08
この物語はフィクションであり、実在するあれとかこれとかとは一切関係ありません。何をいまさら?大事なことだからもう一回言うんです。
「甲種合格、か」
魔導師になったところで彼の身辺は何も変わらなかった。
母は相変わらず男をとっかえひっかえしているし、学校内ではがり勉呼ばわりだし、教科書には落書きされるし、上履きは消えるし、机に死ねとか書いてある。
塾の女講師のスキンシップは過剰だし、ピアノを教えている男は尻中心に触ってくるし、体術を習いに行ってるのに言葉遣いがなっていないとかで殴られるし、大会には出してくれないし、模試の偏差値もあまり上がらない。
というか、分母が増えて行っているから平均も変動していくのだ。馬鹿な、早すぎる。小学生だぞ。受験戦争おそるべし。
母との会話はない。自分になど話しかける価値もないのだろう。それも道理。赤鬼自身自分の人間性の希薄さ――希薄になりつつあることは感じていた。
学校でのいじめにももう心が動かない。動くとして、うは、考えたな、ちと困る、である。売れ残り痴女も無視できるようになってきた。ピアノの変態は存在を気にしないようにした。言葉遣いがちゃんとしたから正当な理由で殴られなくなった。あれ。不当に殴られてない?
とにかく、境遇を鼻先で笑い飛ばせるようになってきてしまった。慣れは恐ろしい。この頃から赤鬼も本格的に受験戦争に首を突っ込むこととなるが、代わりにピアノと体術の習い事がなくなってちょっと楽、とすら思った。
当然、珍しい試みなんかをしている私立の中学校に入れるわけだ。なぜそれを選んだのか。母親の野望である。公務員などで満足しない。ゆくゆくは起業して大会社の社長の母という立ち位置でぬくぬく暮らしたいのだ。
赤鬼はもうそこまで思い至ったはずだが、目をそらしていた。信じるものは救われますかそうですか。
珍しい試みというのは、積極的に色々な経験をさせるという意味でのことだ。発表会が年に二回ある。卒業する前に論文を書いて提出。社会の第一線で働く大人が来て説教を垂れて帰る。あとなんか学習内容も前倒しで習うらしい。
甲種魔導師赤鬼からはもう無意味な反復でしかないがそれなりに楽しんで取り組む。体調を崩す奴が続出したが気にならない。国からもスカウトを受け公務員と学生の二重生活だ。鬼って言いませんか?ああ、赤鬼でしたか。
中学校にはそれまでの彼を知る者はいなかったし、今度は普通に自己紹介できたからちょっと浮いているだけで済んだ。彼の顔立ちは女性的で優しそうな印象を見るものに与えた。彼はその印象通りの人間でいるよう心掛けた。
――人と話さないという方法で。
赤鬼が中学生になったころ、寝るときには服を脱いで全裸で寝るようにと指示された。写真に撮ったら売れるらしい。
どういう層に自分の全裸が売れるのかよくわからないけれど従順に全裸で眠る。全裸健康法ってあるそうで。
と、ここに来て、初めて彼の心を大きく乱すものが現れた。
端的に言うと恋愛である。
「何それマジで!?きゃははははは!!」
耳をつんざく甲高い笑い声に思わず耳を塞いだ。どうして女というものはところかまわず、こう変な声で笑うのだろう。ああ、今すぐ口をふさいでナイフで喉を掻っ切りたい――なんて言わない。
言わないが殺意が湧く。湧いて、沸く。沸騰する。上からロードローラーでも落としてやったらどれだけ静かになるだろうな。
「あふぁ!あひゃひゃはふぁ!」
彼女に目を向けたのは、大した理由ではなかった。ただその女の子の声が一番むかついたのである。
授業中だろうと昼休みだろうと発表会で人が前で喋っていようとお構いなし。ほんのちょっとの刺激で無駄に通る甲高い声で笑いまくる。自分が笑われたようで嫌だったこともあるが、彼女は誰に対しても何に対してもそういう態度なのだと知った。だからちょっと腹が立つだけだ。
本当は笑う時の調子、というか、抑揚が嫌なのである。汚い声をしているのではない。掠れているのではない。ただ神経をこの上なく逆撫でする。
言っても中学校なんて三年間だ、我慢できないわけじゃない。そう思っていた。