桜散る剣仙
「……なんなん、ですか」
「まだわかんない?人探し、一応完遂したんだよ。ほら」
くい、と顎で指す方向には老人が一人うずくまっている。ただの老人ではない。着ているものといい帽子といい靴といい――めちゃくちゃ汚い。
上半身には垢じみたTシャツのようなもの。胸元が破けている。黄みがかった灰色に見えるが、元の色なのか汚れきった結果なのかわからない。
その上からポケットのたくさんついたメッシュのベストを着ている。ポケットのほかに糸もあちこちから出ていて、くしゃくしゃになった煙草の箱が一つだけ胸元に入っていた。
ジャージか何かの生地でできた長ズボンは膝を中心にところどころに穴が開いて、さらにぎとぎとに黒ずんでいた。元は青だったんじゃないだろうか。
靴は両足で違うものを履いている。左はビジネスシューズだろうか、黒革の鼻の長いものだが鼻先が欠けて、白い綿毛のようなものがはみ出している。
右はバッシュらしい。茶色というか灰色というかそんな色になっていて、そこだけ血色のいいピンク色の皮膚をした指がこぼれだしていた。爪は足も手も、黄色く波打っていて分厚い。
白だか灰色だか、よくわからないフケだらけの頭にこれもほつれだらけの野球帽を深く被っている。こちらが立っているせいもあろうか、萎びた鷲鼻の先端と、ぼさぼさの髭の隙間から見える黄色い長い歯だけが今見える彼の顔のすべてだった。
老人は財産と見えるものを持っていないようだ。家、金、名誉。そういうものから一番遠いだろう。ついでに言うと先もなさそうだ。
詳しい年齢はわからないけれど、これで50歳を超していなかったら嘘だし、60歳を超していないとすれば詐欺だし、70歳になっていないとするなら酷い老けっぷりだ。
死臭ではないにしろ、腐臭というか何というか、死を連想させるようなすえた臭いが辺りにぷうんと立ち込めて鼻が曲がりそうである。死神で探せると言われて納得しそうになる。
しかし、何だろうか、ボロ布でくるんだ棒のようなものを大事そうに抱えていた。逆に言えばそれだけなのである。
自分はいったい何を探させられたのだろう?イルマの指すみすぼらしい老人を見てユングにはますますわからなくなった。
夏の一般家庭から出た生ゴミのかたまりに堆肥と産業廃棄物をスペシャルブレンドしたような臭気が鼻にしわを寄せる。ガスマスクか何か持ってこればよかった。
まず、護衛を探すのが依頼。こいつなら絶対間違いないって奴を連れて来いとの仰せだった。そのために大分と痛い思いをした。ここまではいい。で、いたのはおそらく住所不定無職の自営巡回ゴミ漁りだ。
割に合わない。
「ええと……ある種の嫌がらせを計画してます?」
一般に女性の方が男性より嗅覚が鋭いと言われているが、きょとんとした表情のイルマは特に臭いを気にしていないようだった。少なくとも、顔には出していない。
「何でさ。個人的にはもちろん嫌いだけど。別に進んで嫌がらせしたい相手じゃないよ、官房長だし」
長いものには巻かれる主義なんだよ。もっともらしく言っているが、本当だとしたらイルマに主義はいくつあるのだろう。
「情報屋さん、とか?」
「ひどいなあ。情報にお金を出すほど金持ちでもなければ情弱でもないよ、私は」
言われてみればその通りではあるが、やっぱりユングの中でどうしても目の前の状況に納得のいく説明はつかないのだった。隣で相変わらずニコニコしているコールを見る。
「……魔神様、僕には先生のコルヌタ語が分かりません」
「素晴らしい」面食らった。コールのまなじりには光るものすら浮かんでいるのだった。
「素晴らしいではありませんか、彼は。人は見かけによらないのですよ。あなた方はいつもほんの一部しか見ていません、もっと視野を広げなさい」
褒めっぷりが大げさすぎて神の御言葉もうさん臭く聞こえる。もう一度目の前の老人を眺める。感極まって涙ぐんでいる様子の魔神を見る。
何だろう、このチートハーレムものを、主人公がヒロインその他大勢に「きゃーすごーい」されてるシーンだけを読んでいるときのような胸の奥のくすぶり。そう……納得いかないってやつだ。
どうしても何かが『違う、それは違う』とささやきかけてくる。もう一度イルマの方に目をやると、いつの間にかカバンの中から取り出したサーベルを鞘から抜いたところだった。




