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病み魔法使いの弟子  作者: ありんこ
レッドオーガ
184/398

04

 じめじめした梅雨にぴったりのじめじめした話、みたいな。画面がかびそうですね。

 一方、例の職員から報告を受けた施設側は国に助けを求めた。おそらく魔法だろうと判断したのだ。国家直属魔導師には魔法の生き字引がいるから魔法なら何か、魔法でない別の力なのか、わかるはずだ。

 しかし、まあ、当然のことながらさしもの生き字引も詳しい事情を聴いて面食らった。

「え、誰も被害者たちの顔と名前を思い出せないの?困るなあ」10歳前後にしか見えない少年が、カールした赤毛をくりくりと指先でいじりながら不満を垂れた。「もー、おいらにどうしろって言うのさ」

「わからない……のですか」

「わかってるよ、もう。だからこそ、そうだと困るのさ。……いいから彼を連れてきて」

 甲種、不死身のラスプーチン。何を隠そう、このちんまりした少年が生き字引なのだ。連れてこいと言われて、職員は唇を侮る形にゆがめた。

「でもあの子は駄目です、自分の名前も忘れるような馬鹿ですから」

「いいから連れてきてって言ってんだろ。それとも何か?老衰で死ぬ時の自分がハゲかフサか今ここで判定したいのか、小僧?」

 苛立ちを隠さないラスプーチンの指示に従い、わずかに緊張した面持ちの赤鬼が連れてこられる。生贄か何かのようである。赤鬼の顔を見て、生き字引が言葉を失う。

「君……は」

 何も知らない赤鬼はただキョトンとした顔でラスプーチンを見ている。

 明らかに似ていた。胸が悪くなるほどに、目も額も鼻も口も眉も髪も肌も顎も耳も歯も首も肩も……この表情までも面影が残るのはなぜなのだ。

「僕が?何でしょう」

 しかも声までも。背筋が冷たく這い上がるのを感じた。間違いない。嫌な方の予感が総当たりだ。

 ああ、どうして発掘しちゃうかな、流れた離れた貴なる種を?今更。今更だ!あの忌々しい革命からもう30年もの歳月が過ぎたのに、どうして今更になって。

 唯一の救いは弟の方じゃなさそうだということくらいか。早鐘のように打つ心臓を抑えつけて、君の名前はとできるだけさりげなく聞いた。

「僕は、赤鬼です」

 当たり前のように人名ではないものを名乗った少年にぎくりと身がすくむ。

 彼の方にしてもそうだったらしく、自然にそう答えた後で、ラスプーチンの反応を恐れるかのように目をそらし、子供っぽく唇を震わせて言葉を探した。

「えっと……ほんとの名前は……名前は……」

 たじたじと目を泳がせ、言葉を探す。白魚の稚魚のような白く小さい指先が白いのに痣だらけの太もものむき出しの皮膚を擦りながら股の方へずり上がって、半ズボンの裾をぎゅっと握りこむ。全身がわなわなと震えだした。

 思い出せないのだ。それらしい名前はいくつか思いつくけれど、ひとつも自分の名前だと思えない。実感がない。

 藤色の瞳に涙が溜まっていくのを、白い顔が蒼白になっていくのを、痛ましい気持ちでラスプーチンは見守った。ここまでの受け答えは年の割にしっかりしていて、落ち着きもあった。敬語だって完璧だ。

 職員が嘲笑ったような馬鹿には見えない。

「僕は……」

「もういいよッ」

 ラスプーチンは上ずった声で小さく悲鳴を上げた。赤鬼がびくっと身を引く。その恐怖の気配に――というより恐怖を与えたのが自分だという事実に少なからず怯えながら、かさかさになった唇をかみしめる。

「……もういいよ。ここの人に聞いてたから」

 ごめんなさい、とともに少年の目から涙がこぼれ落ちた。一緒に感情も抜け落ちたように表情が消える。震えが止まってズボンの裾を握る手が離れた。

 こういう顔を以前にも見たことがあった。虐げられてきたものの目。自分を殺すことを知っている。質問するタイミングを計りかねていたら察したのか、赤鬼が先に口を開いた。

「僕が殺しました。あの四人。名前が……僕にも、思い出せないけど」

 職員から事前に聞いていた話が本当なら、殺したというより正当防衛だが、ラスプーチンは彼の理解を覆そうとはしなかった。

 理解より誤解に近いが淡々と語るまなざしには反論などできない。あまりに賢そうで、まるで自分の方が間違っているように思えて来たのだ。

「僕がやったんです」

 念を押すような声色にどうにかこうにか返事をする。

「あ、うん。これから、だけど」

「僕は死刑になりますか」

「ならないよ、少年法があるから。ね?君は皆の役に立つんだ、これから……魔導師になって」

 無表情だった赤鬼の瞳に、わずか明るい色がさした。年相応とまではいかないけれど、いくらか子供らしい様子にひとまず胸をなでおろす。掴みは良好。

「君の母親が名乗り出たんだ。君はこれから赤鬼じゃなく、君自身として生きていく」

 色素が存在しないのではないかとすら思える肌がさあっと薄紅に染まって、赤鬼が高揚したのが誰の目にも明らかだった。笑顔でこそなかったが、喜色が顔全体に現れる。

 何だ、ただの子供だ。ほっとしたラスプーチンは他の齟齬には目をつぶり、赤鬼を置いて施設を出て行った。

「お母さん、か」

 その夜、赤鬼は眠れなかった。罪悪感すら忘れて幸せそうに一人呟いていた。おそらく誰一人見たことがないだろう笑顔を浮かべて。

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