召喚術師
この話の世界観でも神は複数存在します。例に漏れず、信じる者は救われるようですが、救いというのがどういう形をしているのか結局よくわからない。
よく考えて、それから救いの、ものによっては信じないほうがよいのかもしれません。
イルマの眼前で黒いオーラが爆発する。ユングはただ地べたに座り込んでそれを見つめていた。
――何で。だって、このお方は。
さっきから思考が同じ所で何度も何度も回っている。頭では理解しているが、心はついてこないのだ。
そんなユングの思いをよそに、イルマの前に降り立った魔神は立ったまま静かに一礼した。
見た目から言えばただの精悍な男だ。働き盛りだろう。血のような色をした髪が二つに分けられ、それぞれ三つ編みになって腰まで下がっているのが異常と言えば異常ではあるがひどく目を引くほどではない。
服装も一般人にしてはずいぶん仰々しいが完成度の高いコスプレと言えばそれで通りそうだ。スーツに着替えてオフィスにいれば紛れ込める。唯一人間らしくない黄金色をした両目も光っていたりなどはしていないのでぱっと見ると茶色い目に見える。
「ねえコールさん、この前お仕事任されたって言ってたけどフルバージョンで出てきて大丈夫?作業進んでる?」
「それならもう済みました」
威厳のある声だが、高飛車ではないし刺も、それどころか角張ってすらいない。硬い口調とは裏腹に真綿のように柔らかく心に染み通るような慈愛に満ちた優しい声色。
「封じられているとはいえ、最低限の礼儀くらいは守っていたいものです。何か、ご用ですか?」
「まずはこの辺の市役所まで飛んでほしいんだけど……って、状況説明しなきゃだよね、ごめんね」
「いいえ、仔細承知しております。ただ、その件について私は何をすべきかという点が不明瞭なのでご用を尋ねた次第でしたが……どうぞ、お気になさらず」
話を終えるとコールはゆっくりとユングに向き直って一礼した。恐れ多い。静かに跪いて頭を下げる。やめてください!と若干裏返った声で魔神が叫ぶが聞こえないふりをして自分の名前を告げる。
頭上のほうでうろたえる気配がした。
「は……う、あ、どうしましょう。え、ええと」
「えー……クルシュウナイ、アタマヲアゲヨとか言ってみたら?」
「そんな封建時代の殿方みたいなこと、できませんよっ。どうにかしてくださいよ……うう」
半泣きで顔を真っ赤にして縮こまる神。どうも照れているらしい。
「あなた魔神だよね?」
「しかし……いや、だからこそ。液晶ディスプレイ越しならともかく三次元で直に崇拝されるなんて少なく見積もっても数千年ぶりですよ?ダメなんですこういうのは……2つ目のチャンネルで叩かれる方がいくらマシかわかりません!」
もしゃしゃと頭をかきむしってイルマの後ろに引っ込む。体格の差のせいで引っ込めてない。できるはずもないだろう。
仕方がないから先ほどコールの言ったようにどうにかしてみることにする。
「あ、あの、ユングさあ……」身をかがめて覗き込んでみたら困惑と殺意の混じった眼でじっと見られた。こういう視線には慣れているからあまり気にならないが、嫌われたかな?と苦笑する。
「あとでちゃんと説明するから、ちょっと立ち上がってよ。コールさんがテンパってるし、移動しなきゃだから、ね」
「……」
ユングは返事をせずに立ち上がった。やはり嫌われたらしい。
他に手が無かったとはいえ悪いことしちゃったなと思う。人間が既に死んだ天帝であれ干渉してこない女神であれかつて神を信仰していたように魔族は現在進行形で魔神を信仰するのだ。
特にコールはかつて魔界の地下に封印された神にも関わらず過去百年の近代史に出現して現世のことに介入した記録の残るレアもの、つまり唯一祈れば助けてくれる可能性のある神。口調は……2年以上の長い付き合いなのにいまだ何で敬語なのかわからないけど。
「では、やりますよ――『動け』」
コンクリートにチョークでややこしい陣を描いてその中に皆入ったことを確認し、魔神は魔法を作動させた。
視界がテレビの砂嵐のようになった直後、目指していた市役所が現れる。
「うわ、今のどうやったんですか!?も、もしかして転移の魔法ですか!?」
「いいえ。転移は成功例がほとんどないうえ、成功したとしても安全性に欠けますので。今のは私たちの位置を固定したまま、すこぉしだけ世界の側を動かしたのですよ」
すごい!と目をキラキラさせた直後に失礼しました!とぺこぺこ頭を下げる。コールがあわあわとうろたえながらなだめて元の姿勢に戻そうとして華麗に失敗、肩を落とす。
「イルマ、アポイントメントはもう取っているのですか?」
「大丈夫大丈夫、大魔神でフリーパスだよ。最悪コールさんが職員一人燃やしながらちょっとだけ脅迫してくれればいいよ」
「うっ、それだけは勘弁していただきたいですね」
幸いにして脅迫する必要性には迫られなかった。速攻で中に通され、お茶とお菓子を出される。高そうな紅茶と駅前とかにちょびっとだけ四ケタの値段で売られているオサレな感じの洋菓子。
幼いころは欲しかったけどねだっては「何を言っているんだそんなところに店などないではないか……はっ、貴様、俺の鎮痛剤を飲んだな?触るなと言っているだろう!」とか師に言われて食べることはなく、今となっては一時の快楽にそこまでの金額をつぎ込むのがあほらしくて結局一度も食べたことが無い代物。
紅茶はけっこうおいしかった。でもユングは一切眼を合わせてくれないのだった。ちょっとだけ悲しい。一方のコールは商談とも言えない商談に夢中でそんなことまで気を回せていないようだ。
フロイトが探索してきてくれた洞窟は魔物の多い山に繋がっていた。しかしその山は魔界ではなくこの国にある山である。となれば本来はその山のある自治体に話を通すのだが、それは自治体の仕事だし単に山に繋がっていたのではなかったのだ。
洞窟の最終地点は、これまで見つからなかった古代遺跡。端的にいえばコールの別荘。魔物が山に集まっていた理由。つまり魔神の神殿である。
……といっても魔物は神殿に足を踏み入れない。環境の保全でとか、魔物としては暗黙の了解になっているらしい。RPGとかで魔物が神殿に入れないのはそういうことだったのである。
だから正確には、その数歩手前である。
「もしもそちらが多少私の子供たちの侵入を許されるのなら、こちらも神殿への出入りを許可します。でなければ洞窟はふさぎます……決して破れない方法で。座標もいじっておきましょう」
「し、しかし我々が襲われた場合は……」
うろたえる市長に確かにそれは困りますねとはにかんで、彼はこともなげに言い放った。
「その子たちは殺してもかまいません。私はこの世界の魔界と神殿を除いたすべての場所を女神と天帝に信託しました。ゆえにあなた方の領域においては、好きにすればいい」
市長は額に浮き上がった汗の玉をハンカチで押えながらそうですか、それならよかったというようなことを言った。ずいぶん小心な様子だが無理もない。
相手は人間界を侵略したことで様々な伝承や古文書に登場する魔神なのだ。初めて会った頃はイルマの身にもかなり慎重になった覚えがある。
実際、50年前の革命に手を貸してこの国を滅ぼしたし。
「もうあなたしかいないのだと頼まれたのでいまさら手を出すなんておこがましいかなと思いつつ頑張ってみました」
かつてイルマが聞いた時彼はそんな風に答えた。「ご迷惑でしたか?」
それじゃあ何度か侵略したのはどうして?
「女神が人間界を放棄してしまったので成長を促すためにちょっかいを出して適正な数にしていました」
なるほど。花壇の野菜を間引く感覚なのか。納得できたなあ。横で聞いてたカミュさんは怒ってたけど。
怒ってると言えば、と横目でユングを見る。彼は変わらない仏頂面でマカロンをつまんでいた。三時のおやつじゃないけど脳漿炸裂繋がりか……とくだらないことを考えてみる。
時間的に昼ご飯を補完できるレベルだから今日の出費は宿代と夕飯だけだ。懐の寒いイルマにはありがたい。
もちろん、三倍体の討伐などはもう済んでいるからその報酬はもらえる。だが今は持っていない。
依頼をこなして得られる報酬は、現金の場合もあるのだが乙種の仕事ともなると金額もそのまま持ち歩くには危ないことが多い。今は、拠点から遠い案件や金額が多い時など、後日指定の口座に振り込む形式が一般的だ。
食べてみたマカロンは香ばしいけど甘ったるい味がした。女性職員にどうですか、と声をかけられた。おいしいですと笑顔で返す。本音は隠す。うえマッズ。砂糖の塊かよ。買わなくてよかった。アタリメのほうが絶対おいしいよ。
コールも一切手をつけていなかった。この間クーポンが手に入ったとか言ってクレープを食べていたから甘いものが苦手なわけではないはずだ。どちらかというと甘党だし。
好物もチーズケーキとほうじ茶だし人間界の食物が口に合わないわけでもない。どうしてかなあと少し考えて、やがて答えが出た。
食べたことあったんだ。このひとは。しかも多分自腹で。災難に。
しばらくして洞窟問題は一つの決着を見たらしくコールが市長に一礼し、イルマたちは市役所を後にした。ユングがコールと何か話している。完全においてけぼりだ。
「あと数カ月くらい、助手のいる生活を楽しみたかったよ……ばいばいユング」
きゅっと目をつぶってそっぽを向く。
「出て行ったりしませんよ」ぼふぼふと厚い革の手袋が頭をなでた。温かい。「ごめんなさい、誤解でした。魔神様が誰にでも謙虚にふるまわれる素晴らしい方だとは思わず、僕の浅慮を恥じるばかりです」
「あは……あはは、そっちか。」
思わず落胆してタイヤの焦げ跡がついた地面を見る。何で焦げ跡?正面のガードレールには凹み。その下に、献花。誰かここで事故ったな。なーむー。
だが考えてみれば居もしなかった助手が手に入り残ってくれるとあればそれだけでもうけものだろう。嬉しい。ししょーならなんて言ったかな。そっと耳の奥に再生してみる。
「うん?出ていけ出ていけ。お前など足手まといでしかないのだ、止めないぞ?」
イルマは振りむいて、にっこりと笑った。
「正直足手まといでしかないから出て行ってくれてもいいんだよ」
「ふぇええ!?罵倒された!?」間違えた。ユングが涙目になってへっぴり腰になる。「頼むから助手として置いててください!お願いします!」
この通り!と杖を放って深々とお辞儀をする。アスファルトが大ダメージだ。どうしよう、面白いから訂正は後でいいかな。
コールはにこにこと成り行きを見守っている。ああ、確かに好みの、本当に大好物のおじさまなんだけど、神だからか封印されてるからか加齢臭はおろか生活臭すら全然臭わない無臭なのでおっさん成分は補給できないのが玉に瑕。
透明化の魔法とかも使えるから、隠密などの仕事には凄いアドバンテージではあるのだが。
「もしかして魔神様を無理やり従えてると思って冷たくしたこと怒ってます!?怒ってますよね!?ごめんなさいまさか魔神様が卑小にして下等な人間などに慈悲のお心を向けられるとは思わず……!」
わけのわからない謝罪をされた。今の発言は人間として怒った方がいいのだろうか。ユングもぎりぎり人間の範疇には入ると思うが。
魔神と比べたらそりゃあイルマなんぞその辺のミドリムシ以下だとは思うがその魔神と契約しているわけで。
魔神と単細胞生物の契約ということだろうか……シュールだ。
「うん、間違えただけだから気にしなくていいよ。これからもよろしくねって言おうと思ったんだよ」
わーいと叫びそうなくらいの勢いでユングが跳び上がった。
「あ、ありがとうございますう!これからも先生の下で時に靴を舐め時に豚のごとき醜い鳴き声を放つ助手として頑張ります!」
「そんなことさせてないよね!?っていうかさせないし!そもそもそれ助手の仕事じゃないから!」
今ユングが言ったのは『助手』ではなく『奴隷』というべきではないだろうか。
「先生と比べれば僕なんかボルボックスです!」
「細胞群体!?」
「はい!緑色してて、中になんか入ってて!それで転がるやつです!」
ミドリムシの下で働くボルボックス。シュール以前の問題として働くという概念があるのかないのか微妙なところだ。コールが居心地悪そうに咳払いをして小さな声で聞いてきた。
「ところでイルマ、これより私はどうすれば?封じられた身ですので自由に戻ることはできませんから。その、指示をいただきたいのですが」
「あ。えーと……そうだ、次は霊媒の仕事があるからついでにアサギ村まで飛んでくれない?」
また!?とコールは眉をひそめた。また!?とユングは期待に目を輝かせている。
――大きな雲が通り過ぎた。
「……わかりました、座標は知っているので飛べます」
純粋かどうかはともかくとして、子供の期待は裏切れなかったらしい。再びかちゃかちゃとチョークで陣を描く。
「そういえば、何でチョークなんですか?魔神様ならアスファルトを熱で溶かして炎で陣を描くくらい余裕ですよね?」
「近隣の皆様に御迷惑でしょう、やめなさい」
行きつくところがちょっと見えた。
こんな簡単に出てきていいのか創世三神。いいんです。けっこう気軽に出てくるみたいです。逆に簡単だからこそ禁術扱いで使う人がいないのです。
王道ファンタジー、加速しますよ。