何かを体内に入れてあるか。おそらくは後者だろう。

 手間がかからないのは遠隔のほうだが、いちいち狙い撃つのもしんどいし壁か何かで隔てられている場合貫けないのでこの場合は考えにくい。

 9ミリにでも込めて撃てば普通の家の壁だしわからないが……。

「はい、イルマのファンタジックキッチン始まるよー!」追いつめられた時の変なテンションが影響してきた。

「今日の料理は11歳のリアルJS!死因はいまだ不明!解剖から始めるよ?まずはフロイトさんとフロストさんの兄弟を召喚だよ!」

 プラチナブロンドの特徴的な男が二人現れた。逆にいえばそれ以外にこれといった特徴はあまりない。どちらも美形だがそれだけだ。

 うお、とユングがびっくりして飛びのく。確かに二人はドッペルゲンガーかと思うくらいよく似ている。イルマも表情や体格の微差で見分けているにすぎない。

「いきなり二人ですか?」

「解剖にはいろいろと道具や設備がほしいけど、フロイトさんの得意分野はあくまでナマモノだからね、道具が用意できないんだ。フロストさんがいれば道具や設備がそろうけど、フロイトさんみたいに一度見たものを写真みたいに記憶することはできないからもう一度女の子の体が作れないんだ。時間おいて呼び出すのもややこしいし、効率を考えて一度に二人だよ」

「じゃなくて、しんどくないですか?」

 じーっと二人は見つめあった。

 空気を読んでか瞑目したまま何も言わずにただ立っている死者たちだが、弟の方向からものすごい殺気がユングに向けられている。そういえばフロストは重度のロリコンだった。イルマはロリショタの範疇に入るらしい。

「……ユングにも死霊術が使えたらこんな曲芸わざわざやらなくてもよかったんだけど」

「ごめんなさい。」

 助手は深々と頭を下げた。さーて次の工程に移るよ!孤独でも一人で盛り上げていくスタイル。

「次はー、フロ兄弟に解剖に必要な設備を作ってさくっと解剖してもらうよ!解剖の工程はこれでおしまいだよ!」

「終了した!?」

 なんだその兄弟は、うん解剖しそうにないよねなどとぼやきながら死者たちは作業を開始した。コンクリも打ちっぱなしなただの地下室があっという間に本格的な手術室に変わっていく。メスから顕微鏡までがそろっていく。

「先生、僕らはどうしますか?汗とか拭く感じですか?」

「何言ってんのユング、死者は汗なんかかかないよ。汗水流して働いてくれるけどね。だから」

 イルマ達の足元にセミシングルくらいのベッドがふたつ具現化された。ぽいぽいとスリッパを脱いで荷物を抱き横になる。

「足手まとい要員の私たちは終わるまで、仮眠!」

「他力本願もいいところですね……」

 どこか呆れかえったような言葉を聞いたような気がしたが、そんなことは一切関係なく彼女は眠りの世界に引きずり込まれていった。見ての通り心も体も子供だから仕方がない。

「やーい、捨て子」

 そんな声とともに首筋に何か硬いものが当たった。襟のあたりに落ちたのでつまみ上げる。消しゴム。小学生にくだらないことで使われる文具ナンバーワンではないだろうか。

「ん……これ、誰の?使っていいの?」

 イルマの言葉をどう取ったのか、教室の後ろの方で何人かがくすくすと笑い声を立てた。授業中、ずいぶん暇だな。勉強もろくにできないくせに。気付かなかったのか、若い女の教員は落し物はちゃんと前に届けましょうねと言ってきた。

 大事なものかもしれないから。大事なものなら人に投げつけまい。心の中で軽く毒づいてはい、と返事をする。

 大体この女も信用ならない。いつだったかイルマの上靴に画鋲が入っていた時もそんなことを言っていた。さすがに踏まなかったけど。

 靴が消えた時もそうだったか。習得済みの探知形の魔法レベル1で発見した。ゴミ箱という、少なくとも善意では入れられることのない場所。

 時にイルマ8歳。小学二年生。過保護な母親のおかげで教育は家で受けていたけど、魔導師のところへ転がり込んだ今修学経験がないというのもいかがなものかと学校へ来てみた。

 勉強が遅れていたらどうしようと思ったが何のことはない、むしろ遅れているのは学校のほうだ。

 もとより読書家、さらに物理や数学まで魔導師に叩き込まれた彼女にしてみれば小学校低学年のテストというやつも間違えようのない楽勝問題ばかりである。

 隣の生徒と交換して答え合わせをした時あまりに相手の字が汚くて辟易したが大したことではない。そうやって通うこと二週間。

 ……見事に孤立していた。

 初期には世に言う世話焼きというのか、「かわいそうな子にかまってあげる私かわいい」系女子に何度か話しかけられたり「いじめられてる子をかばっちゃう私かわいい」みたいな女子に何でも相談していいんだよとか言われたのを馬鹿のふりしてある程度受け入れていたらよかったのだろうか。

 本当に困ったら被害届出すっつうの、と本音が出たのがいけなかったか?常識だと思うけど。

 実際その女どもは今教室の後ろ側で笑っているわけだから偽善ですらない、大衆に合わせて媚びるしか能がないゴミ屑だというわけで、だったらいっそいじめっ子のほうがイルマからは好感が持てたりする。

「どうだ、二週間経ったが。もうクラスには馴染めたのか」

 帰ってきたら空気を読まない保護者がそんなことを言ってきた。いー、と歯をむき出す。

「残念だけど浮いてるよ。今日も消しゴムとか投げつけてきたしあいつらサル並み。むしろサルに失礼なレベルだよ。……あ、プリントもらった。ちょっと見て」

「なるほど、スクールカースト最底辺というやつか?よく手を出さなかったな、えらいぞ。知らんけど」

 ほめてるのかどうかもわからない言葉に同じ土俵に降りてやる義理はないんだよと毒づく。師は答えずA4のコピー紙を受け取ってざらざらと読む。

「ほう、参観日か。父母の皆様はこぞってご参加くださいと……今時は父兄という呼び方はせんのだな」

 読んで、おやつは戸棚にあるからなと言った。ふむふむ大義であるぞ。ちりめんじゃこだった。ちょっとがっかりする。

「男女差別なんだってー」

「ちょっと考えれば単に家族というだけで母親や姉は来るなという意味ではないことくらいわかるだろうに。上辺に無いと修正点が探せない昨今の人類は進歩のつもりが退化しているな。その言に従うなら保護者ではあるが血縁のない俺に参加資格がないことになるわけか、配慮が行き過ぎたり足らなかったり忙しいことだ。……で?」

「で?」唐突に話を振られたので目が点になってしまった。「で、ってなんだい?ししょー」

 プリントが紙飛行機になって窓へ飛んで行って、ガラスがはまっているからそこに当たって落ちた。

「うん、師匠だ。師匠だな。で……俺は行った方がいいのか?」

「行けたら行けばいいんじゃない?必須イベントとかでもないんだし」

 特に何かの考えがあったわけでなくなんとなく言った言葉だったが、イルマはこう言ったことに一生涯後悔の念を抱くのである。

――唐変木のししょーに、行けたら行くって言葉の真意は通じないんだ。

 さて、参観日当日のこと。

 黒板と正反対の辺にひな壇芸人よろしく保護者たちが並んでいる。予想通り、そこに師の姿はない。まあいいやと思った。たかが小学校の授業、わざわざ来てまで見るものではないだろう。

 親がいると、さすがに生徒は静かだ。生徒は。

 親の何人かは自分の子のところへ行って何やら指示をしたりしている。じゃあこの問題わかる人、の時に息子の手首をつかんで持ち上げる母親もいた。白塗りの顔に真っ赤なルージュがピエロみたい。

 それで居心地の悪そうな顔をしているのはいつだったか上靴を隠してくれた子だ。

 教師は苦笑して彼を当てた。答えは正解にかすりもしない。またどこからかくすくすと笑い声が上がる。だろうなあ。あのお母さんからもらった文房具、ことごとく無駄遣いしてるんだもんなあ。

 突然、横っ面に衝撃を感じた。椅子ごと倒れる。立ち上がったらピエロがこっちを睨んでいた。あなたねえ。ああ、今笑ったからか。手近だから殴られたのか。はい、すみませんと軽く謝った。

「……これだから嫌なのよ、孤児は!」

 ピエロの言葉に苦々しい気分になり、静かに椅子を引いて座る。正面を向く。ちょっと!と金切り声が聞こえる。

「あ、あの、イルマさん?」

 困った教師の声なんか聞こえない。ふんっだ。

「先生、どうぞ授業を続けてください。こういう個人的なことは、保護者同士、あとで話した方がいいと思います」

 好青年然と落ち着き払った若い男の声にあ、はいと答えて――保護者同士?イルマも含めて教室内の人間という人間が後のドアを見るべく体ごと振り向いた。

「申し訳ありません、仕事が入っていたので少々遅れました」

 血まみれの好青年がそこにいる。まず目につくのは血に濡れそぼった黒いマント。長めの上着。それから血染めの、杖。色の抜けた金髪に縁取られた顔はなかなかに端正だがその顔も半分ほど血で赤く染まっていた。

 床が血で汚れないように足元に結界を張っていて、三センチほど浮いている。いまさらむせかえるほどの血と臓物の臭いに気付いた。大体、一般的に好青年は血に塗れてないんだよな。

――何しに来たのししょー。

 こんと杖を鳴らして教室に足を踏み入れ、赤黒い魔導師は親たちと教師に優雅に礼をした。

「はじめまして、イルマの保護者です。諸事情により名前はありませんが、実存の魔導師と呼ばれています――以後、お見知りおきを」

 口元に垂れてきた鮮血をぺろりと舐めとって、音もなく歩を進めがたがた震えているピエロに歩み寄る。実存の名は世界規模で知られているから名前がなくても大して不便はないようだ。

 すっと顔を近づけて、マダムキラーな笑顔。

「弟子が何か失礼をしたようで、申し訳ありません。あとで『ゆっくり』お話しましょうね?」

――そっか、脅迫か。なるほどね。

 実存の魔導師はつつましく教室の一番後ろに立ったが、授業なんか続けられるわけがなかった。ひどい無茶ぶりだ。

「あ、あ、あの、救急車呼びましょうか?」

 何も知らない若い母親が携帯電話を取り出した。師は有名人だと思うのだが、新聞を昼ドラの放送時間を確認する以外の目的で読んでいなさそうなので仕方ない。

「ご心配なく、すべて返り血です。床も、この校内全域に結界を展開しているので汚れることはまずありません」

ええええ!?と生徒たちが悪い意味で湧く。うるさい。

「魔物の血ですよね、ね?」

「それも混じっているかもしれませんね」どこか意味ありげに微笑んだ。

 壁にちょっともたれるようにして杖を持ち直す拍子にマントの中から何かが落ちる。

 ごとっ。

「―――っ!?」

 今度は悲鳴も上がらなかった。

 すみません何度も、小さく謝って魔導師はサッカーボール大の楕円にも似た血まみれの球形をした何かを――何かに生えている長い繊維状のものを指に絡げるようにして持ち上げもとのマントの中へと戻した。

 イルマの隣でピエロが意識を手放した。

「参観が終わったら警察に提出してこないといけない大事な証拠物品なんですけどね」

 証拠物品、またの名を生首。本来はそのまま死人の身柄を持っていくのだ。棺桶に入れて運んだり、ゾンビにして歩かせたり方法はいろいろあるがどれも『重い・でかい・邪魔・視線が気になる』。通報される魔導師も年間に数人はいる。死体だからだ。

 しかしこの魔導師の場合、相手の肉体が残ること自体が極めて稀であり残る場合もたいていバラバラ殺人事件になるのでマントの下に隠して運べるサイズになる。ししょーにはよくあることだ。

 それどころか今回は顔が残ったからまだいい方である。

「そんなに忙しいなら、何も無理してこなくても……」

「弟子が可能な限り行けと言うので」

 そんな意味で言ってない。ぶんぶんぶんと過去最高速度で首を左右に振る。この唐変木め。いきなり教室に893が来たみたいな空気になってるじゃないか。

 頭を抱える。こうしてなし崩し的に一時間目は終わった。休み時間だが不思議なことに誰一人として席を立とうとしない。ピエロ女も倒れたままだ。イルマは席を立って、十分な助走をつけた。

「ししょーの馬鹿野郎!」

 全体重を乗せた飛び蹴りがすぱーんと小気味よい音を立てて手袋をはめた左手にキャッチされる。自由な右足で顔を狙うがそのまま片手で投げ落とされた。空中で姿勢を変えて足から着地する。

 おおっ、とどこかから歓声のようなものが漏れた。

「この人でなし!鬼畜生!行けたら行くってそういう意味じゃないんだよ!分かれよ!」

「どう違うのかわからんな。このチビもずいぶん無茶な要求をしてくるものだと思っていたが違うのか……俺も独身男性にしては珍しく参観日なんて行ったことないし、ちょっと楽しみだったのに」

「普通の独身男性は行ったことないに決まってるだろハゲ!行けたら行くっていうのは気が向いたら行く、みたいな来るとも来ないともつかないしかも行きたいのは山々なんだけど的なニュアンスまで含んでくれるとっても便利な社交辞令なんだよ!明らかに行けるわけがない格好とテンションと人格で来るなボケ!」

「こらこら、下品だぞー。そんなに近づくな、血が付いてしまうではないか。嫌だろう?」

「そのくらいの返り血なら小学校に人間の生首持ちこむどこぞの無能魔導師様のせいで三日に一回は浴びてますけどねええええ!ったく、これで魔法を教えてくれてなかったら児相に駆け込んでるところなんだよ!とうとう訴えようって気にもなるってもんだよ!」

 児相とはもちろん児童相談所の略である。

「そうか、残念だな。……今夜は『おいしそうな挽肉』を使ってお前の好きなハンバーグを作ろうと思っていたのに」

「わあいししょー大好き……ってせめて何の肉か明らかにしろよ!含みが多すぎて怖いわっ!」

「おいしそうな挽肉はおいしそうな挽肉だ。帰ったらししょーの三分間ショッキン……違う、クッキングだぞ、楽しみにしておけ」

 もう嫌な予感しかしなかった。

 やがて二時間目が始まったので怒りがおさまらないまま席に着く。二時間目は図工で、親と一緒に作るあれだ。配られたのは紙粘土。どうやら冷蔵庫なんかにつけるマグネットの飾りを作るらしい。

 ピエロは相変わらず意識をなくしていた。あの男の子は結局どうしたんだろう。

「お花の飾りか星だって。ししょーはどうする?」

 師の手の上には、何やら虹色のもやのようなものがあった。

「……手のひらサイズの恒星を具現化したらあっという間に惑星状星雲になってしまった」

「技術的な意味で高レベルすぎるボケかまさないでくれるかな?ツッコミを入れづらいから」

「いや、本気だ」

「なお悪いんだよ。紙粘土があるんだからそれで作ってよ。あと大量のお星さまが生まれる前にそれは消しておいてよ、危ないじゃん」

 こねこねする紙粘土がちょうどいい硬さになったところでざっくりと形を作っていく。

「惜しいな、もう少し待てばハウスダストで太陽系ができたのに」

「汚い太陽系もあったもんだね」イルマは頭を抱えた。

 そこから後のことは覚えていない。ピエロがどうなったかも定かではない。どうせ碌な事にはなっていないだろうが。

 確かなこととして、このとき作ったマグネットは今も冷蔵庫のドアに貼られている。ひねくれた師はあえて不思議な形の星を作ったが、純粋で素直なイルマはかわいらしいラフレシアを作った。

 もうひとつ、この事件がもとでイルマは登校拒否系小学生に戻った。こんなことになって学校に行けるはずもない。当たり前だ。


 男は一人、川面を覗き込んでいた。

 溶け崩れて歪みながら自分の顔が映っている。生前から慣れ親しんだ顔だ。鏡を見ればそれがどこの鏡でもこの顔が映った。切れ長の目、通った鼻筋。艶の失せて色が抜けた金髪。藤色の澄んだ瞳。全体としては少し気難しそうな男。

 よく知っている、だがこの顔は、本当に自分の顔なのか?

 一番古い記憶はベッドの上だ。

――ぴぴぴぴ!

「う……」

 目を開けた。白い清潔そうなシーツが見える。その先に壁。くすんだ黄色みたいな色で、あまり凹凸がない。この色は何と言っただろうか。まだ何かの音が鳴り響いて、脳を揺らしている。

「うる、さ……ぁ、」

 そうだ、この壁は鳥の子色だ。さらに細かいことを言うなら壁ではなく壁紙か。

――脳が揺れる……。

 音は電子音。枕元に目覚まし時計があった。デジタルだ。今はAM6:00らしい。時計をとめて身を起こす。

 朝の大気は冷たい。くしゃみをしてから自分が何も着ていないことに気づいて手近にあった毛布を体に巻きつける。こんな恰好で寝た覚えはないぞ。

 では、どうやって寝たんだっけ?

「……わからないな。まあいい、もう二度と裸で寝るものか」

 聞き覚えのない声がした。え、ともう一度。何だ、自分の声だ。それにしてもなんか変な声だな。ああ、朝からこんなこと考えるなんて俺は疲れてるんだろうかなどと苦笑しながら何の気なしに部屋を見回す。

 左は壁。正面に木のそのままの色、ナチュラルとか言うのだったか、そんな色の机。ノートパソコンらしきものが開いたまま置かれているほか、鉛筆立てにシャーペンやボールペンが刺さっている。

 机についてきたらしい小学生の部屋とかにありそうな椅子。床はフローリングだが特に何も敷いていない。

 つーっと視線を右に滑らせていくと頑丈そうな扉があった。その下、一辺50センチくらいの正方形には床がなくてコンクリ打ちっぱなしの土間だった。無造作にブーツが一足。倒れていないからブーツキーパーか何かで立てているのだろう。

 扉からさらに視線を右へ。角を回るとカレンダーがあった。日めくりではないから日にちまではわからない。とりあえず今が12月だってことだけは理解した。寒いわけだ。

 その上にエアコン。リモコンはどこにあるのだろう。次に現れたのはクローゼット。凝った意匠は特にない。

 あまり広い部屋ではないようだ。あっという間に一周してベッドに戻ってきた。枕元に宮が付いている以外は特徴のないパイプベッド。鈍い光沢。宮の上にさっき止めた目覚まし時計と髪飾りのようなものが光を反射している。

 振り向いたら窓があった。遮光カーテンがほとんどを覆っているけれど、隙間からうっとうしいくらい燦々と陽の光が差し込んで、それで部屋が見えていたらしい。

 知らない部屋だった。どれもこれも見事なまでに見覚えがない。

 どうしてここに?考えようとしたが、寒さに耐えきれず毛布を引きずってぞっとするほど冷たいフローリングをつま先立ちでクローゼットに向かう。我ながら体のいい思考停止を思いついたものだ。

 他人の収納をあさるのはどうかと思うのは思うがこの際仕方あるまい、ええいままよと扉を開いた。下着は中の引き出しにまとめてある。一番上にあったのを取り出して履く。肌着も同様だ。後の服はハンガーで吊ってあった。

 寒いまま手を動かしていたらいつの間にか着終わっていた。不思議なことにサイズはぴったりだった。

 ひとつ、どうしても意味がわからなかったのは立てかけてある杖の存在。頭が太った三日月のような形をしていて、三日月の角に当たる二つの間にももう一つ突起がある。金色をしていて、血のように赤い石が二つ埋め込まれていた。

 怖くなって外に出た。知らない廊下。ここはどこだろう。頭が揺れる。

 見知らぬ男が話しかけてきた。お前は誰だ。ここは社宅だ。しかも空室だぞ。そうなのか。男は今彼が出てきた部屋をのぞいてまるで人が住んでるみたいだと困惑した様子で叫んだ。大声は嫌だ。揺れる、揺れる……。

 騒ぎを聞きつけてか何だ何だとぞろぞろ人間が出てきた。杖を持った少年が話しかけてくる。君は誰?背筋が粟立つ。

「俺は……誰だ?」


「当然、俺は魔導師だ。甲種、実存の魔導師。別名を病み魔法使い」冷たい水に顔を突っ込む。

 いつもここから記憶をさかのぼれない。この先はどこを見ても真っ白に、透明に消し飛んでいる。顔を上げた。

「ここにいる。地獄だ」

 川の水が生ぬるい滴になって涙のように頬を伝う。気色悪い。ぶんぶん頭を振って払った。考えなしに行動するといつもこれだ。後悔しても必ずやってしまうあたり、元来考えなしの人間なのかもしれない。

 どうでもいい。どうでもいい。考えたくない。依然として水は亡者の顔を映し出している。

 人間の命を奪うことに躊躇が無くなったのは、いつからだろう。最初に殺したのは指名手配犯。罪状は覚えていない。顔も名前もろくに覚えていない。発見された時を仮に15歳として、その年内だ。拳銃で襲われた。

 魔法は使わなかった。すぐそばまで近づいてきたのをうまく捕まえて、ひねって、首を捩じ切った。スイカと変わらない大きさのくせにスイカより重たかったのを覚えている。

 だから何というわけでもないが。気分が悪くなったわけでもなかったどころか不眠症が改善した。自分の存在がより強く証明されたような気がして寝付きもよかった。

――もしかしたら、記憶を失う前の自分は日常的に人を殺していたんじゃないかと思うくらい迷いのない動きだった。

 だから、いつからだ?最初といっても、その最初という概念自体が揺らいでいる。次が、あの指名手配犯の娘。父の仇だったそうだ。撃ってきたので魔術を使って撃ち返した。

 蜂の巣になったっけな……ブスだからあまり惜しくなかったけど。惜しかったのは魔力か。

 後は逐一覚えていない。それだけのことが自分の存在に亀裂を入れていく。死んだ時は、日付は。それは何曜日?最後に近づくにつれて細部がボケて消えていく。周りが見えなくなっていく。

「ああ……壊れる。壊れてしまう」

 壊れるという言葉を、最初に使ったのは?最後は?ざっ、と背後から足音がした。思考が途切れる。この音は裸足ではない。振り向いた。

 なぜかゆっくり意識が消えていく。鈍い痛み。金棒で殴られたのかと思い当たる。脳が持っていかれたのか、意識が消えるわけだ。

「まさか、……っ」

 最後にひどく狼狽したジールの声が聞こえた。

――お前が殴ったんだろうが、と思って、意識が途絶えた。

読んでくれてる人ありがとうございますだ。頑張って書きすすめます。でも読み返してみるとけっこう用語が多くて難しい?いつか絵付きで解説をつけたいとは思っています。待っててね。

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