戯れる家族
チョークの輪で三人――二人と一柱はアサギ村へやってきた。
今度はそこまで田舎でも寂れてもいない。平日なので時間帯的に人がいないけど、夕方には帰宅ラッシュに変わるだろう。昔懐かしの駄菓子屋を見つけた。まだ小中学生相手に頑張っているようだ。
数年前の事件で小中学生は、減ったはずだけど。
「いやな事件でしたね……まだ、腕が一本見つかってないんでしょ?」
唐突にユングが言った。もうっ、何でもかんでも惨劇につなげる!とデコピンをかましたら涙目になった。しょぼんと肩を落とす。
「いいえ、出まかせでもありませんよ」
そう言ってコールは涙目のユングを撫でた。感極まって変な声を漏らすユング。こ、これは……ッ!腐れた妄想が、捗る……ッ!
「人数が多いだけのただの食中毒とは言っても、被害者たちが児童ですからね。遺族に解剖を拒否されて、いまだ誰が、何人、何によって、どのように、死んだかがあまりにも曖昧なので惨劇は惨劇です。この科学が進んだ現代に死因が曖昧というのは、ある意味で一番のホラーなのではないでしょうかね」
大魔神は攻めだ!イルマの中で何かの定義がぴたりと決まった。
「ウェヒッ……そ、それもそうだね。デコピンしてごめんよ、ユング」
「大魔神様に撫で撫でしてもらったから完全回復すら余って健康増進ですよ……。先生、僕のことは気にしないで……」
賢者のような顔つきで受け……じゃなかった、ユングが言った。今、時間帯を早朝にしたら事後に見えるよなあ。ニヨニヨ。
「コールさん、今度の相手は普通の会社員だから帰っていいよ。今日はほんとにありがとね」
「そんな。暇なので大歓迎ですよ。では」
言い終えるか終えないかのうちにその姿が足元から薄くなって消えていった。
登場時の黒いオーラはあまり感じていなかったが、いなくなると世界の彩度と明度が少なからず上がったような気がするのは不思議だ。心なしか空気もおいしいような。
カミュにプリントアウトしてもらった地図を頼りに依頼人の家へと向かう。地図は白黒だ。インクをケチりやがったな。それどころか古いプリンターを使ったのだろうか、ずいぶん文字がかすれている。
そろそろ買い換えた方がいいだろうに、ああ、毛が散れ。頭上もしっかり毛散りやがれ。見づらいからちょっと呪う。呪ったがちゃんと迷わずにたどり着けた。
今回の依頼人はイルマにとっては嬉しい年頃の中年男性だった。まともに禿げている。背が高くてまともに禿げは見えない。しかしなかなかのよろしい禿げ方だ。上から見たいのお。
そんなことを思っていたら依頼人が深々と頭を下げた。
「申し訳ありません!依頼したいのは単なる霊媒ではなく――」
「バーコード!?絶滅したと思ってた!おじさんすごいよ撫でまわしたいすりすりしたいぺろぺろしたい!」
依頼人がギョッとするが目に入らない。目に入るのは美しいばかりの、完璧な、バーコード頭だけである。
「ふ、ふぉおおおお……!たくましく生き残ってたんだね!もう感動ものだよ!幸せ!私幸せすぎっ死にたい!幸せで溺れて死にたい!っていうか殺して!今すぐに!」
首の後ろに衝撃を感じたと同時に、イルマは意識を手放してテーブルに突っ伏した。恐ろしく早い手刀、ワタシでなきゃ見逃しちゃうね。暗転。
もちろんその辺のおっさんに手刀なんか見えない。あっけにとられる何も知らない依頼人にユングはのどかに笑いかけた。こういう事態の収拾というかフォローは祖父で慣れている。
「すみませんね、今日は別の仕事を一つ片付けてきたところでして。先生、ちょっと疲れてるみたいです。乙種魔導師とはいえ見ての通り心も体も子供なのでご容赦ください。話は僕が聞きます」
「そうでしたか……お疲れ様です」
寝ている少女をちらと見た。
まかせて、先生。僕だってこういうことはできるんですからね。ユングは満面の笑みを浮かべた。
「さあ、ご依頼をどうぞ」
「地上は雨みたいね」
「うむ。いつになく暗いな。雲も黒いし」
「そうね、あんたの腹ほどじゃないけど黒いわよ……きゃああああ!?」
石を積むのに疲れて一時休止のため座っている少女の隣、いつのまにか亡者が一人ちょこなんと腰をおろしていた。
「な、何でいるのよっ!?転生したんじゃないの!?」
「まだだ。更生すらしていないのに転生すると思うのか」
「お、思わない、けどっ。じゃあどこ行ってたのよ」
「ぺらぺーらと喋りたい所ではあるのだが、俺にも守秘義務があるのでな。どこかここではないところとでも言っておこうか。ニヒルに」
空気が粘り気のある液体のように世界を包み込んだ。
「……単に言いたくないだけなんでしょ」
「何だわかっているではないか。ときに、顔色が悪いようだがどうかしたのか?これ以上は悪くなりようがないと思うのだが」
それがね。ラナはさっきまで積んでいた塔を蹴った。素足だったからちょっと足が痛かった。がらがらと灰色の小石が灰色の河原に散らばって、それはすぐにどれがどれだったか、わからなくなる。
死んだらいっそ、こうなってしまえばいいのに。
「凄く嫌な予感がするの……うちの両親、大それたことを考えてないかしら」ほう。亡者は目を瞬いた。自分で崩すようになって、本当にこの亡者Aも進歩したものである。「私を蘇らせようだとか、そういうの。ホントに困るわ」
「蘇ると困るのか?」
「……っ、困るわよ。だって、……もうっ、何だっていいでしょ。ほっといてよ。石でも積んでなさいよ!」
何も知らない男の手がぽんぽんと頭を撫でた。一瞬のことだったから、あまり反応できなかった。逃げるように川から離れて石を積む。
ばか、と言ってみた。それから、これじゃない、と思う。
20分後、疲れが取れてすっきりした気分でイルマが起きた。さっきの部屋とは別の場所に連れて来られたようだ。周囲に人影はない。どうやら子供部屋だ。依頼についての説明をユングの口から聞かされる。
「依頼人の長女が数年前に例の集団食中毒事件で亡くなったそうです。一人娘だったとか」
「うん。知ってる。その子を呼び出して、話をすればいいんだよね?」
いいえ、とユングは首を振った。
「その子を生き返らせてほしいそうです。依頼内容は、死者の蘇生です」
時が止まった。そう、夫婦は例えたという。
互いに年をとり、諦めかけたころにやっと生まれた玉の様……でもないが一人娘。蝶よ花よと育ててきた娘を突然失ったのだ。親戚の魔術師に頼んで娘の体は仮死状態に保っている。ここに魂を入れて、生き返らせてくれないかと言っているのである。
そこまで聞いて、イルマは表情を変えた。
「立派な詐欺だよそれ!依頼金もそうだし、訴えるよもう!幸せの絶頂で死んでればよかった……生き残っちゃったのはもう仕方ないな、ユング、110番して!」
少年は申し訳なさそうに唇をゆがめた。
「それが、ここ、電話が無いんですよ。詐欺どころか、一人助かったら全員やらされる恐れすらあるのに……」
魔導師の人権を守ろうの会に今度相談しに行こう。
「うーん……私も条件が一人目と同じなら10人目までは何とかできると思うけど……それ以降はなあ。墓場からゾンビを生やせばいいのかな?ごまかせて三日だけど。っていうか死者の蘇生って倫理の問題で今争ってるじゃん。今蘇生することなくない?」
なんとかできるんですね。ユングの目がちょっとキラキラした。反応に困る。
「今争ってるからですよ。もし、議論の結果完全に違法になっちゃったら蘇生できないから。僕は死霊術を使えないので先生と相談しないと何とも言えません、それに明日も仕事が入ってるしって言ったら逆上した二人に子供部屋に先生ごと放り込まれたんです。外から鍵とか掛かってるし、窓もテープで完全にふさがれてるから杖で割っても脱出できません」
「要は閉じ込められたんだね?意外とうかつだね?死ぬの?」
「……ごめんなさい。とりあえず想像もつかないような恐ろしい死に方をしますね。殴ると後で面倒なことになるかと思って、あ。あと、なんかガソリンの臭いがしますよ。断ったら家ごと焼く気ですよ、これ」
「えー、脅迫のつもりかな?私でも足手まといのユングをかばいながら炎の中無傷で脱出する方法を26通りは思いつくよ?」
「よろしくお願いします。痛いのは嫌なので」
もう足手まといなのは諦めたらしい。こいつにはプライドってものがないのだろうか。
「……でも困るよねえ。魔導師も人間だっつうの。そしてここは法治国家だっつうの。国民だから法にも縛られてるんだっつうの」
「祖父がいたらあの状態の夫婦も奴隷人形に変えることができたのに」
ふうぅ、と主のいない子供部屋にため息が響いた。
親の愛情の結果なら過程はオールオッケー、みたいな風潮はそろそろやめてほしいものだ。過程がオールオッケーなのは他人様に迷惑がかからなかった場合の話である。
この世に一人として他人に迷惑をかけずに生きている人間はいないとも言うが、だから何をしてもいいわけではあるまい。子供の敵といって人を殺す。捕まる。極端な例だがそういうことだ。
死者の蘇生にしたって、百歩譲って自分で死霊術を覚えろとは言わない。さらに五百歩譲って蘇生を頼むなとも言わない、だがせめて詐欺とか幽閉とか脅迫とか、そういうのはやめてくれ。
あと頼むなら魔導師を呼び出すんじゃなくて自分たちの側から来てくれ。
だってこんな地元で死者を蘇生したら術者がどうなるかくらい想像に難くないだろう。依頼が殺到してこの村に張り付け状態だ。最悪、魔力と方法はどうにかなるが魔導師の社会人としての信用と生活はどうなる。
大体、娘が死んで時間が止まりました系の話をしてそのまま相手が苦言を呈さず拒まず望むとおり働いてくれると思っているのが傲慢すぎると思う。言っちゃ悪いが、子供が死ぬのはここの家に限った話ではないのだ。
この夫婦については娘の蘇生を魔導師に依頼するだけの財産があったからまだましなものの世の中にはそれすらできない状況の人だっているのだ。冷たいことを言うなら親にとってはたった一人の娘だったかもしれないが、イルマ達にとっては見も知らぬ赤の他人である。しかも死んでいる。
常識的に考えてそんな相手のために社会的地位と生活を放り出す馬鹿がどこにいるというのか。少なくともここにはいない。明日の仕事だって人の命にかかわる仕事である。
「うー……」しばし、イルマは頭を抱えて考え込んだ。不意にドアを叩いて大声を出す。ユングがびっくりして飛びのいた。
「……おじさん!おじさあん!ちょっと来て!ねえ、依頼は受けてもいいよ!話があるんだよ!」
「……本当ですか?」
あっさりドアが開いた。ドアが開いた瞬間にイルマが自分を殴って逃亡するなどとは少しも思っていないらしい。人を信じることはいと美しきかな。どのくらいって?そうだね反吐が出るくらい。そういう感情は表に出さない。
「うん、本当だよ。私は死霊術が使えるし……蘇生だって一度は成功させたことがあるんだ。でもね、実行する前におじさんに話がある」
「妻ではなく、私に?」
うん。深く頷く。こういう時に冷静に判断できるのはどちらかというと男性だ。
「まず――人間は蘇生しても長生きできないよ」少し男の顔がこわばる。はっきりした発音で、ゆっくり言い聞かせるように話す。
「魔物みたいに生命力が強くて再生するならともかく、死ぬなら怪我でも病気でもそれなりの理由があるんだ。つまり、死ぬ原因が残った体に無理やり戻しても元気になんかならないしすぐに死んじゃう。だから、せっかく保存しててくれたお嬢さんの体は開いて、中身を見て、何で死んだかを知って、話はそれからなんだ」
つぎに、と話を続ける。
「魔導師と魔術師の違いは知ってるよね?どっちも国家資格だけど、魔導師のほうが上位の職で、人数も少ないんだ。仕事の内容も量も違う。おじさんは魔導師に依頼を出した。……私に、明日の朝にも仕事が入ってるとは思わなかったの?」
「思いました……でも、人一人の命に比べれば……」
「ごめんね。私も、丁種の魔導師か魔術師ならそう言ってあげられるんだけど、乙種はさ。ただ魔物を間引くとか、指名手配犯を探すとか、そういう仕事じゃないんだよ。もちろんそれも大切だけど、私たちに回ってくるのはもっと直接的に、もっと大きな規模で人の命にかかわる仕事。たとえば今日私がしてきたのは洞窟の探検っていう普通のと、村を襲う突然変異体の魔物の退治」
明日の朝は、と息を吸う。
「現在進行形で魔物の群に襲われている村、だよ。今は民兵とか地元の警察が頑張ってるからまだ被害は小さいよ。でももし放置したらここで起きた集団食中毒以上の被害が出るかもしれない。時間だって、現地の人は明日の朝魔導師が来ると信じて耐えてるんだ」
バーコード男の顔がこわばる。悪い人にはなりたくないらしい。娘への執着が所詮その程度ならおとなしく泣き寝入りしていればいいものをと思った。
「依頼にはね、『至急』って赤いハンコが押してあったよ。電話一本で遅刻できる仕事じゃないんだよ。国が手を回せたら一番いいんだけど、この国は魔界に一番近いし世界情勢を見てみてもけっこう危ない。公務員の魔導師さんたちはいつだって人手不足だよ?三年前にも、ただでさえ6人しかいなかった甲種の魔導師が病気で一人死んじゃった」
それに、と言葉を継ぐ。ここからは心にもない言葉の機銃掃射である。
「一人蘇生すれば、この町で死んだ子たちの親は皆ここにきて私をここに縫い付けるよね。最悪、仕事に遅れた私が責められて信用を失うのは、いいよ。生きてさえいれば私たちは何とかするよ。でもさ、あなたは私が遅れたせいで家が無くなった人たちとか、死んじゃった人たちとか、その人の家族とか、そういう人たちには何て言うの?」
ユングが驚いた顔でこちらを見ている。魔族論理とは違う方向から攻めているからだろう。
「死んでお詫び、なんか許されないんだよ。全身焼かれて悶え死のうが、そのあと地獄に落ちて苦しもうが誰も許さないよ。取り返しがつかないことをするっていうのはそういうことなんだよ」
「し、しかし」
「最後にね」言葉を鋭く遮った。
「死んだ人はネクロマンサーの私が呼べば答えてくれる。出てきてくれる。もう死なないからって、ほとんど捨て身で戦ってくれもする。だけど、蘇らせて喜ばれたことは歴史上一度もない。皆、自殺しちゃうから。私の時は明日にも死ぬような病人に協力してもらって、その人を特殊な薬で即死させて、薬が抜けた直後に蘇らせたけど凄く嫌そうだった。よく成功させたってほめてくれたけど生き返ったのは嫌そうだった。寝返りすらろくに打てない人だからよかったけど、あれで動けたらすぐに窓に突っ込んで飛び降りそうなくらい」
部屋がしいんと静まり返った。十分に間を持たせる。まだだ。まだ言うな。よく顔を見ろ。仕草を。流れ落ちた汗を。そして効果が最大になる時を待て。
「それでも、やる?……死にたくなかったら、結論は早く出してね?日が昇るまでに町を出ないと、恐ろしいことになるから。おばさんと相談してきてもいいよ」
結局彼は静かに、背を丸めて部屋を出ていった。ドアを元通りに閉じて誠に勝手ながらベッドに座る。足音が遠くなっていく。下の階に降りた。
いやな汗をぬぐって口を開く。
「……ね、ユング。今の話さ、……嘘なんだ」
「え、えーと……どこからが、ですか?」
ガムテープで完全にふさがれた窓の向こうから雨の音がする。冷たい音だ。仰向けに他人のベッドに倒れ込んだ。もう好き勝手。
「ほめてなんか、くれないんだよ。……嫌そうでもないし。だって、ししょーは自分が死んだことすらわからなかった……。病気のせいか薬のせいか……私にはよくわからないけど。もうあの時、ししょーはね、……あははっ、私の顔もわからなかったんだよ?褒められるわけないじゃん……声をかけてもぼーっとしてて、会話が通じてたかどうかもわからない。もともとああだから、きっと自分が誰かも完全にわからなくなってたと思う」
「そう……でしたか。その病人は、実存の」
だからあの時右手は動くはずがなかったのだ。最後に言葉を発するはずもなかった。掛け値なく、あれは奇跡だった。この部屋に時計がないために時間はわからない。隣に黒髪が闇に沈んで、白いマントだけみたいになって黙ったまま、じっと座っている人影。
「でも、ね。イルマっていう女の子のことは覚えてるみたいでね。時々私に、あいつは元気か、ちゃんと飯食ってるかって、聞くんだよ。元気だよ、今日なんておかわりしちゃったよって答えたら、ふふっ、って笑ってさ……目の前にいるっての。もう治らないのは知ってたからそんなになっても私のことを覚えててくれたのは嬉しかったかな。今は死んでるけど、どうなのかな……死んだら全部思い出すのかな。なくしちゃった昔のことも、自分のことも……だと、いいんだけどなあ」
雨はしとしとと降り続いていた。