ダンス・ウィズ・バッドラック その1
回想です。つまり、しばらく続きます。
席に戻ってくる。鍋いっぱいの雑炊、食べ終えるにはまだ何往復かする必要があった。さあペースアップだ。どんどん食え!イルマがほおばっている間に魔導師二人は商談を進めているようである。
「だからな」メンゲレはまだ少し雑炊に未練のある顔で言った。
「いくら相手が犯罪者で、実存を出してこない限りしゃべらない!とか世迷言をのたまってるからって、この僕に帰れデブとか暴言を吐いてくるからって僕はお前に拷問を依頼しに来たわけじゃないんだ」
言われたのか、帰れデブって。仲の悪い師でもたまにしか言わないのに。推定するに初対面の相手に、そこまでの暴言を吐かれるとはメンゲレも予想だにしていなかったことだろう。
「……違うのか」
「なんで残念そうなんだよ?」
事務所内に妙な空気が流れた。
メンゲレは師の扱いが決してうまい方とは言えなかったし、師のほうでも馬が合う相手ではなかった。それどころかたぶんお互いに嫌っていたと思う。嫌っていたはずだ。
イルマですらそれがわかったのだから、どうしてメンゲレが来たのか、師が珍しくまともに耳を傾けるカミュかエメト辺りを連れてこなかったのか謎だが、この時の囚人というのが厄介な奴だったらしい。
ならカミュは声を出せないようにさるぐつわでも噛まされていたのだろうと、今になっては思う。
エメトは……まあ論外として。来たらまた師にダメージが来るし。
「違うの。お前はただ手を出さず一言も喋らずうんうん頷いていりゃいいの。わかる?ねえわかる?」
いらだちがひしひしと伝わってくるが、食事中のイルマはそちらを見なかったから二人がどういう顔でいたか知らない。食事中だからいらだちとか知らない。
「つまらないから他所へ持って行ってくれないか……?」
「お前以外に何ていう実存がいるんだよ」
ただ、師はつまらなさそうに、メンゲレは腹を立てていたようだ。それだけは確かである。
「いるかも。どっぺるげんがぁ~?」
「いるかよ!てかどこの方言だよ!」
「もとはフィリフェル語だな」
つまりドッペルゲンガーのことなのである。こうして文章に起こすとわかりきったことだが、師はおかしな抑揚をたっぷりつけて口に出したのでどこかの方言にしか聞こえなかった。
言いそうな人のイメージは、今ならブラム教授で当時ならオニビだ。二大訛ってる人たち。
二人はずっとわちゃわちゃ揉めていたが、結局師が折れて顔を出した。
デザートを作ったりはしなかった。
イルマはその間なぜかエメトの所へ預けられていた。つまり内閣である。どういう部屋なのかよくは知らないが、書類がびっしり詰まった棚が立ち並んでいた。
紙とインクの匂いが充満していて、その中心の重厚な木の机にエメトがついて何かやっている。活字大好きのイルマは目の前の冊子のようなものに手を伸ばした。慌てて引っ込める。
怒られやしないかな?ちらちらとエメトのほうをうかがう。こっちはちらとも見ていない。決心して再び手を伸ばした時だった。
「こらっ」びくっとしてまた手を引っ込めた。エメトが身を乗り出してこっちを見ている。「駄目だよ、僕が怒られるじゃない」
「ご、ごめんなさいー」
ぺこぺこ頭を下げる。あの師が絶対服従する相手である。それに、他の人たちと違ってどうにも軽んじられないのだ。このころは別に嫌いではなかった。ちょっと変わった人だなくらいに思っていた。
「本が好きだったの。言ってくれればいいのに……こっち来なさい、六法全書が引き出しの奥にあったから」
「な、なんでそんなとこにあるのさ」
「知らなーい。奥にはチョコクッキーもあったよ。食べる?」
彼の言うチョコクッキーは明らかに抹茶ではない緑色をしていた。心なしかふさふさしている。
おなかを壊しそうなので丁重にお断りする。エメトのほうでは「そうなのー?酸味があっておいしいけどなー」と笑顔でかびたクッキーを頬張っている。チョコクッキーに酸味なんかあるものか。
なんという理不尽。なんという不条理……。きっとこの人の消化器官は何か違う物質でできているんだ。絶対そうだ。自分を無理やり納得させてクッキー同様かびた六法全書を開く。
かび臭い!勢いよく閉じたら何かの胞子らしきものが顔に向けて噴射され、せき込む。今度はできるだけそっと本を開く。いくらかましだ。
ていうかこの部屋書類置くには湿気が強くないか?ここがエメトの職場なのか?よく耐えられるものだ。どういう内臓をしているのだろう。