18
さあどんどん消化するぞー!
夏休みはラスプーチンと一緒に大臣の通訳兼護衛として神聖大陸まで付いていった。大臣はラベンダー色の目をした優しそうな壮年の男性で、癖の強い金髪が跳ねるのをよく気にしていた。
大臣からはあまり話しかけてくれなかったけど、なぜか赤鬼は彼に懐いた。当人からすれば野生の猛獣に懐かれたようなものだろうけどラスプーチンには微笑ましい眺めだった。
古くからの同盟国、フィリフェル。最近になって同盟を結んだ古き大国、ボルキイ。魔物によるバードストライクという万一の可能性を排除すべく、生還率の低い飛行機を使わず陸路で国外へ出たせいもあろうか、この二つを回って帰ってきただけだったけれど、コルヌタとの違いにはいろいろと驚かされた。
例えば牛肉というものを初めて口にした。この頃のコルヌタでは主に機械の浸透していない農村で畑を耕すのに使われるが、こちらの牛は囲いのある牧場で肉をとったり乳を搾るために飼う大型の家畜だ。車窓から見える牧場、牛や羊の影はきっと人口より多い。
混血人類への差別意識が薄いフィリフェルでは物珍しいのかよく話しかけられた。レストランでは気さくなコックに味の感想を聞かれて困った。牛肉を食べたことがないから、味について聞かれても困るのだ。
「うーん、えっと、ワームの背中の肉に似ています」
「はっはっはそれはよかった……ちょっと待てどんな味だそれは」
こんな味だけどなあ。首をひねっていたらラスプーチンに、次からはおいしいと答えるように言われた。コルヌタで畜産と輸入が頻繁に行われて牛肉が出回るのはここから十数年後になる。
唯々諾々と従う。そのあとで、人種差別の深く根付くボルキイへ行った。いちおう多民族国家を売りにしていて、人類はみな平等とうたいながら結局は差別が好きなのだ。
「……怖くないの?」
だから会談を済ませて車に乗ったときに、ラスプーチンは聞いてみた。どんよりと曇っていて蒸し暑いから窓は全開にしていて、風が吹き込んでくる。
あまり高度をとると魔物が巣を作りに来るコルヌタと違い、魔物の少ないこっちの街は高層建築が多い。道も大分狭く思える。避難の必要がないのだろう。
「何が、ですか?」
「いやほら」
あっけらかんと質問を返す無垢な瞳にまごつく。赤鬼は時々わからない。
「おいらはもともとこっちの出身だからあれだけど、君と大臣は混血人類だから。さっきからちょくちょく白い目で見られてるよ?怖くないの?」
言われて初めて気づいたかのように、赤鬼はぐるっとその辺りを見回した。目を向けられた純粋人類が顔をしかめて目をそらす。追いやる手ぶりをする者もいた。
魔族がまったくいない。まるで異世界だった。
「何ともありません……いつもと同じですから」
小さくそう言ったきり、赤鬼はシートに背中を預けて目的地までエンジンの音だけを聞いていた。白い横顔には声をかけようとしてやめる。何を言えたっていうんだろう。
国のためにと王家のすげ替えを考え、最終的には赤鬼の祖父、フロイトを含む王家の四人を暗殺するよう命じたのはほかでもないラスプーチンなのに。
思えばあれから始まった。一人目の暗殺者で、王と王妃の暗殺まではうまくいったのだ。
王太子として擁立された10歳のフロストを殺そうとしたら当時17歳のフロイトの返り討ちにあった。継承権を放棄して臣下に下ったフロイトは最初、暗殺対象には入っていなかったが、これでまず兄のほうを殺さないと弟を殺せないことがはっきりした。
二人目の暗殺者は美しい金髪の女だったらしい。らしい、というのはラスプーチンがまともに顔を見たことがないためだ。
いつもフードを深く被っていた。何と言ったか、暗殺者として名をはせた一族の出身だったはずだが、彼女はとんでもないへまをやらかした。
本命のフロストを殺り損ねたばかりか、暗殺対象との間に子供を作ってしまったのである。
父親が継承権を放棄したためこの子にも継承権はないということになって、五人目はなかった。とりあえず、大逆罪で終身刑になって投獄である。フロストが革命をやらかしたのはそのあとだ。
ここまで考えて背筋が寒くなった。あの革命から30年、そう、多く見積もってもたったの30年なのだ。
「君には、こっそり鳩子なんかがいるのかもねえ」
「……」
赤鬼は答えなかった。おーい、と呼びかけてみる。反応がない。まさか、と思ったら大臣がちょっと困った顔をして彼の頭を撫でる。
予想通り、寝てた。