02
解説いらずの鬱回、どーん。
「おい、起きろよ」相部屋で最年長の少年が起こしてきた。まず寝付いてもなかったのだが、起き上がる。「来い」
命令口調に腹が立たないわけではないが、唯々諾々と従う。同じ部屋の少年たちがついてきた。どうせまた何かされるのだろう、とふらふらする頭で考える。
彼が主導して悪だくみをしているらしい。痕が残るようなのは、嫌だ。職員に見とがめられて自傷行為とみなされる。
両手が毛むくじゃらで青白い、精神科医の顔を思い出した。やたら背が高くて、いつも掠れた咳をしていた。精神病棟というところに行くと、人間はああなるのだろうか。
眠気が脳を鎖で締め上げる。地面の感覚が少し遠い。三センチほど浮いているみたいだ。金属板をバットで殴る音が耳にこびりついて離れない。
半ズボンから伸びる女のように白くて細い脚は痣だらけで、白いところがほとんどない。じくじくと痛む。本来足は速い方なのだが、このざまでは逃げることもできない――逃げたとして、どこへ行くのだ?
ああ、どれもこれも消えてしまえばいいのにな。
その元凶の人間に対して死ねとは思わない、彼らも殺そうとまでは思っていないだろうから。ぼうっとしたまま、空き地の真ん中まで来た。子供たちが足を止める。
今度は何だろう、早く終わってほしい。眠い。薄もやがかかったような意識は、リーダー格がポケットから出したものを見て覚醒した。
切れかけの街灯を反射して鈍く光る、刃渡りは10センチくらいだろうか。一般的な文化包丁である。赤鬼を取り巻く少年たちが沸いた。
「す、すげえ!」
「そんなのどこから持ってきたんだよ!?」
「今日家庭科で実習があったからくすねて来たんだよ。静かにしろ、誰か来るかもしれないだろ」
じりっと無意識に一歩下がった。気づいた少年が二人、赤鬼を押さえつける。湿った地面に額を擦った。いつもと違うリアクションに鼻息を荒くしながら、包丁が近づいてくる。
「なあ、それ俺にも貸してくれよ」
「後で回すって。じゃ、まずは耳で」
ポケットに入っていたためか、体温が移って生ぬるい刃が左耳の後ろに当たる。ぶつっと痛みが鋭く走るが、切れ味は鈍い。それをやみくもに押し付けてくる。
耳を切り落とそうとしているのだと、気づいた。にっちもさっちもいかなくなって包丁が力任せにむしり取られる。
そんなことをしても喜ばせるだけなのに、喉の奥から喘ぎと悲鳴が上がってくる。痛む耳から生ぬるいものがえらから首のあたりを伝う。少年たちが嗜虐的に嘲笑する。涙が出て来た。
もう一度、違う角度から包丁が差し込まれる。今度は、ぐいぐいと横に動かされる。掠れた悲鳴を上げながら手足を痙攣させて、まるで虫けらのようだ。痛い、痛い。やめて。やめてください。
口の中に何か酷い臭いのするものを押し込まれ、むせる。吐き出す。本当はどのくらいの時間だったのだろうか。体感では何時間にも感じられた。
「ほーら、切れたぞ。はははっ」
そんな声とともに、べちゃっと柔らかい何かが目の前に落ちる。扁平で、小さくて、これが自分の顔の両脇についていた物の片方だと思うとなんだか不思議だった。
言葉もなく涙を流しながら、静かにしゃくりあげていると、別の少年が砂粒のついたそれを汚いものでも触るような手つきでつまんで、持ち上げた。
唇に熱を失っていくソレが押し当てられる。
「食えよ」
反応できるわけがない。
固まっていたら半開きの口に無理矢理耳だったものが押し込まれた。吐き出す気力もなく、それでも砂利と鉄の味が混じった生ぬるい肉塊が嫌で口を動かす。こいつ食べたぜ、と笑う声。しばらく彼らは耳で笑っていた。
情けない。耳があったところが痛い。地面に熱を奪われている。涙が止まらなくて下瞼がひりひりする。股のあたりが冷たくて、アンモニア臭が漂う。恥ずかしい。穴があったら入るどころか消えてしまいたい。
手のひらに爪が食い込んで、血がそこからも流れ出した。
「次はどうするんだよ?」
「好きにしろよ。あ、まだ殺すなよ」
次に血と脂に塗れた包丁が回ったのは、一番年下の少年だった。力加減を知らない背の低い目のぎょろぎょろした奴だ。興奮しているのか、何かよくわからないことを言いながら大きな目を光らせている。顔に切っ先が近づいてきた。
目か。悟ったけれど、何の行動も起こせない。
一撃目は外れて、目の下あたりの頬肉に深く刺さった。歯茎に硬いものが当たる。きいきいと耳障りな金切り声でわめいて、少年が包丁を抜く。涙が沁みる。
ぱたぱたと遠くで足音のようなものが聞こえたが、そんなもので持てるほど希望は安くない。
二撃目も外した。へたくそなだけではない。できるだけ長く、かっこいい武器を触っていたいのだ。今度は鼻の中ほどに刺さる。鼻血で溺れかけて、鯨のように血の色の潮を吹く。今度は骨が引っかかってなかなか抜けなかった。げほげほと咳き込む。