28
やっと貼り終えたー!おめでとうございます、次回からは通常です!
傷だらけになった顔から、二つの眼球を取り出して笑み、眺める。緑色の虹彩に瞳孔が開ききっている。こういう目だったんだ。本質はこの二つの小さな球体に封じ込められているから、もう後の抜け殻はいらない。いつも通りほっぽっておこう。
どうしたんだろうか、最後急に動かなくなっちゃって。それはそれで楽しいからもっと抵抗してくれてもよかったのに。
――どんな不満があったの、か。
不満などなかった。ラスプーチンは二度も地獄から救い上げてくれた恩人だ、憎いはずがない。心の底から感謝している。愛している。だからこそ、殺さなければならなかった。
どうして?ぼろぼろの仮面が問いかけてくる。どうして、愛しているのに殺さなければならないんだ?何でだっけ?もう理由もわからない。理由なんかない。そうだ理由なんかいらないんだ。もうそれでいいだろう。
さてこの眼球どうしようか。いつもはホルマリンを満たした瓶に入れていたのだけど、瓶は割れてしまった。連続殺人犯として面も割れたからホルマリンを手に入れるのも難しそうだ。こうしている間にも、魚の眼球のように渇いてしぼんでいく。
魚?
そうだ、食べよう。
無造作に眼球を口の中に放り込み、咀嚼し、飲み込む。味はよくわからなかった。口の中に残る水晶体は、水を具現化して流し込む。少し無茶をさせたラムダ系は軋んだが、残したらもったいない。
結局、ラスプーチン以外は誰もいなかった。他の甲種たちは人払いでもされたのだろうか。どちらにせよ……監視カメラを見上げる。彼らが戻ってくるのは時間の問題だ。
そうなれば四人……否、一人は90近いから実質三人か。三人の甲種と大勢の乙種や丙種、軍隊にその他有象無象が少年法を無視して殺しに来るのを一人で相手するのはさすがに、しんどい。
国外へ逃げてしまおうか?腐っても甲種だ。伸びしろもある。コルヌタと仲が良くない隣国のチュニかダナにでも逃げ込めば追って来られないだろう。あとは軍事機密でもそっとお渡しすればVIP並みの待遇だ。幸いにして機密の持ち合わせはある。
しかし、どうしても動く気にはなれなかった。自室に戻る前にシャワーを浴びる。ああすっきり。Tシャツと半ズボンはここに置いてあるからそれを着て自室へ戻った。
学校にいる間に家宅捜索がなされたとは全く思えない、よく片付いた部屋だった。マットレスと掛け布団もそのままだ。
急に血の匂いをさせている自分が異物に見えてきた。異物ではない服を脱ぎ捨てて、習慣通り毛布をかぶってベッドに横になる。そうだ、いつも自分一人が浮いていて、邪魔なのは自分で、足元の有刺鉄線で、五人いたら六人目なんだ。だから思ってきたじゃないか、『自分さえいなければ』って。
一切の雑念が混じることなく、誰より自然に、誰より精密に消具が発動した。砂像のように指先から形象崩壊が進む。深い深い水の底に落ちるように意識が薄らいでいく。消えていくのはこういう感覚なのか。消具で分かったことがあれば報告するように言われていたけど、これは報告しにいけないな。
「駄目ですね、駄目ですよそんなこと。そうは問屋が卸しません」
沈む海の底で誰かの声がした。
「そもそも……『無』を願う時点で欲望が矛盾しているのですよ?手に掴めるか否かはともかくも、『有』を願う。それが欲望なのですがねえ……『無』ではどうにも。私が見たいのは、幼子の無垢さでも尊い自己犠牲でもとことん己を追い込む精神力でもありません。そんなものは女神の抜け殻か天帝の墓前にでもくれてやりなさい」
困り果てたようにも、この上なく楽しそうにも聞こえる。いや、聞こえるはずがない。音などこの部屋にはなかったはずだ。
「ああ、お気になさらず。これはこれで楽しめましたから。ええ、かまいませんよ、『無』を願っても。いえむしろ願いまくっちゃってください」
くすくすと笑うのは男の声だ。喋っているのも同じ声。
「……私が見たいのはね、あなた方が汚いと思っている欲に塗れて生存欲求のためだけに互いを蹴落としあいながら……恐怖に叫び、あがく、そういう景色なんですよ?ほら、想像してごらんなさい。美しいでしょう。これこそ命あるもののあるべき姿とは思いませんか」
とん、と精神が意識の海底に触れた。
「なぜかヒトはそれを忌避するものですが……道徳などと呼ぶ汚い虚飾で自らを穢してしまうものですが、まれにいるのですよ。穢れを祓ってしまえる者も。ええ、あなたも終盤ではなかなかでした。なるほど曲がった枝ぶりが重宝されるわけです」
盆栽の話をしているのだろうか、と思った。興味深げに何度もうなずいているのが目に浮かぶようだ。
「少々脱線しましたね。とにかく……自分を消したいなんて、そんなことはできませんね。タイムパラドックスってわかりますか?願わなければ魔法は存在しないのです。あなたを消せばあなたを消したい願いが消えてしまう。その結果、あなたは消えずに残る。残ったあなたはあなた自身を消す。無限ループです、エンドレスエイトです」
これはいけません。小さな子に言い聞かせるようなあやすような声色だった。
「一種のバグを利用した抜け道のようなものですから、運営としては調整に入らないといけませんねえ。でも大丈夫、この魔神の名に懸けてうまい落としどころを見つけてあげますから、ね?」
毛布を誰かが掛けてくれたような気がした。そういえば消灯の時間だ。目を閉じる。
「おやすみ、私たちのかわいい子よ」
日差しが窓から差し込むまで、目覚めなかった。