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どうしてありんこはファンタジーでサスペンスとかサイコホラーとかやろうとしたのか、今となっては謎です。たぶん思いついたときは「これやばいんじゃね?自分天才じゃね?」とか思ったんだと思います。
潮時か、とは前々から感じていた。殺したくなる相手はいつだって自分の関係者だ。証拠を残さないよう配慮はしたがコンクリートにするには生徒会活動が忙しかったし警察だって無能ではない。すぐに人間関係から追いついてくるだろう。顔も見知っているから罪悪感も覚えないわけじゃない。
それでもどうしてもやめられなかった。三人殺した後は捕まるとか罪の意識とかどうでもよくなっていた。
――誰でもいいような気になってきた、それから。
ああ、さっきまで何をしていたっけ?
返り血を浴びて一人、真っ暗な道端に立ち尽くしている。街灯が点滅する。冬の日は短い。制服の生地が肌に貼りつくようだ。仮面の人格にやらせたから記憶が遠い。
確か、三人か四人か、スーツの男に囲まれて、……刑事だった。そこらにスーツの生地とか革靴だとかが転がっている。何も知らない仮面は当然知らないと答えて、バカバカしく思いその場を離れようとした。
たぶん、発砲許可でも出ていたんだろう。銃声がして、背負っていた学校のカバンがはじけ飛んだ。殺す気はなかったのだろう。衝撃で赤鬼自身も前に倒れて、数人がかりで地面に押さえつけられて、それで仮面が暴走を起こしてしまった。
押さえつけるたくさんの手と押しつけられる地面の感覚は、とても懐かしいようで、怖かった。ぞわっと全身の立毛筋が収縮した。
仮面なだけはあり魔力の暴走こそ起こさなかったが、代わりに恐怖の対象を轢き潰してしまったらしい。そのあと、さらにパニックを増幅させた挙句どこかに閉じこもったのだろう。だから、今は元の人格が出現している。
やれやれ、といったところではあるが本来の赤鬼ならまずまともな受け答えもできたかどうか怪しいから仮面を一概に悪くも言えない。
仮面にも意思が伝わるようにすればよかっただろうか?否。そんなことをしたらさっさと周囲に避難勧告を出されてしまう。目覚めたらブタ箱なんてこともあって不思議じゃなかった。
詰み、か。カバンの残骸をぽいと放り出して、てくてくと歩いていく。自分がどうするつもりなのか、全くわからないが、ひとまず部屋に帰ろう。ラスプーチンが心配するといけない。
といっても彼が心配しているのは赤鬼の血が持つ具現化の魔法であって、消具であって赤鬼自身ではないだろうけど、それもまた己の存在価値だ。ないがしろにはできない。
自分の価値を決めるのは自分じゃない。いつだって他人だ。
この世に生まれてくるということは、市場で自分を売りさばくことだ。市場において、品物はそれが財だろうがサービスだろうが株券だろうが人間だろうが価値は需要と供給に左右されることに何の変りもない。
この場合供給は人数ではなくて働きだ。できる仕事が珍しければその分価格が上乗せされる。ここまで取引をして、買う側はもちろん元を取りたい。
株式と同じだ。投資した分だけは取り返したいのだ。投資とは、つまり衣食住の提供であったり、教育であったり、友情や愛情であったりする。なかでも友情や愛情は金に換えられないほど、高い。同じ情でもって返す必要が生まれることもある。
聞くところによれば慈善事業的に投資ばかりを繰り返して見返りを求めない人間というものもいるようだが、赤鬼はそういう人の考えることを理解できない。投資されたところで相手を信じられない。
だから、投資にはされた分だけ答えなくてはならない。資本を還元しなくてはならない。
「……ただいま」
それは資格であったり就職であったり労働であったりした。それ以外でも願われれば答えた。徹底的に答えてきた、つもりだ。間違っていないと思う。間違っていない。間違っていない。
間違いじゃないなら、どうしてこんなに寒いのだろう?
「おかえり、」名前を呼ばれた。驚いて振り向く。「……ずいぶん、汚れたね」
国家直属魔導師の制服を着込んだ見知らぬ男が立っていた。
いや、知らないわけではない。見知った人間の特徴はあった。しかし背も肩幅も赤鬼よりずっと大きい。声も低い……あの子供とは、何もかもが違いすぎる。
「そう、君には初めて見せるね。この姿……魔法の威力を押さえられないから、あまりなりたくはないんだけどさ」
普段は大きすぎる杖を小さく見せて構える。ただならぬ気配に体が勝手に反応してそっと腰を落とした。他は何人いるだろう。神経を尖らせるが、人らしき気配は感じ取れない。いない?
まさか。そんなはずはない。
「でもさ、君もおいらに何も言ってくれなかったよね。学校で何があったかとか、好きな教科だとか、友達とどこに行ったとか、何を考えてるかとか、何も。どうして?」
相手の言葉の意味が分からない。確認か?いや、語尾を見るに質問だろうか。しかし、問いの答えなど答えるほどのことだろうか?しかし聞かれたわけだし、一応答えておこう。
「聞かれなかったので」
「……ああ、聞かなかったね」
「それに、話しかけるとご迷惑では?」
「それでもおいらは教えてほしかったよ。こんなことになるくらいなら、ちょっとの迷惑くらい何だっていうのさ」
マントの内側から、瓶が出てきた。中身は取り除かれて、瓶自体も洗浄されているが、それが何かは知っている。
「出頭しろなんて言わないよ。おいら自身が君を片付ける。でも、知りたいな……何が、嫌だったの。どんな不満があったの?どうして……どうして家族や友達を殺さなきゃいけなかったの」
大魔導師の問いかけに、適切な答えは用意できなかった。きっと相手が期待するような大した理由なんてどこにもない。戸惑うまま、沈黙のまま、時だけが過ぎ去っていく。
「ねえ、どうして」
重ねて問われて、観念した。言葉なんてまとまってもいないが、仮面は役に立たない。ここは言ってみるしかないだろう。吸い込む息はなぜかほろ甘くて神経毒のような気がした。
「みんな、俺が嫌いなんです。俺は誰のことも、嫌いじゃないのに」ラスプーチンは黙って聞いている。「昔からそうでした。ひどく寒いんです。どうしたら、よかったんでしょうね」
「それが答えかい?」
「わかりません。自分が本当にそう思っているかどうかも、わかりません。貴重なお時間を、申し訳ありませんでした」
そして、ありがとうございました。体内の魔力を練り上げていく。どうせ五番目はラスプーチンのつもりだった。わざわざ来てくれたんなら手間も省ける。犯人として挙がったなら証拠を残さないようにしなくてもいいじゃないか。
杖はない。あれは仕事で使うのであって、私事では使えない。それに、元は素手で魔法を覚えたのだ。こっちのほうが、慣れている。
瓶が地面に落ちて、粉々に砕け散った。