この世で最も……
本編です。ガチサイコVS調教済みサイコ。誰も得をしない世紀の対決ですかね。
銃声で呆然としてしまったらしい助手は一周回って淡々と応じ、例の触手で弾を抉りだした。
さっき撃ったところなんだから熱かったはずだが、目にまだ何も映っていないところを見ると気づいていないようだ。
「でも、穴はどうしましょう」
「後でパテかなんか詰めるから穴は放置でいい。いたいけな中学生に人殺しを頼みに来る政治屋の生きた肉の壁になりたくなかったら私の後ろへ来な」
はーい。胡乱な目つきで窓を開ける。まだ意識が帰ってきていない。
「飼い犬に手を噛まれるっていうのは、こういうののことを言うのかなあ。お前は師に似ず……うん、何て言うのかな……そう、反抗的だなあ。師の彼くらい僕になついて素直に動いてくれたら嬉しいんだけども」
「ししょーが素直だったのはあなたが戸籍を押さえてたからだね。本当にあなたになつくなんてことは誰に対してもあり得ないから、安心していいよ」
ひどーい、と心にもないことを表情だけは泣きそうに言う。エメトはこの世で正しいのが自分だけだと知っている。
知っているとは不穏な言い方ではあるが、思い込んでいる、とは少し違うのだ。エメトの言う「自分が一番正しい」には感情めいた不安定なものは一切ない。
何のためらいもなく言い切ってしまう時点でおごりには違いないが、緻密な論理で成り立っている。ゆえに、思い込みという言葉を使うことははばかられるのだ。
そういうところが、一番嫌い。威圧的に魔力を練り上げる。
「ここであなたを殺しちゃってもいいんだけどさ」
むなしく睨む。
相手は自分が怒っている理由も、なぜ嫌われているのかもしっかり理解している。だが、その怒りに共感することは決してない。
怒りは相手に伝わって、相手の感情として共有されて初めて意味があるのだから、むなしい。
「それは困るよね。お互いに。だからさ、出てって。あと二度と暗殺を持ってこないでくれるかな」
うちはそういう後ろ暗い課業は受け付けません。言い切ったところで背後のユングが正気に戻った気配がした。エメトが失笑する。
「後ろ暗いなんて、そんな。ただゴミを掃除するだけだよ?ねえ受けてよ。またピッキングと暗殺がうまくなっちゃうじゃない」
かつてのエメト家の精鋭ならばともかく、ここにいるのはその残滓。しかも魔術師ですらない。使える魔法は一つだけ。
身体能力は反則級とはいえ付加魔法で追いつけないものでなし。事務所内のものには物体操作を防ぐための術式を敷いてある。これ以上はゴーレムも作れない。
唯一のゴーレムがあの程度なら、こいつは腕を二本犠牲にすれば殺れる。なくした腕はあとでフロイトあたりに頼めばいい。
証拠隠滅はいくらでも。そしたらせいぜい過剰防衛ってとこだ。もし捕まっても少年法がある。すぐに出てこれるだろう。細工は流々、勝算は当然。
「何度も言うように受けられないし、そのゴミも同じ人間ってところにどうして気づけないかな」
同じ人間。むなしい言葉だ。彼にとっては同じではない。彼にとって自分以外の人間はよくできたロボットのようなものなのだ。
「悲しいよね。でもこの世に正義があるのなら、僕は手段を選ばない。理想のためなら、何を捨てたっていい。そのために一人や二人は犠牲になったって仕方ないんだ。僕も含めて……お前にもわかるよね?」
言葉に全く実感がない。
本当に悲しそうだし、本当に仕方のないことだと言わんばかりだが、本質を知っている以上うまい演技だなとしか思えない。
自分が悪だと気づいていない、自分が正義だと信じている。そんな人間が最も残酷になれるとは、誰の言葉だっただろうか。
彼が政治家なのも、単に今の社会を最も手っ取り早く変革させることができると踏んだからだ。この世界を変えたい。
その段階の一つとしてまずはこの国を変えたい。理想郷として、作り変える。
その邪魔をする人間は理想郷には必要ない。ならば切り捨てる。または『健全な』社会に最も影響を及ぼさない形に処理する。その先に何があるのかは彼一人にしか見えていない。ただ、それを理想として動いている。
己の死後も20年にわたり、理想のため、様々な『出来事』を様々な形で計画している。死後20年。彼が生まれた時のコルヌタの平均寿命で死んだ時が一番短くて済む恐ろしい代物である。
政治家ってたまに「単に自分に都合いいようにしたいだけと違うか?」って言いたくなるときありますね。この人は別です。無私のぐうの音も出ない聖人ですよ。