「かつて」の味
回想編です。お鍋の締めは何ですか?
「なるほど、拷問の跡が残ると困るのか」
「……お前僕の話聞いてた?するなって言ってんだよ」
この日の師はメンゲレをいじめていた。間違いなくいじめていた。いじめていたのは確かだが、どうしてそうなったかよく知らない。起きて来たらこの状況だったのだ。
早寝早起き朝ごはんの合言葉で師が比較的元気だったころは毎朝起こされていたイルマだが、この日はいつまでたっても起こしに来なかった。光が柔らかかったから、晩春だったと思う。
おかしいなと思って降りて来たら、メンゲレの金柑頭が青ざめて、頬肉がぶるんぶるんしている。師はカウンターのこちら側に、イルマに背を向けて座っているから顔は見えないがたぶんいい笑顔だ。
こうして考えるとわかっているような気もするが訳が分からない。
「起きたか、イルマ」
振り向いた師にびくっとして思わず、おはようの4音が口から滑り出た。意図してのことではなかったが、ふっと微笑みが優しくなる。
「……おはよう。朝食ならそっちに雑炊があるからもみのりかポン酢でも掛けて食え」
思ったより声が優しいので、いつもの減らず口も思いつかず、「はーい」といい返事をした。今日は何だか調子が狂うなあ。コンロに置かれた土鍋のふたを開ける。昨日は水炊きだった。
ぷくぷく膨らんだ飯粒の上に鍋底に残っていたのであろう千切りのニンジンや水菜の切れ端が浮かび、さらにその上を黄色と白の卵がぷるぷると覆っていて美しい。とっくに半人前ほど減っていたが、まだホカホカと湯気が立っていた。
椀に一杯掬う。汁気はあまりないが、焦げてもいない。
「うえ」そこにあるものを発見して顔をしかめた。「ししょー、また出汁とった後の昆布小さく切って入れてる!」
黒くて四角くてにゅるっとした憎いやつ、出汁がなくなっただし昆布である。師はこれを一辺5ミリくらいの正方形に切って入れていた。
「もったいないからな……嫌か?」
「にゅるっとして味がなくて気持ち悪いんだよー。ていうか出汁とった後のだし昆布って食べ物じゃないよね?意地汚いからやめてよう」
「何を言う、昆布だって食べ物だぞ。……多分、食物繊維が豊富だろうしな」
たぶんって何だい。いつも食事に使っているテーブルは客がある。カウンターに持って行く。どのみち客の前で食べるわけで、今にして思えばやってもやらなくても同じ配慮だ。師の隣に座った。
「……食べるけどさ、どうしても食えって言われたら」
「ああ、どうしても食え」
即答だった。悔しかったが自分で言い出したことだ。いただきまーす。
昆布のまずさにはポン酢ともみのりで抵抗する。あとまずいのでできるだけ先に食べる。卵は後だ。でもあまり後にしたら固くなってしまわないかな?そう思うと大体いつでもそれなりにおいしいご飯の部分って素晴らしい。
野菜は論外である。ゆえに気にしないことにした。
「うまいか」
「おいしいー」
「だろ?」
雑炊は、と付け足したかったが師が嬉しそうなので我慢する。しゅーんとなるししょーは見たくない。なるとも思えないがなられると困る。
ものほしそうな眼をしている太っちょと食事中のイルマの間で師がぱっと両手を広げた。貴様にやる飯はないって顔をしているんだろう。翼蔽ってこれかな?後で本を読み直してみよう。
まずは、おかわりだ。空になった椀を手に台所へ向かう。師の声が追いかけてきた。
「もう全部食べていいからな」
「はーい!」
元気に返事をした後で、背筋が粟立つ。
全部?全部食べていいの?……半人前しか食べてないよね?もう食べないの?
今になって気づいて、こわごわ振り向く。さっきまでと同じにメンゲレを舌鋒で圧倒している。とくに具合が悪そうには見えない。ちょっとだけ安心した。
そうだよ、きっとあとでまた何か食べる気なんだ。でもメンゲレさんにあげるのは嫌なんだ。じゃあデザートとか?ししょーってあれでパフェとか作れるんだよ、楽しみだなあ。
出汁とった後のだし昆布は食べ物か?違うと思います、私も。




