表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
病み魔法使いの弟子  作者: ありんこ
マン・フィッチ・ワズ・ラッフィン
200/398

20

 真っ暗だ。部屋の中には一切の照明がついていない。夜で、ただでさえ外が暗いのに、厚手のカーテンをぴったり下ろしている。それでもだんだん目が慣れてきて、目の前に座る相手を認めた。

「お疲れさま。ごめんね、ずいぶん手を汚させた」

 それから、多分その人は赤鬼の名を呼んだのだろうが、例によって聞き取れなかった。しかし、その声が隠しはしているもののひどく疲れていて、ねぎらいを言わせたことが辛くて口を開いた。

「疲れるほどのことじゃありません」その人の隣に、ベッドの端に腰掛ける。嘘ではない。「大したことは、何もしてませんから」

 え、そうなの?彼は嬉しそうに笑った。喜んでくれたのだろうか。ならよかった。マットレスが柔らかくて温かいから、フローリングが冷たい。

「だってどんな相手だって、息ができなければ死ぬし、血が廻らなくなれば死ぬんです。難しいのはせいぜい忍び込むまでで、誰にも見られないようにすることくらいで、だから三人くらいなんてことありません。大丈夫です」

 視点は合わない。それでもよかった。ここまでの接近を許されて、ニコニコ笑って話を聞いてくれる。それだけのことが嬉しかった。何よりも嬉しい。そのためなら何だってできる。実際、今日までそのためにやってきたじゃないか。

 だから人を殺してくるくらい……。

「そっか、お前はそのくらい何ともないんだね。いい子だ」温かい手がくしゃくしゃと頭を撫でる。なぜか、とても懐かしい気がする。「また頼むよ……僕の小さな王子様」

 寂しさを残して、手が離れた。


 エメトの中で、赤鬼に対する第一印象は「便利そう」だった。

 いることは前から知っていたが、会ってみればなぜか懐いてくる、王家の血を引く少年。父親は誰かわからない。母親はどうしたのか、一人で暮らしている。伏せられていたところから見てもろくなことはなかっただろうと予想がつく。

 だからといって、なぜ自分に懐いてくるのかよくわからないが、きっと寂しいのだろう。エメトにもわかる。自分がそうだったからだ。

 王家の剣と呼ばれた父は、レジスタンスの前に一族を率いて立ちはだかり、死んだ。

 彼は王国内に反乱が起きると、その都度まだ幼い息子を連れて戦場に赴いていた。心配性だった母は止めたが、自信家の父は「私のそばにいさえすれば安心だ。後ろにいるならもっと安全なはずだ。大体私だって2つの頃からこうして遊んでいたのだから問題ないもーまんたい」とか言ってきかなかったらしい。

 実際安全だった。革命までは。

 あの日、父は珍しく彼を置いて出かけたのだ。ついて来ないようにと言い含めて。しかし彼もまだ聞き分けのない子供だった。遊び道具代わりにしていたものだから、旧時代的な戦馬車の構造を理解していて、見つからないようについて行ったのだ。そうして地獄を見た。

 血族の戦士たちの体がいくつもいくつも転がっていた。彼らの首は羽虫のようにくるくると宙を舞っている。歩いているのは錆びて軋んだ音を立てる金属製の巨人ばかり。

 てらてらと銀色や銅色に光る表面には、眼球、ナイフ、笑う口、男性器、金貨、ネズミ、皮膚炎、ひっくり返った椅子などといった誰かのトラウマが無秩序に無際限に配されている。ごてごてと装飾された趣味の悪い王冠を投げたり転がしたり自分の胸に刺したり、巨人の行動もまったく意味が分からない。

 他にも鳥らしきものや猿らしきものが蠢いているが、どちらにせよ正視に堪えない陰惨なモチーフが繰り返されている。

 この魔法とも言い難い魔法を行っているのは、地獄の中心で狂ったように笑い続ける男だ。服装を見るに魔法使いだろう。

 貴族らしく、後ろで一つに束ねた長髪が風に吹かれ、無数の星をちりばめたようにきらめく。恐怖と苦痛で見開いた両眼から真っ赤な涙を流している。声は半分かすれて、開きっぱなしの口からはよだれが出ている。

 もうきっと本人にも何が何やらわからなくなっているのだ。それをもう一人、黒いコートの男が肩をつかんで揺さぶっている。正気に戻そうと、必死になって呼びかけている。何度も何度も。どれほどの間そうしていたのだろう、コートの男の声もかすれている。

 ここまでどうしてこうなったのか、幼い彼には何もわからなかった。記憶が風化していて、どうやって帰ったかもわからない。ただ、父や年上の従兄弟たちがもう帰ってこないことは何となくわかっていた。

 この笑う男は、彼の中に『力』のイメージとして未来永劫居座り続けることになる。

 エメト家の残党は多くが悲惨な最期を遂げた。あるものはギロチンに、あるものは迷う路頭で行倒れ、またあるものは酒と薬におぼれていつの間にか死んだ。彼の母親のように。

 一番寂しかったのは、父親の名前を書いた桐の箱に戦死した旨を伝える紙が一枚だけ入っているのを見た時ではなく、母が胡乱な目つきで部屋の隅に彼自身とは別の『息子』を見つけて笑いかけている時だった。よく覚えている。

 似たような寂しさを持つ、『力』の系譜の少年。その心情は理解できる。理解できるとはいっても、共感はしない。だからコントロールできないわけがなかった。

 今は邪魔者を片付けることくらいにしか使っていないが、これは甚だもったいない。もしかしないでも他のことにも使えるはずだ。

 しかし貴重品である、使途はよくよく考えなくてはならない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ