仮面よあれ
少々遅れました。やっと鬱脱出です。信じる者はやっぱり救われるべきなのです。
魔導師が語り終えたとき、部屋の中には息遣いだけが響いていた。ニーチェはうずくまったまま動かない。
「……どうか、こいつの、我々の処遇をよくよく考えていただきたい。こいつはブラックホールみたいなものなんだ。何を得てもいつまでも空っぽで決して満足しない。俺としては荼毘に付してしまうことを推奨する。俺のような悪人が言うことでもないが――俺はあなたがたを殺したくない」
ただしジールをのぞいて、なんて言わなかった。魔導師はニーチェと記憶と感情を共有している。ニーチェが好きな相手は魔導師もまた好きなのだ。
「わかったよ」
のっそり腰を上げて、上官はホログラム魔導師を地味に避けてニーチェに近づいた。すり抜けるとはいえ通り抜けるのはどうかと思うのだ。動かない動かないと思っていた背筋が不定期に上下を繰り返す。
「なあ、お前はどうなんだ?」
藤色の両目が見返してきた。顔を上げたのだ。頬を濁っているのか澄んでいるのかよくわからない涙が滴り落ちていく。
顔つきは確かに、魔導師と比べるとうつろな印象があった。魔導師は赤鬼としての記憶も経験もないにしても、それから少なくとも20年の間他者と関わって生きてきた。その関わりが何であれ、生まれた嬰児が酒を飲めるくらいの時間を。
きっと、子供のまま置き去られたのがこのニーチェだ。
「俺たちも殺すか?」
何か言ったようだったが、最初は聞き取れなかった。何だって?膝をついて顔を覗き込む。震えながらニーチェが息を吸い込んだ。
「……わからない」
これがおそらく、初めて聞いたニーチェの声だった。途切れがちに話す、過剰な虚勢や演技をなくした声は弱弱しく、同じはずの魔導師とは全く違って聞こえる。
「俺は自分がどうしたいんだかわからない。そもそも何であんなことをしたのか自分でもわからないし、記憶だって……強烈なイメージとか、大筋は残っているんだ、だがどこも細かいところはボケていて、いいことも悪いこともあいまいで、……」
もぐもぐと口の中で何か言って、また顔を両ひざの間にうずめてしまった。おーいと呼びかけてみるが返事がない。自分の殻に閉じこもってしまったのだ。これ以上は無理だろう。諦めて立ち上がり、魔導師に向き直る。
「なあ、お前、薬で出てこないようになってるんだよな?」
「ある程度は。今は、ラムダ系の一部しか操れん」
「薬がなかったらどこまで出てこれる?」
今度は返答に時間を食った。
「両手か、さもなくば両脚だな。……全身はそれこそきっかけがないと掌握しかねる」
表情は心なしか、先ほどまでより穏やかに見えた。
「俺がきっかけを与えてやる。どうしても無理そうなら代わってやれ。作るのにも消すのにもコストがかかるんだ、そうぽんぽんやり直せるか。お前たちがひとつの人格に戻るまで、俺がずっと監視してやる。それにな、こちとら軽く46億年は生きてるんだぜ?足して四捨五入してもせいぜい40年しか生きてないひよっこが簡単に殺せる相手と思うな」
時間はたっぷりあるのだから、子供が大人になるまで待つだけのことだ。難しいかもしれないけど、できないことではない。時間切れで魔導師のホログラムがさらさらと形象崩壊して消えていくのを見送った。
「……それにさ、仮面のお前が俺たちを殺したくないように、俺たちだってお前を殺したくないんだぜ?」
よく考えたらこのニーチェも赤鬼くんとは同じとも言えないわけで、これでよかったのかなーと思ったりもします。
思うけど変えるつもりはないですよ。