桜散る剣仙 2
何かうまいタイトルが思いつかなかったので2にしました。本編です。
「すぐにわかるよ」
イルマがそう言うが早いか、老人が動いた。よっこらせと声でもしそうな、緩慢な動きだった。
刃物のきらめきに驚いてこの場を離れようとでもするのだろうか、ふらつくようにして立ち上がる。おぼつかない足元はボロでくるんだ棒を支えにしながら。
思ったより背がまっすぐ伸びていて高いとか、思ったより棒が大きいとか、それ以外は見た目からもごく当然の動作のはずだ。
なのに――それだけの動作なのに、どうしてこんなに胸騒ぎがする?
魔物の本能、闘争の悦びはどこかへ姿を消していて、代わりに人間としての思考回路が緩やかに静かに、薄く粘着性の不安を肺の中一杯に広げていく。
見てはいけないものを見ているような気もして、でもだからこそ老人から目をそらせない。
宙を舞ったボロ布の塊が老人の残像を切り裂いて正気に戻った。
もうそこにはいない。今は、上だ。人間技とは思えない跳躍。
少女に向けている、あの棒。いや、棒じゃない。持ち主の身の丈を優に超す片刃の剣だ。
東方で昔使われたという刀と似てはいる。似てはいるが、そのフォルムは刀に限らずおおよそ刃物と名の付くものを冒涜するような、驚くべきものだった。
浅く反りのある鈍色の刀身は異様に太く、厚い。あまりに無骨なそれは刀身というより刃がついただけの長い鉄の塊だ。
相当な重さを保有しているだろう刀身に、見合うように作られているのだろう。鮫皮か何かの上に細い布を独特の調子で巻き付けた柄は太く長い。金属製で、農作業用の小さな鎌みたいな模様が雑に切り抜かれている鍔も広く厚い。
こうして数えるだけでもわかる、一つ一つのパーツがどれほど重いことか――どこからどう見ても、老人が振り回せる代物とは見えない。それどころか人間が振り回せるとも思えない。
考えるより前に飛び出していた。
刀を振り下ろす瞬間を見極め、古びたメイスを擦るようにして力を受け流し、軌道を変える。柄が軋み、ユングはさすがに重くて片方の膝を着いた。
再び跳びあがった老人はひらりと重みを感じさせない身のこなしで着地する。
『へぇ……いい腕だなァ兄ちゃん』耳に届く老人の声はなぜかボルキイ語だ。『抜きな』
言われるまでもない。メイスをカバンにしまい、入れ替わりにレイピアを取り出す。
これもれっきとした武器なのだが、老人の持つ刀と比べると太さも厚さも長さも半分以下、いや、四分の一以下でおもちゃにさえ見えてくる。
あれが繰り出す一撃でも受け止めれば、枯れ木のようにぽっきり折れてしまうことだろう。受け流すにしたって、重く堅い古びたメイスのようにはいかない。
一撃だってもらえない。少しでも、少しでも軽くしなくては。
いつかのようにマントを脱ぎ捨て、カバンと手袋を外す。いつかとは違い帯も取り、上着を脱ぐ。これでたぶん、4キロくらい軽くなった。これでも逃げ切れるかどうかわからない。
ちょっと待って、どうして戦う前提で話を進めていってるんだい?脳内のイルマが軽くツッコんできた。
別に逃げればいいじゃん。煙幕とかで攪乱してさっ。それに心揺らぐ自分がいるのを、なぜだろう、ひどく不名誉に感じる。
理由なんかいらない。鞘から白刃を滑らせ、笑う。やりたいからやるんだ。今楽しいだろう。それ以上なんてない。
投げた鞘が子供に踏み固められた土の上を転がる。横薙ぎに襲い掛かってくる巨刀を紙一重で躱し、懐へもぐりこむ。いたずらっぽく鍔のあたりに軽く左手を触れた。
そのままのど元を貫くこともできるが、右足にちょっと無理をさせて相手の間合いを離れる。
『おう、一本はいらねえのかァ?』
「うん、いらない!」
とっさに口から出たのはコルヌタ語だったが、言わんとするところは通じているだろう。
心臓が速い。一つ息を吸って吐くごとに肌を焼く夏の太陽より熱い快感が足の先から頭の先まで駆け抜ける。
まだだ、まだだろう?まだ何か、楽しいことをしてくれるんだろう?待つ、待つよ、いくらでも。だからすぐには殺さない。もっと楽しませろ。
思考はとうに魔族の本能に支配されている。周りなどまるで見えない。かろうじて魔導師と神がいるのはわかる。
待っておいで。すぐ、すぐ、すぐ、すぐに、お前たちとも楽しいことをする。でもまだこいつで楽しめそうだから、待って。
このおいぼれを片付けて、ああ、三人でっていうのも楽しそうだ。いいでしょう、いいよね、先生。きっとあなたも楽しめる。楽しい、楽しいから。それにとても気持ちいい。
きっと死ぬほど。
ユングならずっとこういう子です。