ユメカウツツカ 2
本編です。後編になっております。
「部屋のクローゼットにあったので着てみたんです」
どこから取り出したのか、ユングが眼鏡を掛けた。ささやかな旋舞に幻想が吹き払われてゆく。
「サイズはちょっと大きいようなんですが、着てみたら意外にしっくりくるもんで。ああでも、僕はこんなの着ることないですから、髪もいつもと違う感じにしてみました!どうです?似合います?」
長い髪は黒くまっすぐで、豊かな艶がある。白い手は痩せているのではない。そういう風に筋肉がついて筋張っている。ぱちくりと大きく瞬きをする切れ長の目は空色。
眉と唇の弧は、どこかあか抜けない笑顔だ。魔導師は魔導師でも乙種。少年の面影が残るというより、少年。何が違うって人が違う。
何も言えずに立ち尽くすのを、どう取ったのか眉をハの字にして肩を落とした。トーストの上にスライスチーズとハム、出来立ての目玉焼きを乗せる。
「持って行っておきますね……」
背を丸め、悄然とした様子で皿をダイニングに持って行った。まだ脳の処理が追い付かないイルマはただ見送るばかりだ。ししょーかと思ったらししょーじゃなくて、ユングで、ユングがどうしてししょーの服を着て。
そうだ、ユングの部屋。やっと思考が空回りを抜け出した。あそこは元は師の部屋だ。クローゼットには師の服がずらりと並んでいるから、ユングは実家から桐箪笥を送ってもらって、それに自分の服を入れていた。箪笥は確かクローゼットの前に……。
「何だ、ちょっと着てみただけじゃん。なじみすぎて、見覚えがありすぎて、誰だかわからなかったよ」
努めて笑顔を作る。
あんな風にほったらかしてたら、そりゃあユングだって着てもいいと思うじゃないか。実際いけないなんてこともない、あの部屋のものは好きに使っていいって言ったじゃないか。
取り乱すこっちがどうかしている。不謹慎だ?あれから三年経っているのにまだ言うか?嫁いで子供がないお姉さんが離縁されるくらいの期間だぞ?不謹慎期間なんてもうとっくに突破しているだろう。
引きずっている自分がイレギュラーなんだ。
「そこからですかぁ」
ダンゴムシみたいになっていた背中がぴょこんと跳ね上がる。なじんでいると言われて嬉しさが隠せないらしい。何とも素直なことだ。
「でもやっぱりいつものが一番ですかね。裾が長いとちょっと動きづらいです。これ、片側にしかスリット入ってないし」
「君はちょっとでも動けなくなるとただでさえない価値が半減するもんね。魔法使うより剣振り回す方が強いんだもん、後衛用の上着なんか着たら本末転倒ってやつだよ。ていうか諦めて剣士やったら?魔導師よりか向いてると思うよ」
ぐわあああっ!斬られたかませみたいな絶叫を上げて助手がテーブルに突っ伏した。がくがくと痙攣している。うーん言い過ぎたかな。慰めようと口を開いた瞬間だった。
「先生何も言わないでください……久々の罵倒……はい……気持ちいいです……ありがとうございます……」
そういえばダメージを快感に変える性癖の持ち主だった。イルマの目が据わる。
「最低だな君は」
「……はうっ……!」
ああ、そうだそうだ、罵倒しちゃダメなんだった。快感を与えてどうする。うん、落ち着け。落ち着くんだ私。すーはー、すーはーと深呼吸を繰り返す。話題をすり替えよう。
「ところでユングも家事を覚えてきたじゃん?8月からは洗濯とか、当番制にしようと思うんだけどさ」
「だ、大丈夫ですよ。今日はパンツ履いてますからズボンは洗わなくとも」
「……洗濯機に入れる前に自分で洗ってね」
どうあっても罵倒されたいのか、こいつは。
意思疎通を諦め、ソファに腰を下ろす。マグに牛乳を注いで、トーストを食べることにした。放置したらしたで喜んでいる気配がしたがもう構いたくない。あーうん、もう好きなだけ喜んどけばいいと思うよ。
目玉焼きは見事な半熟卵だった。白身はゼリー状で柔らかく、まだ温かい。黄身が舌の上でとろけて、国産ものであるにもかかわらず贅沢な感じを味わえた。
作った者が目の前の変態だという一点を除いて。