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病み魔法使いの弟子  作者: ありんこ
レッドオーガ
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11

 やらかします。

 式典の間はおかげで上の空だった。何で表彰されたかもよくわからない。ただ表彰状を手に弾む足取りで家へと歩いた。

 もうまっとうな人間のはずだ、少しくらい楽しい気分になってもいいと思う。勢いよく玄関を開けた。

「お母さん!」

「うるせぇ!」

 なんか思ったのと違う反応が来た。顔面に拳を食らって崩れ落ちる。インパクトの瞬間に自分で体を引いたから歯が折れたりはしていないが、唇が切れて血が出ている。

 誰だこいつ。見覚えがある。確かこのところよく家の前で見かける、……母親の新しい恋人。珍しく続くパターン。

 よくよく考えてみれば玄関の鍵が開いている時点で違和感に気付くべきだった。いつもは母親がいても開いていないし鍵を渡されていないから玄関前で待ち続けたこともある。今日に限って開いているなんておかしいと思ったんだ。

 いや、でもこれはないだろ。困惑していてすぐには立ち上がれなかった。足つぼ健康スリッパを履いた足が脇腹を踏む。

「ぐ……うっ」

「何だよいつもは静かにやってるくせによ……頭に響くじゃねーか、ああ!?」

 二日酔いだろう。酒臭い。自分の怒鳴り声は頭に響かないんだろうか、なんて関係のないことを考える。

 彼の脳は早くも逃避行動をとっていた。下手に抵抗しないほうがいいだろう。今度は肩。何度も何度も、同じ場所に。判断力は正常なのか。鎖骨がどうにかなったかもしれない。人生何回目になるんだろう。

 顔は守った方がいいかな。傷があると学校で目立つ。お腹空いた。冷蔵庫に確かまだ魚があったと思う。いい加減野菜と魚以外の料理も食べてみたいなー。

「ん?何だ?表彰状?こんなもんもらってんのかよ」

 爪、切りすぎだな――触るな!脳が逃避行動から戻ってくるより先に喉から叫び声が飛び出した。魔力の支配に長けた今はかような動揺にも魔法が暴発したりはしない。

 男は下卑た笑みを浮かべた。いいことを思い付いたとばかり笑う。

 思い出した。あの笑みだ。子供が虫の脚を千切って遊ぶような、子供が包丁で人の耳を切り取って遊ぶような禍々しさ。厚い紙の表彰状が中心からびりびりと裂けた。

 悲しい、のだろうか。

 一切の感情が停止した。死体の体温が消えていくように渦巻いた思いが消えていく。涙も出ない。ただ蹴られても踏まれても何の反応もしなくなった身体が今更になって耐えがたい苦痛を訴える。

 どうしてこうなるんだろう。認めてほしかっただけなのに。どうしてこんなところでひたすらサンドバッグしてるんだっけ。おかしいな。

 早くやめてくれよ。痛い。腹をぐりぐりと体重をかけて踏まれる。内臓が潰れそうで、吐き気がする。

「あははっ。もう、いいや」

 呼吸もままならないはずなのに、殴打されながら口から落ちた声は涼しくすらあった。冷房の風のように内出血を冷やしながら廊下のフローリングに染みわたってフロアを満たす。

 笑い声の体裁をとってはいたが、顔からはあるだけの感情が、つけられるだけの表情がすべて抜け落ちていた。笑い声を模したのは単に、彼が他にその感情の表し方を知らなかっただけだ。特に意味はない。

「あ?何ぶつぶつ言ってやがる」

 男が足を止めた。足首を白魚のような繊手で捕えられたのだ。振り払おうとした。脱力しているように見えて握る力が強い。解けない。よたよたとたたらを踏む。

 足首を掴む手はそのままにゆっくり赤鬼が立ち上がった。

「もういいと言った」

 その顔を、正面から見ることはできない。後ろ暗さではない。そんなものを感じるくらいならサンドバッグにしていない。逆さづりなのだ。

 じたばたと虫のようにもがく男をつまらなさそうに一瞥すると、無造作に手を振り上げる。男の体が短い廊下を勢いよく滑って玄関にぶつかる。ちょっと開いた。

 ちょっと重たい荷物のようにして、投げつけた。リビングから出て来た母が悲鳴を上げて伸びた男に駆け寄る。足が一本おかしな向きにねじ曲がっている。取っ手にした方だ。

 母はほとんど泣き叫ぶようにして男の体を揺すっている。

「お母さん」

 ほとんど無意識に呼びかけていた。母は反応もしない。いつものことだ。いつだって、校内で表彰されたことを話した時だって話を聞いてくれたことは一度もない。

「お母さん」

 男の方は死んでいないらしい。母が救急車救急車と叫んでリビングへ戻る。赤鬼のそばを通り過ぎた。振り向かない。女に踏まれた白い紙片が三センチくらい浮いて、戻った。ペアルックの健康スリッパの足跡。

「ええ、はい、はい。あの人が倒れて……死んではないみたいだけど、大けがして。はい、お願いします!」

 がちゃんと電話を切った音がした。また赤鬼の脇を通り抜けて、女が男に駆け寄る。こっちは見ない。

「それ、俺がやったんだ」

 わずかに開いた玄関の隙間から野次馬が集まっているのが見えた。

「それが死ぬとか、後遺症が残るとか、そういうことがあったら俺のせいだ。全部俺のせいなんだ。……だから、こっちを見ろよ。怒れよ」

 やがて救急車のサイレンが聞こえた。よかったとか助かるとか、そんなようなことをわめき散らしている……物体。

「お母さん」

 それきり赤鬼が母親に語り掛けることはなかった。

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